2009-12-25

クリスマスの夜に


クリスマスに自分へのプレゼントに本を買いました。
ポーモン婦人の『美女と野獣』
この話しもおもしろいのですが、
この話しの次におかれていた『二人の王子さま』
という話しは、とてもわたしの心に残るモノでした。
人は育っていく過程がちがうと、どんなにいい境遇で生まれても不幸だったり、
厳しい試練を耐えぬくとより優しくすばらしい人格が形成されていく。
さまざまな登場人物たちは、あれ、こんな人どこかに…(笑)
童話って、やっぱり奥が深いなぁ
ネットでどこかにのってないかなって探したけど、見つからなかったので
がんばって打ち込んでみました。
わたしからみなさんにクリスマスプレゼント

『二人の王子さま』

 昔一人の王妃さまがおりました。この王妃さまには類いなく美しい、二人の男の子
がありました。王妃さまのお友だちにひとりの仙女がおりました。王妃さまに、この
プリンスたちの名付け親になって、何か贈り物をしてくれるようにと頼まれると、仙
女はこう申しました。
『お兄さんのほうは、二十歳になるまで、あらゆる不幸を味わうだろうね、そこで、
わたしはこの子をファタール(不運な子供)と名付けてあげよう』
この言葉を聞くと、王妃は悲鳴を上げて、仙女にそんな決心を代えてくれるように哀
願しました。
『あんたは自分がなにを頼んでいるか、その意味が分かってないんだよ』と仙女が王
妃に申しました。『もしこの子が不幸な目に遭わなければね、この子は悪者になって
しまうよ』
 これを聞くと王妃はもう何も口に出す勇気はありませんでしたが、ただせめて二番
めの息子のために送るものは自分に選ばせてくれ、と仙女に頼みました。
『きっとあんたは、ぜんぜん見当はずれのことを選ぶだろうね』仙女が答えました。
『でもかまわないさ、あんたが子のこのために頼むことなら、大喜びでその通りにし
てあげるよ』
『お願いですから、この子がしたいと思うことは、いつでも何でも思ったとおりにな
るようにして
ください』王妃が申しました。『つまりそれは、非のうちどころのない、りっぱな人
間になる方法ですものね』
『おそらくそれはあんたの思い違いだと思うけどね』仙女が申しました。『だから、
あの子を申し出のとおりにしてあげるけど、ただし二十歳までだよ』
 このかわいい王子に乳母がつけられました。ところが、三日目になるともう、お兄
さんの王子の
乳母は熱病にかかってしまいました。そこですぐべつの乳母をつけると、今度はその
乳母が足を折ってしまう始末です。こうなるともう、だれひとりこの王子の乳母にな
ろうというものはなく、そばに近づくものもなくなってしまいました。哀れなこの子
供はお腹が空いて、大声でわめきましたが、だれひとりこの子がかわいそうだという
者もおりません。ちょうど、ひとりとても貧乏な肥った百姓のおかみさんが、もし自
分にたくさんお金をくれれば、この子の面倒をみてもいいと申し出たので、王様も王
妃さまも、この女を乳母にして望みどおりのものを与えてやりました。


