2006-11-01

はじめての海外旅行



23歳のときにはじめて海外旅行に行った。いった先はイギリス、フランス、イタリア、スペインとおまけで返還前の香港。かけた日数40日。同行者、サヨコとクミコ。三人でお揃いのサムソナイトのトランクガラガラいわせて。最初に降り立った場所、ロンドンのピカデリーサーカス。ROCKとPUNKが好きな私たちには外せない場所だった。どうしても体験してみたかったトラファルガー広場での誰とでもハグし会うニューイヤーカウントダウン。カムデンロックのマーケット。エッフェル塔。メトロのコンコースで歌うミュージシャンたち。金をたかるジプシー。オルセー、ルーブル、ピカソ等数々の美術館。ガウディのつくった建造物たち。治安が悪すぎるローマの町並み、枯れていたトレビの泉。ストーンヘンジ、ビートルズのリバプール、さらば青春の光のブライトン。呑んで笑ってけんかして、楽しい旅でした。この話を始めるとフランスからスペインまで行く寝台列車の中での出来事が話したくなる。ユーレイルパスを使っての豪華車両利用。三人での寝台個室洗面付き。ディナーはヴュッフェで給仕付き。窓の外は地中海地方の美しい風景。ときどきは海の上を走っているのではないかと錯覚を起こすようなルート。そんなすてきな寝台列車でことはおこった。…この話は長いんで次回にします。

2006-10-30

ぼや事件


昨日焚き火をしていたら、子供の頃にぼや(といっても小さなもの)を起こしたのを思い出した。埼玉県の松原団地にいた頃、私が小一で弟たちが幼稚園の年長さんくらいのころかな。母は近所のパン屋さんにパートへ出ていた。ある昼下がりに兄弟三人でおなかが好きオーブントースターで食パンを焼くことになった。待っているとオーブンが炎上している。今にして思えば、たぶんタイマーを長くかけすぎてパンが燃えてしまったんだと思います。オーブンからは煙がモクモク。弟たちは火事だー!と言って庭へ逃げてしまう。ここはおねーちゃんである私がなんとかせねば!と私は奮い立ち、なぜか歯磨きする時のうがいコップに洗面所から水を汲んできてオーブンにひたすらかけていた。あぁ、弟たちを守るためなんと私は勇ましかったのでしょう。モクモクはすぐ消えました。なぜかそのすぐ後に私服の刑事さんが来て、なにごとですか?と尋ねられそのことの方にビビった私でした。刑事さんはたまたま近くにいただけなんでしょうけどね…

2006-10-27

お風呂とグランマルニエ


英国人とお付き合いしていたときのことです。彼は私の勤める代々木近辺や品川の駅前まで迎えにきてくれてよく彼の家に泊まりにいってました。彼の家は成田にあり英国からの車の輸入をしていたため毎回いろんな英国車で迎えてくれ成田までの長いドライブは楽しいものでした。彼の家はだいたいの外人がそうであるように古い日本家屋でした。ある日彼の家に着くと彼が温泉に入っておいでといいます。温泉?見てみると、家から少し離れた棚田のところに穴が掘ってありそこにホーローの風呂釜がうめてある。まわりにはかるく竹で柵がしてありアサガオの蔓が少しクッルッと巻いている。お湯のもとは家から長くのびたホース、その先は瞬間湯沸かし器。すごく簡易的ないわば自家用露天風呂なのである。入りましたよ〜。しばらくすると西洋人ならではのスイートさで彼がアイスクリームのグランマルニエがけを持ってきてくれた。それを食し、しばらくしてさっあがろとしたところで私の記憶は無くなりました。二、三時間ぐらいたったでしょうか、気がつくと私は家の縁側に泥だらけで全裸の状態で上に浴衣が一枚掛けてある状態で寝てました。お風呂とグランマルニエの組み合わせはよろしゅうありません。

2006-10-26

RUGGER


写真は吾愛すべきRUGGERであります。過去に何台かの車に乗りましたがこれはとっても気に入って買った車です。ふと妙に錆びとこびりついた苔が気になって久しぶりに念入りに洗車してみました。洗ってる途中にきたヤスコちゃんは”明日雨になる…”とつぶやいて帰っていった。いいんよ。 ラガーの弟分はロッキー、きっと”太陽に吠えろ”を好きだった人がつくったに違いない、とかってに私は思い込んでいる。排気ガス規定で東京大阪ではのれないレアな車。ボロくってあぁなんてかわいいんだろう。こんな車だけどRico Lodriguesも乗せたことあるんだ。やるでしょRUGGER。車ん中にサインもらっとけばよかった。なんてね。この車、かなり遠くからでもアッ!マコさんだ〜ってわかるらしく、しかしとうの私は対外まっすぐ向いて運転しているらしくかなりの方をシカトしているらしい。ごめんなさい。フロントについているウインチは三回人を助けました。もう錆びて動かすのが怖いのでもう私に救助を求めるのは止めてください。雪の日とか早朝とか…外観はかなりいってますが中身はバリバリOKなんですこの車。まだまだ愛していこうと思います。

2006-10-25

TROJAN HMV BOXSET


数日前に小さな小包が届いた。東京にいる弟からだ。中を開けてみて見ると三枚セットのボックスタイプになったCD。少し前に自分がセレクトしたCDがまもなく発売されると言っていた。とりあえずかけてみる。流れ出した懐かしい曲の数々。そう私と弟のminouは20代前半に東京で一緒に暮らしていた。あんまりお金はなかったけど楽しい日々だった。部屋に作ったDJブースで2人で好きな曲をかけて踊ったり、テープつくったり。暇な日曜日にはお互いの好きな絵や写真をコラージュしてパネルにしたり。で、このCDのジャケットはその当時かいたもの。ねーちゃんはおぼえているよ!あのころはレゲエのレコード探して高田馬場、新宿、渋谷いろいろまわったよね。Janett Keyすら売ってなかったもんね。兄弟三人でレゲエ好きだったからいっしょによく出かけたね。毎年恒例のJapan Splash、ASWADやThe Specialsのライブ、KAYA、Kingstone Club、Club Jamaica。兄弟でドレッドヘアーにしたこともあったっけ。で、山手線で英語で日本人から話しかけられたり…音楽ってすごいね、忘れかけてたこといっぱい思い出したよ。ありがと。

