2021-03-14

「いとの森の家」の旅

 




美術学校を卒業した私は、学校の先生のご主人が経営するデザイン事務所に就職先が決まった。そこで初めて彼女と出会った。かれこれ30年前の話だ。入社して間もない頃にあなたはどんな音楽を聴くの?と聞かれて、「演歌からレゲエまで何でも聴きます」と応えたら、(あぁ、この人とは仲良くなれそうにないな)と彼女は思ったらしい。


ガンガン仕事をこなす彼女は、それまでの仕事ができる女性の私のイメージを払拭した。彼女が選ぶ服装や音楽、映画、デザインの作品などには私の好みと重なるものがたくさんだった。バブルが弾けた頃の東京で美味しいものを見つけ出してたくさん食べに行ったし、好きなミュージシャンのコンサートやライブにもよく一緒に出掛けた。

彼女が通っていたから、真似してフランス語まで習いに行った。


通っていたデザイン事務所を辞めて、独立した彼女はフランス語の留学でパリに行った。私はイタリア暮らしをしていた頃で、イタリアから帰ってきたら彼女のいるパリに遊びに行きついでに南仏旅行まで一緒に出かけ、今では彼女のご主人である当時の彼氏にも出会わせてくれた。



それから長い間出会うこともなく、手紙をやり取りすることもなくなってしまっていたある日SNSのメールに彼女からのメールが入り、彼女が二人の女の子を育てながらフランスの郊外に住んでいることなどを話してくれた。

「会いたいね。」そういうと、おいでよ。と軽く言ってくれる。本当に行くよ。近所の安ホテルを紹介して、というと どうして?うちに泊まりなよ。と言ってくれ、5年前にフランスへ会いに行った。


そして今年のお正月。「今、巣鴨にいます。」と、大人になった二人の娘たちの写真が送られてきた。どういうこと?

このコロナ禍の中、彼女のお母さんが危篤で11月に日本へ帰国。PCR検査を受けた後二週間の隔離、その後青森にいるお母さんに会えたのはガラス越しの20分間。そして、少し落ち着きつつあったコロナが再び猛威を奮い出しフランスに帰れなくなってしまった。しょうがないので娘たちと3人で豊島区辺りにゲストハウスを見つけて住んでいるらしい。


お正月もずいぶん過ぎた頃、その後どうしてる?と連絡を入れると3月中旬にフランスに帰れるようになったと。よかったね、それまでに時間があったら福岡に来ない?と誘うと二つ返事で来福することに。

3月頭に来福することになり、お互い口には出さなかったが久しぶりの再開にワクワクしていた矢先に彼女から一通のメール「昨日母が息を引き取りました、今から青森に行ってきます。今回の福岡行きはひとまず延期します。」


それから一週間後、彼女は福岡にやってきた。あの頃はどうだった、あそこのあれはおおいしかったね、話は尽きない。お互いの好きな本を紹介し合い、やっぱり三島由紀夫は最高だね!というところに行きついたり、輪廻転生だよね、豊穣の海だよねと頷き合ったり、「そういえば春樹さんは三島が好きじゃないし読んだこともあんまりないって言ってる割には女性の描写がすごく似てるのよ、特に『羊をめぐる冒険』と『夏子の冒険』がかぶるの。

好みが似てると、共感するものへの反応も似てくる。

「パピコの前の犬が亡くなる時に「死ぬ」って言葉が空から降ってきたんだよね。」

「あ、私も今回母が亡くなるときに3つ感じたことがあった。

一つ目はまだ日本に来る前。もう数年前から認知症が進んでまともに会話ができなくなった母から電話がかかってきてね、天国にいるお父さんが準備ができたからそろそろおいでって言われたのよ。って言ってる、そんな夢を見たの。 で、二個目は11月から日本に来てて、でもこれと言ってやることもないし娘たちとスーパー銭湯とか行ったりして、こんなことしてていいのかなぁ?なんて思っていたら私の体に母が入ってきたような、すぐ近くで母もお風呂を楽しんでいる感覚を覚えたの。で、これでいいんだって思った。3個目は映画おくりびとみたいにね、亡骸を拭き上げているときに、あもうここに母はいないって納得した。

単なる私の解釈なんだけどね。」

久しぶりに会った彼女との会話を俯瞰しているわたしは、まるでドラマ「いとの森の家」を見ているようだった。


おみやげにもらった本。