フォルチュネ(幸運な王子)と名付けられた二番めの王子のほうは、反対にりっぱな
成長ぶりでした。両親は狂気のようにこの王子をかわいがって、上の王子のことなん
かちっとも考えませんでした。ファタールが預けられた乳母は悪い女で、すぐには自
分の家へ帰りませんでした。王子がくるまっていたきれいな肌着を王子からはぎとっ
てしまい、ファタールと同じ年ごろの自分の息子にそれを着せ、この哀れなプリンス
を汚いスカートにくるんでしまいました。そして野獣がたくさん住んでいる森の中へ
王子を抱いていき、食べられてしまえ、とばかりに、三頭のライオンの子といっしょ
に穴の中へ王子を置き去りにしてしまいました。
 ところがライオンの母親は、王子に何の害も与えませんでした。それどころか反対
に王子に乳を含ませてやり、王子がうんと丈夫になるように育てたので、六ヶ月もす
るとひとりで駆け回れるようになりました。いっぽう、百姓のおかみさんが王子とし
て育てていた、おかみさんの息子のほうは死んでしまったので、王様も、王妃さまも
王子はもう死んだものと信じ込んでいました。
 ファタールは二歳になるまでは森に放っておかれましたが、ある日、狩りに来た宮
廷の貴族が森を通りかかって、けものたちにまじって遊んでいる王子に出会ってびっ
くりしてしまいました。その貴族はこの子供をふびんに思い、自分の家に連れ帰ると、
ちょうどフォルチュネ王子の友だちになる子供を探していることを聞いたので、ファ
タールを王妃さまに引き合わせました。フォルチュネには、字を読む勉強をするため
に、先生がつけられておりましたが、先生は絶対に王子を泣かせるようなことはまか
りならぬ、と命令されておりました。前からそれを聞いていた若いプリンスは、本を
取るたびに、わざと泣いてみせるのでした。こんな具合ですから、五年たっても王子
は字を知りませんでしたが、反対にファタールのほうは完全に字を読むこともでき、
そればかりかすでに字も書けるくらいでした。
プリンスを脅すために、先生は、フォルチュネが宿題を忘れたら、そのたびにファタ
ールのほうを、鞭で打ってやりなさい、という命令を受けました。ですから、ファタ
ールはどんなにいっしょうけんめいにおとなしい子になろうとしてもむだで、無知で
たたかれるのを逃れることはできませんでした。
 もとよりフォルチネはわがままで、意地悪だったので、いつも自分の兄さんにひど
い仕打ちをするのでした。もっとも兄さんといっても、フォルチュネはそのことをし
らなかったわけですが。こんなふうにして、二人は十年間を過ごしましたが、このこ
ろになってようやく、王妃は自分の息子の無知を知ってとってもびっくりしてしまい
ました。
『仙女があたしを騙したんだわ』と王妃が申しました。『あたしの息子は、あらゆる
プリンスのうちでもいちばん学問ができると信じていたわ、だって、あたしは、王子
がやろうとすること思った
ことならなんでも成功できるようにってお願いしたんですもの』
 そこで王妃は、この問題について仙女に相談にまいりますと、仙女はこんな返辞を
しました。
『王妃よ、あなたの息子さんには、才能なんか願うより、むしろ善意をお願いすべき
でしたね。あの子はね、悪くなることしかのぞまなかったのさ、そしてそのとおりに
なったのさ、ごらんのとおりにね。』
 王妃にこんな言葉を言ってしまうと、仙女は王妃に背を向けました。
 その間にプリンス・ファタールは学問も心の優しさもすっかり身につけておりまし
た。ファタールは反対されることにすっかり慣れてしまったので、もう自分の意志も
もたず、ただひたすらにフォルチュネの気紛れな気持ちを読み取るように心掛けてお
りました。ところがこの意地悪な王子は、自分よりも優れているファタールを見ると
かんしゃくを起こして、とうとう王妃さまに、もうファタールの顔も見たくない、
ファタールをこの宮殿から追っ払わなければ、あいつを飢え死にさせてやる、などと
申し出る始末でした。
 こうしてファタールは道にほうり出されました。それに王子のご機嫌を損ねるのが
怖いので、だれひとりファタールを迎えてくれる者もありませんでした。ちょうど冬
のことだったので、ファタールは洞窟で一夜を過ごしたものの、寒さのために死にそ
うで、夕食といっても、かわいそうだか
ら、と恵んでもらったひとかけのパンしかありませんでした。
 そのよく朝、ファタールは目をさまして、ひざまずき、お祈りをはじめました。そ
こへ通りかかった旅人が王子の姿を見つけて、心の中でこんなことを申しました。
『この子はきっと正直な少年にちがいない。わたしの羊の群れの番人にこの子を雇い
たいものだな。この子を助けてやれば、神様はわたしを祝福してくれるにちがいない』
 旅人はファタールのお祈りがすむのを待ってこう申しました。
『ネエきみ、わたしのところへきて、羊の番をする気はないかね?もちろん食事のほ
うは引き受けるし、いろいろ面倒も見てあげるよ』
『ぜひやらしてください』とファタールが申しました。『できるかぎりあなたのお役
に立つようにいたしますから』
 このお百姓は大きな農園主で、ずいぶんたくさんの召使いを使っておりましたが、
召使いたちはしょっちゅう主人のものを盗んでおりました。お百姓の妻や子供たち
までそのお百姓をごまかしておりました。ファタールに会って、連中は大喜びで。
こんなことを申しました。
『まだ子供だよ、こんな子供ならあたしたちの思いどおりになんでもやってくれる
だろうさ』
 ある日、細君がファタールにこんなことを言いました。
『ネエおまえ、うちのひとときたらけちんぼでね、あたしにけっしてお金をわたし
無いんだよ。あたしが羊をつかまえるのを見逃しておくれ、なあに、狼が羊を盗ん
だって言っておけばいいだろ』
『奥さん』とファタールが答えました。『ぼくは心からあなたの力になりたいんで
すが、でも嘘をついたり、泥棒になるくらいなr死んだほうがましですよ。』
 細君はその言葉を聞くと、ファタールにとびかかって、ファタールに平手打ちを
くわせ、髪の毛をむしりとりました。ファタールが泣きだしたので、その声を聞い
た農園の主人が、細君に、どうしてこの子を殴ったりしたんだい、と尋ねました。
『ほんとに、この子ったらくいしんぼうなんですよ』と細君が申しました。『市場
へ持って行こうと思っていたクリームを一瓶、今朝この子がなめているところを見
ちまったんですよ』
『あきれたやつだ!くいしんぼうだっていうのはいやしいことだぞ』と主人が申し
ました。そしてすぐに召使を呼んで、ファタールを鞭で打つように命じました。
ぼくはクリームをなめたりしません、とこの哀れな子供がいくら言ってもむだでし
た。みんなこの子供より女主人のほうを信用していたからです。でも、この意地悪
な女にとっては、復讐はそれだけでは充分ではありませんでした。他の召使一同に、
ファタールをいじめるように約束させたのです。
 ファタールは昼も夜も野原に放っておかれて、他の召使たちのようにちゃんとし
た食物を与えられる代わりに、細君は水とパンを届けてやるだけでした。家に戻っ
てくると、細君は家のなかに起こった悪いことを全部ファタールのせいにしてガミ
ガミと言うのでした。ファタールはこの農園主のところで一年ほど暮らしました。
地面に寝て、ひどい食べ物ばかり食べていましたが、ファタールはとてもりっぱな
体格になって、ようやく十三歳になったばかりなのに、充分十五才ぐらいに見えま
した。もちろんファタールはずいぶん辛抱強くなっておりましたので、見当違いの
ことでだれかに怒られても、そう気に病まないようになっておりました。