2006-10-23

“金曜日の妻たち”もどき


今日さぁ、ふと思い出したんよ、自分の高校生の頃を。なんでかっていうとお店のカウンターで主婦がべらべらしゃべっているのを横目で聞いていたときに…私前にもこんな風景の中にいたことがあったって。そうそれは高校生の頃。よく学校さぼって近所の主婦連中と麻雀したりしていた。タバコぷかぷか吹かしながら。でその頃主婦の彼女たちに流行っていたのが若い兄ちゃんと付き合うというもの。たぶん当時はやっていた”金曜日の妻たち”というテレビの影響が多大にあったと思うのですが、なかなか凄まじいものでした。かろうじて我が両親の夫婦仲がよかった為にぐれはしませんでしたが(?)思春期の私には何か強烈な思いがあったのを今も覚えています。だって近所のおばちゃんがある日子供も夫もおいていなくなっちゃうんだもん。それも何件も。で、いまだにその人たちにときどきばったり会っちゃったりするのよ。むこうは私ってわかってなかったりするんだけどね。人の人生っていろいろよね。あぁ、変なこと思い出した。

2006-10-22

スカ★ロケと遊ぼう


先日珍しくスカロケのイマムラ君から電話がかかってきた。こんどの日曜日にイベントをしますからきてくださいとのこと。自分たちのバンドよりもThe Little Elephantというバンドを見に来ませんか?と。土曜日の昨日はお店の終了時間が9時を回った。すでに会場に行っているマサコにリトルエレファント何時から?って聞いたら9時45分からって言う。いつまでお誘いしていただけるかわからない我が身。車を飛ばしていってきました。連日ライブ三昧。前日の大人っっぽいイベントとは打って変わって、絶対私がお客さんの中で一番年上間違いなし。ヒョエ〜みんな若いよ〜若いこのバンドは陰りがなく元気がいっぱい。アイスコーヒー飲みながら、若いこの踊りを眺めつつ楽しんできました。学生だったスカロケのみんなも大人になったね。帰りにはお客さんにCDのおみやげまである豪華なイベントでした。

2006-10-21

Night Clubingはやめられない




やっぱりナイトクラビングは止められません。楽しかった〜昨日の夜は…親不孝にあるTheVooDooLoungeの7周年記念イベント。入り口からいきなりDennisBovellとJeanBintaに出くわす。つかさずずーずーしい私は楽屋で写真をぱちり。会場は以前の”レゲエ屋”を思わせる雰囲気で懐かし〜い顔がちらほら。そりゃテンションあがりますって。かのDennisがアコギでの演奏には年がいもなくシーバさんといっしょに最前列で観覧。DubsensemaniaのライブもすばらしくDennisは歌で参加した後、自らPAをしだした。もうその音たるや感涙もの。あのパンみたいな手が機械を触ると魔法のように音が変わっていく。その様子が観たいが為にPA前のカウンターテーブルの端っこに腰をおろしてライブと彼の手さばきを観た。ライブの後は終わったら乾杯しようねと約束をしていたPJとのひととき。ラスタカシ君もいっしょにパチリ。最後はPJと厚いハグをしてお別れ。あっというまに五六時間が過ぎていった。もちろん運転手付きで出かけました。ありがとねSO君。あまりに楽しくて興奮したせいか4時に寝たにもかかわらず。朝いつも通りに目が覚めて布団の中でひとりにんまりしていました。楽しさのパワーとはすごいものです。翌日の今日は元気に働いております!すてきなイベントをしてくださったVooDooのみなさんと偉大なミュージシャンに感謝。

2006-10-18

Ruffun'Tuff


今月の14日から渋谷で公開されてるRuffn'Tuff。ジャマイカのレゲエシーンを築いてきたミュージシャンのドキュメントフィルム。九月に東京に行った時、コマーシャルフィルムがクラブで流れていた。去年の秋頃ジャマイカ行って撮ってきたんだよね。観たいな〜。劇場公開初日はコーヅ氏とECさんのトークショー。ゲー、これまた行きたかったな。終わってからとうのコーヅ氏本人より電話があり、リトテンのトキ君やECさんたちと飲んでるもよう。なんかめちゃくちゃ楽しそうな雰囲気。ゲーますます行きたかったな〜。とにもかくにも早く観たいもんです。うちの弟ももう観たみたいで、レゲエ史に残るフィルムと行っても過言じゃぁ無いって言ってた。あぁ、早く観たい。も〜チラシばっかり送ってこないでよ〜。

2006-10-11

みんなしあわせになってね〜!





ったく、うちの店でバイトをするコはみんな結婚することになっている。マリエちゃん、エリちゃん、エミコリン、トモちゃん、あ〜挙げていったらきりがない。そして今回はチカッピ!二年前にはいつもシクシクしていたのに、しっかりと幸せをつかんだもようです。毎回かわいい妹たちの結婚式ではウォンウォンなく私ですが今回も次の日にとんでもない顔になるくらい泣いてました。桜井神社での式も土地の力とお天道様の力を味方に付けてすばらしいものでした。ただ参道でなぜか私は新郎の足袋をはかせていた。チカッピは段取りの悪い新郎に少々ご立腹。笑えました。パーティ会場には神楽のピーヒャラどんどんのお囃子とともに入場。これがまたよかった。たくさんの人の取り柄をそれぞれ出したこのパーティ。ちょっとやそっとの人では現実化できないと思います。ふたりの人柄あっての大お祭りでした。どうぞ幸せになってください。そして心からおめでとう。