ある日のこと農園にいると、隣国の王様が大戦争を始める、という噂を耳にしたの
で、ファタールは主人に暇をもらって、その王様の国まで歩いてやっていきました。
兵隊になろうと思ったのです。ファタールはある隊長の部隊に入隊しましたが、こ
の隊長は大領主で、ただとても乱暴な男だったので、みんなに軽蔑されておりまし
た。この意地悪な隊長のもとでファタールはあの農園主の家にいた時よりも、もっ
ともっと不運な目にあいました。ファタールは十年間の約束で入隊したのですが、
たくさんの仲間がどんどん逃げていってしまいました。けれどもファタールは仲間
の例を見習おうとはけっして思いませんでした。ファタールはこんなことを言って
いたからです。『ぼくは十年間奉公するという約束でお金をもらっているんだ。も
し、約束を破ったら、ひとのも
のを盗んだのと同じことになるじゃあないか』
 隊長は意地の悪い男で、他の兵隊を扱うのと同じようにファタールにもずいぶん
とつらく当たりましたが、ファタールは隊長を尊敬する気持ちを捨てることができ
ませんでした。それというのも、ファタールには隊長が自分の義務をつねにりっぱ
に果たしているのがわかったからです。隊長はファタールにいろいろな使いを頼ん
でお金をくれました。そしてファタールは、隊長が戦場に出かけたり、友だちと一
緒に食事をするときなどは、隊長の部屋の鍵を預かることになりました。この隊長
は読書は苦手でしたが、でも自分を尋ねてくる人たちに、自分がひとかどの教養の
ある男だと思わせたかったので、大きな図書室をもっておりました。ファタールは
兵隊としての自分の任務を負えると、仲間の兵士たちとお酒を飲んだり、バクチを
打ったりする代わりに隊長の部屋へ閉じこもって、偉人たちの伝記を呼んで軍人と
しての仕事をいっしょうけんめいに学んだので、もう充分軍隊を指揮
できるようになりました。
 とうとう戦争が始まったときには、ファタールが兵隊になってからすでに七年も
経っておりました。隊長は自分で六人の兵隊を率いて、小さな森を偵察に出かけま
した。そしてこの小さな森に着くと、兵隊たちは低声でこんなことを言いました。
『この悪者は殺しちまわなけりゃいけねえ。なにしろこいつは、オレたちをずいぶ
ん杖で撲りつけたり、俺たちのパンをごまかしたりしているんだからな』
 ファタールはそんな卑怯なことをしないようにみんなを説得しましたが、その言
葉に耳をかすどころか、兵隊たちは、隊長といっしょにこいつも殺っちまえ、と言
って、五人とも槍を構えました。ファタールは隊長の味方になってすばらしく勇敢
に戦ったので、ファタールひとりでこの兵隊のうち四人までも殺してしまいました。
隊長は、ファタールが自分のいのちの恩人だったのをみて、自分が今までファター
ルに下いろいろな意地悪について、許しを請いました。そして、自分の身の上に起
こった事件を王さまに話しましたので、ファタールは隊長に任命され、その上王さ
まに莫大な手当を賜りました。
 新しい任務についても、ファタールは兵隊たちから慕われました。その間に大戦
争が起こって、軍隊を指揮していた将軍が討ち死にすると、兵士もみんな退却し始
めましたが、ファタールは卑怯者として退却するよりは、武器を手にしたまま戦死
するほうがりっぱだぞ、と大声で叫びました。
すると兵隊たちは、口々に隊長を見捨てて逃げたくない、と叫びました。ファター
ルのりっぱな姿がほかの兵隊たちに恥ずかしい気持ちを起こさせ、みなファタール
のまわりに列を作り、勇敢に戦ったので、とうとう敵の王さまの王子を捕虜にして
しまいました。
 王さまは、ファタールのおかげでこの大勝利をえたことを知るとたいへん満足な
さって、ファタールを全軍の総指揮官に任命しました。王さまはファタールを王妃
さまと、娘のプリンセスに紹介いたしました。ファタールはプリンセスを一目見る
と熱烈に彼女を愛してしまいましたが、慎重にこの愛情を心に秘めておきました。
 ところがファタールは、フォルチュネがグラシューズ(優雅な姫)という名のこ
のプリンセスの肖像を見て、グラシューズと結婚したいと思い、彼女に結婚を申こ
込むために大使を送ってきた、ということを知りました。ファタールは悩みに悩ん
で、息も絶えるような心地がしました。ところがプリンセス・グラシューズのほう
では、フォルチュネが卑怯で、意地悪な王子だ、ということを知っていたので、父
上の王さまにあの王子とむりに結婚させないでください、といっしょうけんめいお
願いしたので、プリンセスはまだご結婚なさる意志はない、と大使に返辞をいたし
ました。
 今まで一度も人に反対されたことのないフォルチュネは、プリンセスの返辞が彼
のところへ届いたとき、火のように怒りだしました。王子になにひとつ反対できな
い父君は、しかたなくグラシューズ姫の父君に対して宣戦布告をしましたが、これ
を知った姫がたいそう心配いたしますと、父君はこんなことをおっしゃいました。
『わたしの軍隊の指揮官にファタールがいるかぎりは、打ち破られる心配なんかな
いよ』
 王さまは将軍を呼びにやり、将軍に向かって戦争の準備をするように呼びかけま
した。ところがファタールは王さまの足下に身を投げかけて、わたくしはフォルチ
ュネ父君の国で生まれました、自分の王さまと戦うことはわたしにはできません、
と申しました。グラシューズの父君はたいへんお怒りになって、ファタールにもし
わしの命令に従うのがいやならば、おまえを殺させてやる、反対にもしおまえがフ
ォルチュネに勝ったならば、娘をおまえの嫁にやろう、と申しました。狂気のよう
にグラシューズを愛していた哀れなファタールはあぶなくその気になりそうになり
ましたが、とうとうファタールは自分の義務を果たそう、と決心しました。王さま
にはひと言も言わず、ファタールは宮廷を去り、自分の財産もすべて捨て去りまし
た。


さていっぽう、フォルチュネは、この戦争のため自ら陣頭に立って指揮をとってお
りましたが、四日ばかりすると披露がもとで、どっと病み、床に付いてしまいまし
た。なんといってもいままで一度もからだを鍛えたことなどないので、とてもデリ
ケイトな体をしたいたからです。ちょっと暑かったり、寒かったり、どんなことで
もすぐ病気になってしまうのです。ところが、フォルチュネのご機嫌をとろうとし
た大使が、王子にむかって、わたしはグラシューズ姫の宮廷で、わたしがその昔こ
の宮殿から追っ払ったあの小僧に会いました、なんでも人の話しによると、グラシ
ューズ姫の父君はあの小僧に姫をめあわせると約束なさったそうでございます、と
つげ口をしました。このニュースをきくと、フォルチュネはものすごいいきおいで
怒り、病気が癒るとすぐに、グラシューズ姫の父君を王座から追放するために出陣
し、予のところへファタールめを連れてまいった者には莫大な賞金を取らせる、と
約束しました。フォルチュネは大勝利をおさめましたが、その実、王子は自分が討
ち死にするのが、恐ろしいので自分は戦いませんでした。とうとう敵の首都を包囲
してしまい、いよいよ攻撃をかけようと決心いたしました。ちょうどその前日、太
い鎖に繋がれたファタールが王子のところへ連行されました。というのは、ファタ
ールを探し出そうと、おおぜいの人間を道路に配置してあったのです。サァ、これ
で恨みが晴らせるぞ、といい気持ちになったフォルチュネは、攻撃にかかる前に、
敵の見ている前でファタールを血祭りにあげ、首を打ち落とさせてやろうと、決心
いたしました。
 ちょうどこの日は、王子が二十歳になった誕生のお祝いのために、将校たちにド
ンチキ騒ぎをしてもよいという命令が出ておりました。町のなかに包囲された兵隊
たちは、ファタールが捕らえられ、一時間後にはファタールが首を斬られてしまう、
ということを知ると、ファタールを助け出すか、そうでなければ戦死するかだ、と
悲壮な決心を固めておりました。それというのも、ファタールが自分達の将軍だっ
たあいだ、兵隊たちにほどこした、さまざまな親切を思い出したからです。兵隊た
ちは王さまに町から討って出るお許しをえて、今度は見事に敵をやっつけました。
仙女がフォルチュネにさずけた幸運の贈り物はもう期限が切れていたのです。退却
しようとしたとき、フォルチュネは敵に打ちとられてしまいました。
 兵隊たちがファタールの鎖を解こうと駆け寄りました。ちょうどその時、空にあ
かあかと灯りの輝いた馬車が二輛現れるのが見えました。一輛の馬車には仙女が、
べつの一輛のほうにはファタールの父君と母君が乗っておりましたが、二人ともぐ
っすり眠り込んでおりました、馬車が地上に降りたときになって、ようやく二人は
目をさましました。そして二人は、自分達が軍勢のまん中にいるのを見てびっくり
してしまいました。そのとき仙女は、王妃さまに話しかけて、王妃さまにファター
ルを引き合わせ、そうしてこんなことを申しました。
『王妃よ、このヒーローがあなたの上の息子だということが分かりますか。この子
がさんざん味わった不幸が、この子の、乱暴で、すぐ頭にカッとくる性格の欠点を
直したんですよ。反対に、フォルチュネのほうはね、生まれつきはなかなか性格の
いい子だったんだけどね。まわりの者のおべっかですっかり甘やかされてしまった
んですよ。だから神はあの子が長生きすることをお許しにならなかった。なにしろ、
日一日と悪くなるばかりだったからね。あの子は今しがた討ち死にしたところです。
でもね、あの子が死んだからって嘆くにはあたりませんよ。よおくお聞きよ、あの
子はね、自分がなかなか王さまになれないのにうんざりして、自分の父親を王座か
ら追い落とそうとたくらんでいたところだったんだから』
 王さまも王妃さまも本当に驚いてしまいましたが、みんなが口をきわめてほめそ
やすのをきいておりましたので、心から喜んでファタールを抱擁しました。
 プリンセス・グラシューズも父君もファタールの不思議な身の上話を聞いて大喜
びでした。そしてファタールはグラシューズと結婚し、姫といっしょに永いあいだ、
なかむつまじく暮らしました。というのは、二人の仲は美しい心で結ばれていたか
らです。

2009-12-16

孤独と悲しさの理由


 池沢夏樹 著 『未来圏からの風』

という本の中に、
ダライラマとの対話で
以下のようなくだりがある。





『ダライラマ〜
ある種の精神的な訓練によって、あるいは新しい概念を通じて
より幸福な人間になることができる。
つまり精神的な訓練による内的な心の平和が得られる。
そういうことになれば、外部の力は心の平和にほとんど影響しない。


Q 池沢夏樹 
人の魂はみなそれぞれ塔の上に一人だけすんでいる。
他の人をみることも話すこともできるが抱き合うことができない。
魂は身体の内部に閉じ込められ、魂同士は融合できない。
誰かを愛してもそこには距離がある。
僕の心は誰かの心と解け合うことはない。
これが孤独と悲しさの理由でしょうか?