2006-09-29

飲酒運転


飲酒運転の取り締まりが厳しくなったこの頃。以前は呑みたい放題呑んで運転していたものです。あれはキャナルシティができたばかりの頃。友人が私の誕生日を祝ってくれることになり、二人でハイアットのバーで待ち合わせニューヨークスタイルキュージンヌでご飯を食べました。友人がごちそうしてくれ、ほろ酔い気分で店を出て次にどこへ行こうかと考えつつ彼女の車に乗り込んだ。地下の駐車場をでるとハイアットとキャナルの前の目抜き道りにでる。路肩に路駐の車がたくさん止まっていて道幅が少し狭い。その道の真ん中には大きな中央分離帯があり、何を思ったか彼女の運転する車は路肩に止まっている車を気にして中央分離帯めがけて加速しだした。駐車場をでて五分もたっていない。気がついたときにはフロントガラスで頭を打ちその当時長かった私の髪がクモの巣状にヒビの入ったその真ん中からべろんと引っかかっている。顔を恐る恐る触ってみると、どうも細かくくだけたガラスが刺さっているようでサボテンのようになっている。となりの彼女は鼻血ダラダラ。おしゃれしていった服は二人とも血まみれ。意識はしっかりしてまして、自分の携帯で救急車を呼びました。当時はこんなことあっても笑い話で済んだもんです。余談ですが、その後母が病院に駆けつけ開口一番、”運転しとったのは男ね?女ね?” 女よと私が答えると、“あぁ〜、男やったらこの機会にもらってもらったのに”と返された。大丈夫?などという言葉はありませんでした。

2006-09-22

REGGAEEという音楽に出会った頃


トップを飾って入った短大をいとも簡単に半年足らずで辞め、当時はやっていたマヌカンというやつを天神の松屋レディースでしていた。ビルの最上階にあるその店の前にはその頃にしては珍しいオープンカフェがあった。そのカフェは店を仕切る壁がなく腰丈くらいの柵でかこってあるだけ。その店のウエイトレスの女の子たちはアルプスの少女ハイジのようなワンピースに白いエプロンをつけて働いていてなんともキュート。その店から流れている曲はおおよそレゲエだった。今でこそ大流行りのレゲエであるがレコードすら売ってるところがないくらいの時代でした。そのヨーロピアンな店から流れてくるレゲエのリズムはなんともちぐはぐで、それが私にとってはなんとも都会的でおしゃれな気がしてたまらなかった。その店でよくかかっていたのがこのアルバム。んちゃんちゃという心地よいビートは当時のにおいすら思い出させてくれます。この頃のなんておしゃれな音楽なんだろうという気持ちがいまだに続いています。都会で聞くとよりいっそう都会的な気がし、田舎で聞けばそれはまた風にのって聞こえる。私にとって不思議な魅力のある音楽なのです。

2006-09-21

ジェーンバーキン


今でこそやっと責任感というものがでてきた私だが、20代の頃にはそのかけらもないやつだった。仕事より優先しなくてはならないものがゴマンとあった。かのジェーンバーキン様にあった時も彼女の講演会たるものの整理券を友人の分までとるために、そそくさと会社は体調不良でお休み。(私が行かねば誰が行く?お休み待ってたら彼女はフランスに帰っちゃう。と言い訳マンサイ)朝からその当時通っていた日仏学館に張り込んでいた。昼過ぎに学館にやって来た彼女を追いかけこっそりたった一枚人がサインをもらっている最中に写真をぱちり。そして勇気を振り絞りサインをねだった。名前は?と聞かれ習いたての仏語でマコですと言うと、持ってきたレコードジャケットにフランス風にMACOへと書いてサインをしてくれた。こういうことがあるとやっぱり会社になんか行かなくてよかった〜と喜んでいた生意気な盛りでした。あ、今でも生意気か…

2006-09-14

鎌倉だより




東京行き2日目は鎌倉へ行ってきました。鎌倉は今年どうしても行きたかったところ。今年まだ寒かったときに、お店のお客さんにそそのかされ興味本位でいった占い。小笹の近くで三十分500円。開口一番占いの先生は私に向かって“かまくら”と言った。その瞬間私にはある鎌倉の景色が目に浮かんだ。いっしょに行ってた友人たちは雪で造ったかまくらを思っていたらしい。占いの先生によると、私は前世でとてもおめかしをして鎌倉でデートをしていたらしい。で、是非行きなさいと…行けば12歳若返ると…これは行かない手はないでしょう。当日朝、弟がレンタカーを調達してきてくれ出発。久しぶりに走る第三京浜は以前と変わらない。懐かしい景色をフロントガラス越しに眺めつつ鎌倉に到着。まさにこれが残暑と言わんばかりのこの日、鶴岡八幡宮近くで車をパーキングに停めとりあえず昼食。この昼ごはんのほんのわずかの時間にパーキングのメーターは1200円を表示しており、我が一行は観光地の駐車代の高さにびっくりする。前の日に弟が鎌倉の知り合いにおすすめスポットを尋ねたところたった一件”瑞泉寺”を推薦された。ならばそこへ行ってみようとナビにお寺の名前をインプットし車を走らせた。まっすぐな道を左に曲がる指示、あともう少しというところで曲がり角が見つけ出せず曲りそこねた。と、そのとたんあの占いの先生が鎌倉と行った瞬間に浮かんだ風景が私の目の前に現れた。私は大興奮!横で弟は”どう?ねーちゃん若返った?”とにやついている。いやいや、神様が導いてくださったのでしょう。すてきな体験でした。ついた瑞泉寺がこれまたすてきなお寺。鎌倉時代からの風情ある見事な庭園にはこの季節可憐な秋明菊とはじめてみる玉紫陽花が花盛りでした。古くから吉田松陰や数々の文豪たちに愛されて来たお寺でした。はたして若返れたかどうかは疑問ですが、私にとってすてきな鎌倉でのひとときでした。

2006-09-13

東京だより


先週金土と東京に行ってきました。一日目はまず弟の家へ。3時にそこをでて浅草界隈をバスに乗って銀座線に乗り込む。さんやのおいちゃんなんかをひさびさに見れて楽しい。明日のジョーの泪橋も通ったよ。とりあえず青山、表参道をぶらつく。あまりに増えたブランド店の数にド肝を抜かれる。ひとりなのでただひたすら歩き疲れる。PM6時、デタミ繋がりで仲良くなったシライ君の働くchaopanic原宿店リニューアルパーティに顔を出す。Skaflamesのオオカワさんも来るかも…ってことだったのですが、次の目的地恵比寿へ。駅前のウエンディーズで弟と待ち合わせ代官山のUNITへ。たまたま大好きなミュージシャンであるビティマクレーンの日本公演(東京のみ)がこの夜にあることを知り、弟に無理矢理チケットをとってもらった。会場内はレゲエミュージシャンの見たことある顔がちらほら。壁にはまもなく公開されるRuffnTuffが流れている。いい時代の音に会わせて美声を聞かせてくれるビティはキュートなイングリッシュマンでした。かっこつけて少しヒールのあるサンダルを履いて闊歩したため足にまめがたくさんできヒーヒーいいながら弟の家にたどり着きました。