A ダライラマ
別の角度から…
本当の愛や慈悲はお互いの敬意と愛の上に生まれる。
本当の調和に肉体という隔たりはあまり問題ない。

平和への欲望とか幸福を望む気持ちとか、
あるいは困難に克つ力、問題を解決する力を共有する点では同じ。
それがわかれば、当然、お互いの間に敬意が生まれる。
それを基礎にしてお互いの調和と慈悲をのばすことができる。
肉体の中に捕らえられていることは重要ではなくなる。

逆の場合には肉体同士は近くても、いつも争うことはあるだろう。
大事なのは精神のレベルにおける近しさの方でしょう。』


わたし好きなんですよねぇ〜
このくだり
そう、精神のレベル…

2009-12-15

店休日の会話


どんどん寒くなっていく12月の空
寒いときほど人の心の暖かみがしみるように感じる。

素敵な出会いがありました。
糸島で半世紀、店を繁盛させる流儀をききました。
仕事を持続させるこつをききました。
同じ高校の先輩でした。
きらきらと輝くその人に出会えたので、あまりのうれしさに
そのことをすぐに、率直にその方に伝えました。
”はっきりしてますねぇ〜”
と言われ、
“すぐに伝えないとわかってもらえないでしょう?”
と、とっても嬉しい顔をしてお礼を言って別れました。

きらきらと輝くその人に出会わせてくれた友人に
ここのところすごくお世話になっており
こころから、こころから
”いつもありがとうね”
と、言っていたら
”『この前マコさんに、ありがとうありがとう』
ッて言われて、照れくさくなって、私はナンにも言い返せなかったよ”
と、言う彼女
私は彼女にこう説明した。

ここ最近ね、私は”またいちの塩”のHP http://www.mataichi.info/test/091213/を作る仕事を手伝っているの。
ここを取り仕切っているH君という青年は、
困ったことがあると、すぐに相談にきてくれて私を頼りにしてくれる。
それもうれしいしね、他にもきっと相談相手はいっぱいいるんだろうけどね。
何より私が彼のために、労を惜しまず動きたくなる原動力ッてね
毎回、彼がきらきらとした目をまっすぐにむけて、
もしくは、電話で話した最後に
こころをこめて『ありがとうございます』ッて言ってくれるからなの。
私はそのありがとうが、ものすごく心がこもっているのがわかるし
だからこそ、何でも言ってね、と言いたくなるし、
彼にはたくさんの情報や、とびっきりのすばらしい人を紹介したくなる。
人が動く力ッてそんなモンじゃない?
だからね、こういうイイコトってどんどん伝染させていくといいと思うんだ。
恥ずかしくって返事ができなかったってコトはそれだけうれしかったってコトでしょう?
ならば、次は他の人にしてみてね。

そんな会話が弾んだ
寒空の店休日の楽しいひと時でした。

うれしかったことは、率直になるべく早く伝えたほうが効果が絶大。
でないと、廻りや、相手は、うれしくなかったのかなぁ〜?
あんまり私って喜ばれてない?ッて思うもんね。

2009-12-12

ころあい


ころあい
物事には頃合いッてもんがあるなぁと、つくづく思う。
きのうでもなく明日でもなく“今日!”みたいな…

アサガオの種を一生懸命、秋にまいても芽が出たとして育たないだろう。
どんなに美しいクリスマスのデコレーションも、夏に見たらおばかさん。
とってもおいしいお雑煮も、12月に食べていたら意味が無い。
春にやっと咲くからチューリップはかわいい。
桜の木の下で、夏休みが終わりは無いだろう。
ブリを夏に食べても美味しくないし。


人との出会いのタイミングや
物事が出来上がっていく行程も
宇宙が成り立っているのも
すべて、ある一定の秩序が無ければ美しくなく、成り立つ訳が無い。
ごり押しはいかんね、くずれていく。
そう、何だって頃合いッてもんが必要なんよね。

2009-12-11

柘榴


いっぱいいっぱいになったザクロが弾ける。
中には美しい真っ赤な真っ赤なプツプツの実。
いっぱいいっぱいになったこの実はどこへ行くの?
地面に落ちて、新しい目をだすの?
かわいいあのコの口の中にほおりこまれるの?
それとも、かわいい小鳥たちや小さな動物たちの冬の蓄え?

いっぱいいっぱいになった思いや考えは、自然の流れとともにパチンと弾ける。
その思いはどこでどう消化されるんだろうね?
固い殻に隠されていた、その瑞々しくって美しい赤い実はどこでどう実を結ぶの?
きっと誰かを喜ばすために適材適所に向かうんだろうね。
楽しみ楽しみ

2009-12-04

ないがしろ


夜遅くに車を走らせていたら、こんな言葉が頭をよぎった。
蔑ろ、ないがしろ。
どんな事柄でも蔑ろにすると、そのモノから同じように蔑ろにされるよなぁッて
いつか、仲良しのダイ君が言ってたっけ、
”おれはハート(人の心)を蔑ろにしてたから、ハート(自分が心臓を事故によって患う)から蔑ろにされたんやねぇッて
なんでもやね
友人を蔑ろにすると友人から蔑ろにされる
仕事を蔑ろにすると仕事から蔑ろにされる
食生活を蔑ろにすると食生活から蔑ろにされる
植物に水もやらないで蔑ろにしてると枯れる
料理を蔑ろにすると料理に蔑ろにされまずくなる
身だしなみを蔑ろにすると、ダサクなり身だしなみから蔑ろにされる
自分がいる環境を蔑ろにすると、環境のほうから蔑ろにされる
人の話しを蔑ろに聞いていると、自分の話も蔑ろにされている

あらゆることに当てはまる気がしてきた。

そしてその反対もまたそう
大切にするとどんなことでも、いつか必ず帰ってくる
植物を大切にすると、いつかうれしい新芽が出たり花が咲いたり
友人を大切にすると、暖かくいつも対応してくれたり困ったときににっこり笑って助けてくれたり
大切に仕事をこなしていれば、必ずいつの日かいい思いができたり充実感を感じれる
食生活を大切にすると健康でいられ、自分がうれしく、まわりの人も喜ばすことができる。

云々

今日、久しぶりに出会ったヨーコさんは
いろんなモノを大切にしている人だろうなぁと思った。
なんせ美しい。
この広い福岡で一番きれいな人ではないだろうか
彼女以上に華があって美しい女性には、ここ福岡ではお目にかかったことが無い。
もちろん長い友人である私は彼女が過去にどれだけ華々しく、またどれだけ苦労をしてきたかは百も承知。
あぁ、しかしやっぱり私より10も上の年齢とは思えないあの華々しさ。
少し、はにかんだときの笑顔
廻りの人たちが吸い込まれていっているのがわかり
それを見て、私はまたなんともいい気持ちになった。
私の知ってるヨーコさんは、
すばらしくセンスがよく、廻りの人にいつも声をかけまくり、口がわるくって、ガハハと大声で笑う。
ものすごく美人なのに、全く鼻にかけてない
(芸能人で言うと中山美穂や常磐貴子に似てて口角がすごく高くって笑うと奥歯の歯茎が見えそうなくらい…)
数年前にあったときには少しふっくらしていたんだけど、今回あったらすっかり細くなっていた。
そのうえステージに上がって歌まで歌っている(笑)
自分を蔑ろにしてない!
そんな彼女が大好き
美しい年上の女性を見るとこんなにも勇気がわき元気づけられるもんだろうか。

自分が大切に思うコトを蔑ろにせず、
今一番大切にしなければならないものをその時々で見極め
大切だと思うものは心から大切にして生きていくと、あんな風になれるのかなぁと思いながらの家路だった。
憧れの女性だ

2009-11-28

電飾ツアー

あ〜、まもなくクリスマスですね。
世の中には豊かな家庭があるもんです。
きっと子供たちの喜ぶ顔が見たくってがんばって装飾したのです。
世の中の不況だ不況だっていってる声なんかここには聞こえません。
ただ、明るい家族の笑い声がそこいらじゅうの窓から聞こえてきそうなだけです。
この通りは…

家々の間が電飾でビッカビカのところを発見しました。
道を挟んでお隣さんもお向かいさんもピカピカ。
サンタさんがやってくる、シャンシャン♪とした音がどこからとも無く聞こえてきそう。


いやぁ、それにしてもすごい!お店とか商店街じゃぁなくって普通の家ですよ〜
ディズニーランドのエレクトロニカルパレードがそのまま家になったようだ!

ビビって手が、ぶれとります。

2009-11-25

いいわけ



朝、いつものお米屋さんに玄米を買いにいったら
レジのむこうの私の大好きなカレンダーにこんなコトが書いてあった。


《言い訳がうまくなるほど向上への道が閉ざされていく》


【解説】
失敗をしたり、人の期待を裏切った時、素直に自分の非を認めるのは勇気のいることです。
「自分は悪くない」と、ついその原因を他に求め、言い訳をしたくなります。

言い訳は他人に対してだけではありません。「あれをしよう、これはやめよう」と
強く決意しながら実行できなかった時、「こんな状況だから仕方がなかったのだ」などと
理由付けするのは、自分自身に対する言い訳です。

自分の心の中のことですから、誰に咎められることもなく、簡単に言い訳が通りますが、
この時、向上の目を自ら摘んでしまっていることに気付かねばなりません。

自分に非がある以上、失敗は素直に認め、他人には謝罪を、自分には反省をして、
その辛さをバネにより良い生き方を目指すのが本当の知恵というものです。

目先の楽を求める気持ちが言い訳をさせるのだと知り、
それらを捨て、勇気を持って自分の至らなさに直面し、
一歩ずつ向上の道を歩んで行こうではありませんか。


ふむ、
いい訳ッて便利、だけど結局その場しのぎなのかもしれない。
そのいい訳によって不快になることも、させてしまうこともあるしね。
素直になって、反省心をもつのは大切なことやね。

2009-11-22

おりがみ


お店にちびっ子がやって来て、なんとも和む時間を過ごせて
一緒に折り紙したりやら、小さな彼女が弾くピアノをきいたりしていたら、
自分の小さな時の自分を思い出した。

小さな小さな私は、二歳前にもっと小さな弟ができて、
“お姉ちゃんだからね、お姉ちゃんだからね〜”と言って育てられた。
だから、三歳を前にして二歳十ヶ月の身で自力で幼稚園前まで歩いて通っていた。(保育園のように親が送り迎えするということはありえなかった。まぁ、今にして思えばすごく近所で、大した距離ではなかったろうけど、その頃の私には毎日が大冒険だった。)
お姉ちゃんだから、そんなのは朝飯前なのです。
いきなりやって来た年子で双子のお姉ちゃんなんですから。


お姉ちゃんは優等生でいたかったのです。
いえ、優等生のつもりでした。
我が家は転勤家族、幼稚園の年長さんから小2までは東京近郊の巨大な団地に住んでました。
団地内がABCDと区分けされていて、その中を循環バスが走っているほど。
我が家はC地区で、私はA地区の先にあるピアノ教室に通ってました。
時々はバスを使ったり、歩いていったり。
ある日のことでした。
ピアノのレッスンが終わった小さな私はポクポクと家に向かって歩き始めます。
どこらへんでだったのか憶えていません、プ〜としたのです。
これがいけなかった。
見る見るミが出てきてしまったのです。
本人も予期せぬ出来事。
その日のお召し物は、忘れもしません、ピチピチの赤いショートパンツ。
そこからしっかりミが顔を出し、引力に逆らうこと無く下へしたへと下がっていくのです。
大物の小さな私は動じません。(これが私の本質かな、アハハ)
何くわぬ顔をして、A地区B地区C地区と団地の中のメインロードを歩いて家までこぎ着けました。
あぁ、私の後ろ姿を見たやさしいご婦人方、どうして声をかけてくださらなかった…
泣きそうなおもいを胸に、我が家のテラスハウスにくっついている猫の額ほどの庭に誰にも見られぬように小さくうずくまり(このまま家には絶対に入っては行けないと幼心に思っていた)パートに出ている母が帰ってくるのをひたすら待った。