2006-08-19

ゲロ第二弾


ご無沙汰いたしました。写真は一般的な私の夕食です。キブンさんと佐予子との雑居生活から卒業してからも、私はしょっちゅう二人の家に行き夕食を作って二人が帰ってくるのを待っていた。ある日も夕食を作って待っていた。二人とも帰ってこない。遅い時間に佐予子の上司から電話がかかり、会社の飲み会で泥酔した彼女をタクシーで送るのでよろしくとのこと。当時キブンさんとの同棲は会社にはオフレコになっていて、私が電話にでてちょうど良かった。べろべろの佐予子帰宅。玄関からトイレへ直行。またもや悪夢!ゲロが〜的を外している!服も汚れている。奥のお風呂まで服を脱がせつつ連れて行く。佐予子がお風呂の間につかさずトイレ掃除…お風呂からあがった彼女をパジャマに着替えさせ(パンツははかせた)ベットに寝せようとしたら、あんたじゃないキブンさんは?キブンさーん!と暴れだした佐予子。あげくの果てには近くに合ったストーブやらなんやら投げつけられた。私は寂しくなりキブンさんに事の次第を書き置きして自宅へすごすごと帰った。いつもは電気がついてるはずの家に戻ったキブンさん。部屋の電気をつけると書き置きが一枚。あわてて佐予子を探すとお風呂の横でぐったり寝ている。あ〜、これは三人のいつまでたっても忘れられない笑い話なのです。三人それぞれから話を聞くのが一番おもしろいと思います。

2006-07-26

雑居時代


昨夜久々佐予子とさしで呑みまして、アンダーマコネタ満載です。私は20歳で東京に行って、最初に住んだとこは目黒の友人の家。そこは一週間もしないうちに引き上げ、佐予子ときぶんさんが住む巣鴨のアパートに転がり込んだ。佐予子の部屋だったところを私にあてがってくれ、三人での雑居生活が始まった。三人とも上京したて、三人とも貧乏。夜のご飯は私の担当。ひとり2、300円でまかなっていたよな〜工夫して…一度きぶんさんが転職中で余裕がなかったときには佐予子と私がパンにぬるマーガリンの量が多すぎると言ってけんかになった。私たちはきぶんさんのぬり方が雑なだけだと切り抜けた。きぶんさんが夜ご飯担当の時は白ご飯に博多からおみやげの明太子を一人一腹ずつ乗っけてくれて、それがすごく豪華だった気がする。お金無いのに博多から友人たちが来ればやれクラブだやれディズニーランドだと遊びまくり、月末にはどうやって食べていってたんだろうと思う。近所の居酒屋お福に言っては佐予子と泣きながら呑んでた。(まわりドンビキ)もう今となっては二度と訪れないであろう宝物のような日々だった。さてやつ(佐予子)との思い出には酒の話がつきまといます。ふたりとも異常に酒好きです。では笑えるやつを次回お話ししましょう。

2006-07-24

SAYOKO


ひさびさ佐予子からメールがきた。今、福岡に向かってるらしい。彼女とは20年以上のつきあい。小倉出身の佐予子は短大に通っているときに薬院で一人暮らしをしていた。このひとり暮らしというのがなんとも魅力的でしょっちゅう泊まりにいっていた。ただで泊まるのはよくないと思い一人暮らしを気づかってか、泊めてもらうときに私はいつも手みやげとして牛乳を一本持っていっていた。あとで聞いたが彼女は牛乳嫌いだった。ある日彼女の家に泊まっていた。私が先に彼女の家に着いていて先に寝ていた。深夜酔っぱらった佐予子が帰ってきた。玄関を開けるとすぐのユニットバスに入ったままでてこない。のぞいてみると便器の的を外しゲロまみれのやつがいる。彼女の服を全部脱がしシャワーを浴びさせ、着替えさせてベッドに運ぶ。明日のことを考えて風呂とトイレを掃除して、佐予子の横に寝た。翌朝、佐予子の一言。 ”ね〜なんであたしパンツはいてないの?”しるか!んなもん!パンツくらい自分ではけ!

2006-07-23

BLUESのLive


ブルースのライブに行ってきた。メンツはNHKおやじバンド選手権で全国優勝したと聞いている、ブーチーのマンちゃんが所属するインスタントグルーブというバンド。あんまりブルースって生で聞いたことなくってどんな感じなのかな〜?って思っていったけど、おもしろかった!曲が聞きやすいし、Vo.のヨシトシさんの歌が大変よかった。(ブルース歌う人ってみんな前かがみで歌うのがおもしろい)いい年こいたおっさんたちがやりたいことやってるって感じで、暑い夏に暑いブルース、気持ちよかったです。小さなライブハウスがギラギラしてる感じもよかった。また出かけてみよ〜って思いました。このバンド聞いててあっ清志郎はブルースがとっても好きなんだっておもった。RC Succesionをなぜか思い出した私でした。チカちゃんといっしょに行ってて気づいたら二時半だったのにはまいった。