弟たちとともに帰ってきた母。
とんでもない状態になっている私をはやし立てる弟たち。
すっと、お風呂場に抱いて連れて行ってくれた母。
その後の記憶なし。

あ〜、なんでこんなコトを書いているんでしょう。
いえね、なんとも笑える思い出なんです。
この出来事を、ものすごく鮮明に憶えている私なのですが
これがコンプレックスになった訳でもなく、
辛い思いででもなく
なんか、暖かい思い出なのです。
この時の母の目線や気持ちッてどんなんだったんだろうなぁッて思って。(母、憶えてないかも…うん、ありがち)
小さな頃の自分を思い出して、ちびっ子には接するようにしています。(子供たちのことが大好きだし、それぞれを一人の人間として尊重しているつもりです)
さて、母の気持ちになるというのはどんなもんなんでしょう。
まだ、実体験が無いためよくわかりません。体験したいんですけどねぇ〜、はかない夢だな今んとこ…
はたして、今世では実現するのでしょうか。
楽しいんだろうなぁ〜

2009-11-14

タラップ


日がかげり始める四時頃から、少し肌寒くなる今日この頃。
部屋に暖房を入れ、お客様の足が少し落ち着くと暖かいお茶で一服。
赤いソファーに腰掛け読みかけの本を開く、すると、お決まりのようにウトウトとしてくる。

ほんのわずかな時間なのだけれど、こんなときにこそ夢をみる。
今日見た夢は、全長がわからないくらい大きな船のタラップが船体に引き上げられている。
そのタラップの上の最後尾に私はいて、二人の子供たちがその前にいる。(いや、手をつないでいるのかな?)
グワぁ〜ッと上がって行くタラップから落とされないようにしっかりと柵を握りしめて、まさに船に着くというところで目が覚めた。

ウワ、なんだろこの夢、
気になるなぁと思って、ラッセル・グラントの夢辞典を開いてみた。
まずは、”船”=船は利益のシンボルです。
あ、”フェリー”もある!=フェリーに乗っている夢、フェリーを見る夢はいずれも努力が報われるしるし。おそらく仕事面
そして“タラップ” =あなたにとって転換期を意味。客船のように周囲が華やいだ雰囲気だったら、前途は洋々。タラップを登る夢なら、進歩が期待できます。

ふむ、なんかイイコト起きるのかな♪

写真はmasumiちゃんが撮ったもの
建物の入り口すぐの左の壁に丸い鏡を貼ったり置いたりすると金運アップになるのです。
ついでに右の壁にはると人気運アップです。
で、水という字に見えるすいじ貝は、家を火の難から守ってくれたり魔除けになると言われています。

2009-11-13

ごほうび


ただ今、脳の本を読んでいるのですが、心に止めておきたいのでここに書いときます。

『脳にとっての”報酬”とは』

脳にとっての『ごほうび』とはどんなものなのでしょうか。
ごほうびや報酬というと、『自分に何かしらの利益をもたらすこと』というふうにとらえがちですが、
脳にとってのごほうびは、利己的な損得の判断よりもっと広く、奥深いものです。簡単に説明すると、
『うれしいと感じること』ということになるかもしれません。これは、自分の役に立つことだけでなく
目的や目標を成し遂げたり、人の役に立ったりすることが脳への報酬となることを意味しています。
 脳神経細胞がもつ3つの本能を思い出してください。脳には生まれながらにして『生きたい』『知り
たい』『仲間になりたい』という本能があります。このうち、『仲間になりたい』という本能は、脳に
『人が喜ぶことが自分にとっても嬉しい』と感じさせます。つまり脳は、人のためになるとき、貢献心
が満たされるときに、それを、『自分にとっての報酬である』ととらえて、機能するようにできている
のです。
 もっとも、人間は置かれた環境などによって貢献心を失い、損得ばかりを重視するようになることも
あります。これは、人間の脳が記憶に基づいて働くためです。
 例えば人と比較して勝ち負けにばかりこだわったり、子供の頃から何事につけ勝つことを強いられて
いたりすると、負けたときに罪悪感を抱き、『他人を蹴落とさなかったので自分を守れなかった』とい
うエピソードが記憶として残ることになります。すると『自己保存』のクセが働いて、『他人を蹴落と
してでも自分を守りたい』『自分だけが得をすればよい』という気持ちが生まれてしまうのです。いわ
ゆる“損得勘定”は、脳が生まれながらにしてもっているものではなく、後天的に身についていくものと
いえます。
競争の助長は、脳が機能するまでの貢献心を、損得勘定にすり替えている傾向があります。当初はもっ
ていた貢献心が『負けるのではないか』という思いにより、なくなってしまうのです。その意味で、い
きすぎた成果主義は、本来脳が持っている力を削ぐことになりかねません。
 実際、みなさんにも思い当たるふしがあるはずです。『自分さえよければいい』という人よりも、損
得にとらわれず『あの人の喜ぶ顔が見たい』『この人のためにがんばりたい』と思える人のほうが、結
課的にあらゆる面で力を発揮しているでしょう。
 これは、脳のしくみから説明できることなのです。社会に貢献しようと言う気持ちで自己報酬神経群
を働かせるほうが、自分のことだけ考えるよりも、脳にとって『よりよいごほうび』となります。さら
に、自分だけでなく広く他人を思いやれることは、それだけ期待できるごほうびを増やすことにもなる
のですから。