2006-07-21

忘れもしない手術の日


かれこれ10年くらい前になるでしょうか、一週間ほど入院をしたことがあります。胆石で石が細かくたくさんできていたため胆のうそのものを取り除く手術を受けることになりました。内視鏡でチャッと取ってしまうのでそんなにたいした手術ではないのですがやはり全身麻酔されます。その麻酔が脊椎にうつのでとてもいたいためまず部分麻酔されます。この麻酔のときにベッドに正座をして先生を待っていると看護婦さんが主術服の着方が違うと言う、作務衣のように着ればいいのに主術の時の医師たちが後ろで結ぶ服を着ているのをテレビなんかで見ていたため無理矢理前後反対に着ていた。さて最初の麻酔、これでフワァットした気分になっていく。移動用ベッドにのせられる頃にはもう意識はない。が、このベッドに乗ってから手術室まで行く間、私は付き添いの母に向かって大きな声で“おか〜さん!あそこのラーメンうまいっちゃんね〜!”“あそこのスーパーの野菜は古かろーが〜!”など食べ物の話を延々しながら手術にのぞんだそうで母は恥ずかしくてたまらなかったそうです。手術って前の日から絶食させられるからおなかがぺこぺこでたまらなかったんだろうと思いますが私はいっさい覚えていない。手術が終わってすぐ先生に起こされる、手術台の上のライトを浴びながらここは一発先生ありがとうとか言おうと思うんだけど話そうとしたら麻酔が聞いてて口が思うように動かない。お尻を触ると厚紙で栓がしてある!けっこう踏んだりけったりの主術。病気はあんまりしたくないです。

2006-07-20

KOMOさんとKARBOさん


昨日はSGのフジさんの新しいお魚のお店”波乗り三太”のレセプションパーティでした。福岡のサーフィンを中心にした大御所の皆さんがお集まりになってました。私が十代の頃、世はサーフィンブーム。天神コアの三階にあるSurfergirlやAll american boy、Kshopなどに足しげく通ったものです。高校生の時はお金もあんまりなかったからお洋服もそんなに買えない。しかし、まるで洋服を買った気分が味わえるSurfergirlの袋が50円で売っていたのです。これを学校に補助バッグとして持っていくのが大流行りだったよな〜車の免許を取ってからは北九州や佐世保まで洋服買いにいってたよな。佐世保のNaturalHighには福岡にないブランドがそろってたもんな。で、この十代の頃から行ってたお店の方がこのKOMOさんとKARBOさん。この年になって一緒にごはん食べたりお酒飲んだりできるようになったのがあの頃からすれば夢のようです。私の中では九州一おしゃれな殿方たちです。遊び方も豪快です。まだまだ教えてもらうことがいっぱいなので、くらいついていこうとおもいます。

2006-07-13

月見てます


20代にはこんなことしたことがなかった。ひとりでゆっくり月を眺めるなんて…月見っていいもんです。お月さん出てくるの絶対夜だから、お月さんと一緒に呑める。都会にいるとついつい空を仰ぐことが少なくなる。だって、目の前の風景の空の分量が少ないもんな〜東京にいた時の住まいの窓から見えていたのはマンションの窓たち。月を見た記憶がほとんどない。それを思うと現在はなんてすてきなところにいるんだろうと思う。月はそれだけでカーンと出てくることはあんまりなくっていろんな形の雲を従えてやってくる。それがとてもすてき!これは昨日のお月さん。何気なく縁側に座っているとむこうからアプローチしてくるのでついついのせられて一緒に長いこといてしまう。ひとりの夜はもちろん寂しさもつきまとうのですが、こうやってお月さんと呑んでる私はとても幸せだと思うのです。

2006-07-10

久しぶりのクラブ



久しぶりにクラブに遊びにいってきた。それもハウスの…ハウスと言えば20代前半に足しげく通ってた西麻布の328ではじめて聞いたよな〜って思い出した。それまで横のりで踊ってのがハウスがかかると手を上に上げておどるようになった。あのころのクラブってのりで盛り上がってたよな。いついつイベントしますじゃなくて、ウワァ今日しらないうちに盛り上がってたよね、あのひともあのひとも来たしぃ〜って感じだった気がする。いつ盛り上がるかわからないからその日を逃したくがないためにしょっちゅう通ってた。あの感じ楽しかったな。今回行ったクラブでは入ったらライブペインティングが始まっててダンサーたちにもまれながら描いてるTASHI本人も踊りつつ絵まで踊ってる感じで躍動的だった。その雰囲気と音楽がとってもマッチしていて、あったまにはハウスもいいねぇって思えました。楽しいイベントに誘ってくれてこのイベントをオーガナイズしたカオリチャンあっぱれ!

2006-06-30

黄色の髪と紫の髪


子供の頃、父の転勤で埼玉県草加市松原団地というところに二年半住んでいた。普通の団地が四コ連なる大型団地で団地内には循環バスが走ってた。時は70年代初頭。あるとき団地の入り口、松原団地駅の近くにハンバーガーショップができた。まだマクドナルドもなかった時代。その店で飲んだだコーラの味はDr Pepperの味だった。子供にとっては薬臭く感じたものだ。この団地は日比谷線沿線で、週末の家族でのお出かけは浅草や上野動物園、銀座だった。あるときお出かけをした帰りに日比谷線に乗っていた。社内はラッシュだったのかけっこう混んでいて私はシートに座らせられ人混みを眺めていた。一組のカップルに目がいった。回りの人たちと違いひときわ目を引くド派手なごく彩色のサイケな格好で女の人はベリーショートの黄色の髪の毛、男の人はこれまで見たこともない長髪でその髪はなんと紫色。つり革につかまってたっていたそのふたりがいきなり座っている私の目の前で、ブチューっとKISSをしたのである。まだ小学校にも上がってなかった私はナマのKISSをいきなり見せられしびれてしまった。もう30年以上前の話だがいまだに私の脳裏に深く焼き付いている。その時のピメージビジュアルは横尾忠則のポスターまさにそれ、流れる音楽はSANTANA。あの人たちどんなおじさんおばさんになっているんだろう?

2006-06-28

ある夏の日に


ある夏の日に、友人から電話がありヨットに乗せてあげるから大原海水浴場までおいでと言う。友人と3人でボディボードを待って海岸まで行った。ヨットの底は深く海岸には寄せることができないため、ヨットまでそれで乗り付けようと思ったのだ。しかし一人の友人がフィン(足ひれ)を忘れたことに気づく。私は一人海へビーティング(ボディボードに捕まって足をバタバタさせて進む動作)して沖へ向かった。沖まででてしばらくするとライフセイバーのお兄ちゃんに声をかけられる。”波もないのにどうしたんですか?ながされてませんか?”私は”ちょっと人と待ち合わせをしてます。まもなく友人がヨットで迎えにきてくれるんです。”と答えた。するとライフセイバーの兄ちゃんが”ではお送りしましょう。”といってライフセイバー用の長いサーフボードの後ろに私を乗せた。ふたりして並んでパドリング(ボードに腹這いになって手で漕いで進む動作)その間私に見えるのはお兄ちゃんの割れたお尻。ふたりして進んでいると、おねーちゃんを乗せたモーターボートが近づいてきた。大丈夫ですか?と声をかけられこのお兄ちゃんに友人のヨットまで送ってもらってると伝えると、大変でしょうとモーターボートに乗せてくれた。かくして私はわらしべ長者のように友人のヨットにたどり着いた。

2006-06-27

屋久島にて


今のお店を開業する前、ひどく私は落ち込んでいました。体には帯状疱疹らしきものもできていたし…そんななか何を思ったのか屋久島へ行きました。深夜バスとフェリーで。同行人はユキちゃん。ひと月に35日雨が降るとか言う屋久島。私たちが到着した時ももちろん雨降りだった。ここまできたからには屋久杉を見に山登りをしようという私に対しユキちゃんは体調不良のため行かないと言う。昼から登って二時間後にいきついたところで戻ってくるから、レンタカーで迎えにきてもらうということで彼女とトロッコ道入り口で別れる。歩き出していきなり大きな川を渡らなければならない道に直面。道は橋でなくそのままトロッコ道の延長。幅は1メーターもなく下が透けて見える。高所恐怖症の私にとっては腰ガクガク失禁しそうな恐怖体験。ここで引き返してもあと5時間ユキちゃんをトロッコ道入り口でじっと待ってなければならない。勇気を持って歩き出しました。ほんとは四つん這いになって歩きたいぐらいの気持ちだったけど。その後そんな恐怖関門を3コぐらい抜けてウィルソン株までなんとかたどり着きました。帰りの山道でふと思ったのです。あの川に渡っているトロッコ道50センチ歩いている場所が違うと下へ落ちてしまう。生かされているんだな私、と。この度で気分も晴れ落ち込んでいた心も徐々に立ち直っていきました。人の心なんてふとした何気ないきっかけで気が晴れてしまったりするもんです。

2006-06-26

はじめてのハワイ


はじめてハワイに行った時、その2日前に行くことを決めた。ふらっと三泊五日。同行者はサヌイ君とハマ。ホテルも決めずに行って一苦労。まぁそれなりに浜辺を歩いたりブランドショップへ行ったりして楽しみ、食べ切れないほどのメニューを頼んで嫌な日本人観光客丸出しのイタリアンレストランでの夕食。あまりの量にこの日の夜ハマは一人浴室でゲーゲーし、翌日のパイナップル畑&Sunset Beachドライブではスーパーの袋に口がくっついたまんまだった。最後の夜のディナーはどうせならと金髪のグッドルッキングが運転するリムジンタクシーをチャーター。後部座席でガンガンお酒を飲みカラオケへ。最後の締めくくりの寿司屋には金髪ニーちゃんもご招待。気分を良くした金髪ニーちゃんは次の日も空港まで送ってくれると言う。翌朝金髪のニーちゃんが来る前にホテルが用意した、タクシーに乗せられてしまった私たち。ごめんね金髪ニーちゃん。パーッと遊びにいくのはいいよねハワイに。

2006-06-22

私の贅沢


まもなく自分でお店を始めて6年が経とうとしている。4年前に友人がお店でかけれるようにコンピレーションのCD をつくってくれた。そのなかにゆっくりとしたツービートで低い声で歌う男性ヴォーカルの曲が入っていた。私がその曲をとても気に入っていると、その声の主は浜口庫之介さんの息子である浜口茂外也さんという方の声だということがわかった。(浜口さんのhome pageです http://www.geocities.jp/motoya_hama/ 是非みてください)当時お店によく来てくださってたフジタさんが口をきいてくださり、お店のアニバーサリーにおよびすることができた。たった一曲の歌声ですごい方と出会えることとなった。浜口さんも、自分の声を聞いてよばれたのは稀なことらしく喜んでくださった。昨年は浜口さんのパーカッションとコーラスにのせてザ・ピーナッツのペピートを歌わせてもらった。これでユーミンやSMAPと同じ思いを我が庭で果たせたのである。なんと言う贅沢!

2006-06-20

緑の光線



休日の今日、ひさしぶりに海辺で夕日が沈むのを見た。少しずつ時間とともにあかく色ずく夕日を眺めていられるのは、休日のひそかな贅沢。最近の夕日は海に落ちる間際のところにガスなのか雲なのかがあって、なかなか海に落ちる夕日を見ることができない。ふと、エリック・ロメール監督の”緑の光線”という映画のことを思い出した。夏のバカンスを一人で過ごすことになってしまった、ちょっぴり寂しい女の子のおはなし。キーワードは太陽が沈んだ瞬間に緑色の光を見れるとその人は幸せになるというもの。私はまだその現象を見れたことがない。だからまだ幸せはきてない?それはさておき、あるとき古本をおいてあるカフェにて、その現象ズバリの絵はがきを手に入れた。場所はマダガスカルみたい。このカードを手にしたことですこし幸せが近づいたような気がしてきた。では皆さんにも写真にて幸せをお裾分けいたします。

2006-06-19

高津君の版画


かのDETERMINATIONSの高津氏は版画がとてもお上手。以前RIDDIMにも掲載されていた。ことあるごとに版画をプレゼントしてくれる。はじめていただいたのは平成15年のSUNSET LIVE。いただいた版画の数はけっこうな数になり、時々以前いただいたものと同じものが届くと版画だからそういうこともあるよねとにんまり笑える。最近いただいたのは写真のこれ。いつもは仏像なんかが多いのに、今回のこれは植物ですてき。PANXで指にまでタトゥが入ったその手でどんな顔をして彫っているのだろうと想像するととても楽しい。もし私がエッセイストになれたら、その時の挿絵は彼が担当してくれるそうです。ありがたいお話。現実になったらいいな。版画や絵は人の手から無限大の可能性を秘めてうまれてきます。そしてどうしてもその人の人柄がにじみ出てしまう。私も時々絵を描きますが、出来上がって自分の絵のメルヘンさにびっくりします。メルヘンなんて言葉はどうも苦手なのですが、どうしてもそうなってしまう。いい絵とは心がこもった絵だと思います。心を持って描くことにより、それを観たものにはちゃんとメッセージが届くのではないかと思います。どんな偉大な作家のものでもでも、幼児が描いたものでも…

2006-06-18

ゲバラ日記と夕日と拳銃


先日友人のブログを読んでいたら、むかし読んだ本のネタが書いてあった。私にとってはどんな本だろうと考えてみた。”ゲバラ日記”は何度も読もう読もうとトライするのだがなかなか読めない本の一冊。彼のレベルが高いんでしょうね。あんなにモーターサイクルダイアリーズはおもしろかったのに。”夕日と拳銃”は以前めちゃくちゃ面白くて噛み付くような気分で読んだ一冊でした。主人公の麟之介がとても男臭くてかっこいい。友人から借りてあまりに面白くて自分でも買おうと思ったら、絶版で売ってない。古本屋さんでも待ちの状態。ネットで買おうと思ったら、文庫本で上下刊それぞれ7000円ぐらいの値がついている。もう一度友人に借りて読んでみたのだがなんだか前と感覚が違う。どうも私が年をとってしまったらしい。泥臭い主人公に付いていけないのだ。そんな自分にがっかり。ハードボイルドや血なまぐさいフィクション好きなんです、私。男臭い男が出てきてガンガンなんでもあり、みたいなの。どうぞそんな方が目の前に現れますよう。

2006-06-17

LA DOLCE VITA



はたして、ドルチェビータだったのかどうかはわかりませんが、20代後半に一年間イタリア人の男性と生活をともにしておりました。朝は家の中庭のテーブルにパーッとテーブルクロスをかけて朝食の準備から始まります。エスップレッソマシーンでコーヒーの用意。フレッシュなオレンジをしぼってオレンジジュースをつくる。あとはパンケーキとかだったかな。彼の家の庭はとても広大でした。そして季節ごとにめくるめくいろんな花が咲く。家は二百年ほど前の農家の家を改造した作り。階段は石なのに弓なりにとけてました。夜は窓から握りこぶしくらいの大きさのオレンジ色の光が見えている。この光の固まりがフィレンツェの街。街の中心部から車で一時間くらいかかるモンテセナリオと言う街にすんでおりました。飲み水は家のもっと上の方まで汲みにいってました。それまで東京暮らしだった私にはなにもかもかカルチャーショックでした。いきなり田舎暮らしに打ちのめされたんです。気になるでしょどんな人と付き合ってたか。24歳年上の方でした。じゃまたつづきは気が向いたときに…

2006-06-16

サッカー観戦INナポリ


ちまたでは、ワールドカップの話題でもちきり。私も何度か観戦に行ったことがある。サッカー結構好きなんですよね。だって選手が男前ぞろいだもん。イタリアに住んでたときにナポリで観戦した。まだJリーグとかなかったんじゃないかな。フーリガンって言葉も知らなかった。スタジアムに入る時の規制があまりに厳しすぎてびっくりしたのを覚えている。飲み物は全部プラコップ。瓶やペットボトルだと投げた時危ないから。試合のことはあんまり覚えてない。そのあとの会場から友人の家まで帰るのが大変だったから。会場を出るや否や走らされたのだ。騎馬隊の警察の指示に従って。なんでこんなにサッカーの選手みたいに私たちも走んなきゃいけないんだろうってくらい。あとからニュースでわかったのだがその日ミラノから来ていたフアンに地元のナポリの子が因縁をつけ三人亡くなってしまったのです。ナポリはなかなか柄の悪い町でした。走ってる車はどれも信号を守りません。なので感覚で信号曲がらないとだめです。車を駐車したらみんな自分の車のハンドルやコンポを肩に担いで歩いています。そうしないと、車ごととられるのです。はじめて見たときにはそれを持っている人がみんな泥棒さんかと思いました。一人でタバコも買いにいけない町でした。そんな町で夜、友人たちとお出かけしてて帰りに友人の車の中に先に乗って待っていたら、一生懸命私たちを捜している。もう乗って待ってるよ〜!と言うとゲラゲラ笑われた。物騒なナポリではあえて車の鍵を誰もしない。私たちは友人の車の一台前の他人のくるまに乗って彼らを待っていたのだ!あ〜れ〜

2006-06-15

万引きもどき



昨日の夜、薬院六角近辺に佐世保のカーボウさんのNatural Highがオープンしそのレセプションパーティがありました。お祝いに駆けつけた面々は、SGのフジ社長、OHANAのコモさん、トミやん、DONIMEのハヤシさん、フセさん、エーボウさん、ダズさん、ゼンさん、ダイゾウ君、Sunsetのハヤシさん、にぎやかで楽しい夜でした。感激なのは、私が十代の頃に買いにいっていたお洋服屋のオーナーの皆さんと一緒にお酒が飲めるようになったこと。レセプションといえばDONIME GEARがオープンしたときにそのパーティでメーカーさんであるハヤシさんがいろいろ自分のとこの服を脱いだりきたりしていて、おもしろそうだったので私も便乗してお店の服をいろいろ試着してみました。そして試着した服を着たまま帰宅してしまいました。まぁ万引きってやつですね。後日もちろんそのお店のオーナーであるトミやんから請求書が届き、万引きではなくなりました。スミマセン!確かスカートはいていってたのに、まだ暑かったような気がするけど、このダウンとジーパンはいて帰ったのよね…

2006-06-13

ジュリアン・サンズ


あるとき、渋谷のクラブCAVEへ女の子の友達と二人であそびにいった。東京在住中、20代半ばだったと思う。二人でフロアをうろうろしていると、ものすごく素敵な外人さんたちのグループがいた。お酒を飲むと急に英語がペラペラとしゃべれる私は、ちょいと酒をあおりその素敵な集団へお仲間入りを果たした。私は一人のガーゼシャツを着てブロンドへヤーの殿方から声をかけられ、一緒におどっていたら”今晩一緒に帰らないか?”と誘われた。一緒に来ていた友人にその旨を伝えたら”すこしジュリアン・サンズに似てるけどあごのニキビが気になる”という。まぁ、その夜は彼らと大いに盛り上がっておわった。幾日かたって、その友人から連絡があった。“あの人本物のジュリアン・サンズだよ雑誌に載ってる!”と。見てみるとあの時のニキビもそのまま、映画界のスターたちによるコムデギャルソンとワイズの東京コレクションのモデルとして来日していたのだ。クーーーッツ!一緒に帰っときゃよかった!本物のジュリアン・サンズと!ちなみに写真はそのとき友達からもらった雑誌の切り抜きです。サンズサんは左上ね。

2006-06-12

たけしこうじ


昨夜、ひさびさにリトテンのメンバーとあった。去年の秋にTOKIくんとは二葉高次君と組んでる、たけしこうじの九州ツアー以来。写真はうちでライブをする前のふたり。小さな店舗のなかで演奏して、終わったらそのままその場に座って宴会が始まって、宴会が終わったらそのままそこに布団ひいて寝てもらいました。なんとライブハウスと、宴会居酒屋と、ホテルが同じ場所だったというすごい体験をさせてしまいました。二葉君は次の日パウダーの散歩に出かけて道に迷って帰って来れなくなって笑えた。あんまり長い散歩だったためパウダーはとっても二葉君のことが好きになった。うちでのライブをかわきりに、2週間で7本くらいのライブをして回ったんだよね。これが今回のリトテンツアーに繋がったみたいでよかったね。TOKIくんはとっても優しくて、ニンゲンの大きな人です。会うといっつもとっても嬉しくなる。また呑もうね〜

2006-06-09

FLIP


昨日の夜、珍しくシマダさんから電話があった。彼は私の記憶するところ、福岡で最初におどれる方のクラブをつくった人。知り合ってからかるく20年経ってしまった。シマダさんはヨーロッパでのお仕事を終え、日本に帰ってきて福岡にもクラブをつくったらかっこいいだろうなと思ってつくったらしい。私たちの知らない数々の海外の音楽、まだどこの店にも流れていなかったMTV。入るとすぐジェイルのようなDJブースがあっていつもだれかが皿をまわしていた。店のなかは真っ暗でコンクリートうちっぱなし。フロアの灯りは一本のレーザービームだけ。無機質な空間に大きな鏡がおいてあるだけだった。それまで行っていたDISCOがいきなり俗っぽく感じだした。まだおこちゃまだったくせに、NEW WAVEな格好をしてその店に通った。この店をかわきりに、Pink flag GAZENBO 一係 Nine Harfいろんなクラブができていった。シマダさんはまた最近遊びの虫がむずむずしてきたらしいです。おつきあいしまっせ!

2006-06-03

死ぬかと思ったドライブ



GWに東京から帰省していた。みんなでドライブへ行くことになり、車2台で西に向かった。まずはオープンして間もないSUNSETというお店へ。すこしくつろいでから野北の火山という山へ車で上った。この山にはハングライダー用の発射台がある。山の斜面に対して水平に突き出た台。パノラマで海が見わたせる。ここで高所恐怖症の私はみんなに手足をもたれニンゲンブランコをされた。駆け出しのお笑いタレントの罰ゲームのように…その後山を降りるのだが、先頭のシンイチ君がとばすとばす!私が乗っていた後続車はコウイチ君の運転。前の車に負けんとばかりぴったりくっついてすごい速度で山を下りていく。とそのとき、いきなりガーーーン!ワァ死ぬんだ私!と頭をかすめる。車体がガタガタしてとまった。動揺を抑えて外へでてみると見事に側溝に脱輪している。まだ携帯もない時代。場所は山の中腹。タイヤをじわっと上げるために近くから丸太を拾ってきてどうにか難を逃れた。2時間くらいかかったのかなぁ、この作業。人数たくさんいたから楽しかったよな。

2006-06-02

チアッチーとトモちゃんの結婚式


ふと、チアッチーとトモちゃんの結婚式のことを思い出した。ありぁ〜楽しかったねぇ!式のしめの万歳三唱で、私は、着ていた美しい燐のワンピースから一変、新郎の学生時代の真っ赤なジャージを新婦からこっそり借りておいて万歳のかけ声の人の後ろに付いて高砂の近くまで行って、一緒に万歳した。新婦の喜ぶ顔、新郎の困惑した顔、大満足の私。その後二次会、三次会と進み、どんどんみんな泥酔。私はおでんの汁に浸したカールをみんなにすすめていた。三次会の店の前で、新郎の友人が倒れていたので”大丈夫?”といいつつ、閉じたまぶたに開いた目をマジックでかいておいた。目をかかれた彼は広島から来ていたらしく、次の日、二日酔いのまま飛行機に搭乗。機内では寝ていたけれど寝てないように見えていたはず。広島について自分の顔の異変に気がついたそうです。ごめんあそばせぇ!

2006-06-01

地球交響曲ガイアシンフォニー第四番


え〜っと、何年前だっけ地球交響曲ガイアシンフォニー第四番の上映会をしたのは…マリエちゃんやヨウコちゃんのおなかにちびちゃんたちが入っていた頃。この映画のことが気になって何人かの人に尋ねたら、自主上映のシステムによって上映されることがわかった。”マコさん自分で上映会したらいいやん”と言うソワカ君の一言に背中を押され、同士を集めて自主上映会を開く運びと成った。口火を切ったソワカさんは会議に出席することもなく、沖縄へ飛んでしまった。この映画を上映するのに志摩町でしたかったけど志摩町の役場の方達はこの映画のよさを全然把握してくれなかった。変な宗教映画と勘違いされたみたい。結局、伊都文化会館で上映しました。集まった同士たちは上は70歳、下はマイナス0歳、いろんなタイプのニンゲンたちが集まっての上映会までの日々。楽しかったよね。