photo by masumi

2009-11-12

本当の私って


友人が遊びに来て、おもしろいからやってみて!とおしえてくれた。
自分が働いているところの社長さんが、社員のことをよく理解できるように使っているらしい…
たくさんの人を使ってトップに立つ人には便利なツールなのかもね。
ここに来て、またまた再ブームなの?
従来のヤツと違って
その本質、表面、意思決定のとき、希望としているもの、隠れたキャラクターをおしえてくれる。
ちなみに私はサルなのですが、以前友人に”絶対にペガサスが入っている!”と言われ
案の定そうだった…

ほほう、うちの子はこんなキャラを隠し持ってるんだぁとか
苦手なあの人ってこういうタイプだったのねぇとか
どうしてあの人の行動はああなんだろう?
とかの謎が少し解けるかも。
さ、みなさんもやってみて。

http://www.doubutsu-uranai.com/uranai_chara_5animals.php

2009-11-11

風の強い日に


今日はものすごい風が朝から吹きまくっています。
庭の木々は、すべて風下に向かって頭を足れている。
こんなに風が強い日に外を眺めていると、オズの魔法使いのことを思い出しました。
主人公の女の子ドロシーが愛犬トトと一緒にある日竜巻で家ごと飛ばされてしまう。
そして出会う、脳の無いカカシ、心の無いブリキの木こり、臆病なライオンらとともに
彼らの願いを叶えにエメラルドの都にいるという大魔法使いのオズに会いに行く物語。

すきなんだなぁ〜この童話。
白雪姫にもシンデレラにもあんまり魅力は感じなかったけど、
ドロシーにだけはなりたいと思っていた。(今も、変わらないかも)
ちょうど、今は小さなお家にいて、トトよりもかわいいパウダーがいる。
脳の無いカカシはすぐ側にいるかもしれないし、それは自分かもしれない。
心の無いブリキの木こりはすぐに出会うのかもしれないし、それは自分かもしれない。
臆病なライオンにいつも脅されているのかもしれないけど、それは自分かもしれない。
少女のドロシーはいつも近くにいて私を励ましていてくれているのかもしれないし、それは、私かもしれない。
美しくみどり色に輝くエメラルドの都に、いつかたどり着くことができるかもしれないし、実はこの緑あふれるココがそうなのかもしれない。
全ての願い事を叶えてくれるオズの魔法使いには、すでに出会っているのかもしれないし、これから出会うのかもしれないし、実はそれは自分なのかもしれない。

子供の頃に思っていた童話が、すこし時間がたってから読み返してみると
いろんな見え方がしてくる。

2009-11-09

COSMOSからの金言


どこからともなく、
いろんな人がやって来たり
いろんな人から連絡が入ったりしてくる。
こんなことや、http://2012.aid-info.jp/
こんなコトを教えてくれる人たちだったりhttp://oozora.way-nifty.com/kami/
ココんとこ、脳の話をしてくれる方が多い。

私は本を読んだり、人の話を聞いていたりするのが大好きで
自分の話を聞いてもらうより
人様の話を聞いている方が、その中に様々な情報があるのよね♪と思って楽しい。(それが仕事だし…笑)

先日読んだ本の中で
世の中の最初の最初はどうやって始ったのか?
みたいなことが書いてあって
性別もわからない生命態から、人間へとなっていった過程には
そこに”意識”が存在するかどうか?だったみたいなことが書かれていて
ほほぅ、なるほど…とおもった。


その本を読み終えてから、
宇宙は偶然ではなく、ある一定の秩序から生まれ
『宇宙には精神がある』と、唱えたアインシュタインに共鳴し、
ノーベル平和賞受賞者7人を会員に持つブタペストクラブ会長のアーヴィン・ラズロ博士が書いた
COSMOSを久しぶりに手に取って、たまたま開けた頁にこんなコトが書いてあった。

〜恐怖が慢性化してしまうと生物としてのバランスが元に戻らなくなり、恐ろしい思考や感情がたえずつきまとって、戦うか逃げるかのストレスで常に身動きが取れなくなってしまうのです。こうなると、必然的に行動も限られてしまいます。キャンダス・バートが記しているように、『恐怖にとらわれている状態では新たな情報をつかむことはできない』のですから、『罰と脅しは、実は学習プロセスを抑制してしまう』のです。
 慢性的な恐怖の情緒は子供時代にあることが大きく、大人になる頃にはそれが世界観の一部になってしまっています。そのような恐怖に気づくことができるなら、つまりそれに縛られていることを認め、必要であれば他人の助けを借りて克服することができるなら、人生は変えられます。恐怖が招く恨みや欲求不満、怒り、苦痛に代えて思いやりや喜び、感謝を手に入れれば、文字通り別人になれるのです。この変身は、できないこともない、というものではなく、その気さえあれば誰にでもできることなのです。
ときに、言葉だけでは私たちが本当に言いたいことや感じていることを表せない場合もありますが、英語には単純でありながらも深い意味を担える言葉がとても豊富です。たとえば、evil(悪)という言葉の定義は一人ずつ異なっているかもしれません。しかし、それがlive(生きる)という言葉を逆に綴ったものだと気づくと、おそらく今まで思いもよらなかった意味が見えてくることでしょう。悪とは生きることの対極にあるもの。そうすると、悪事を働くことは死の行為になる訳です。そして、それ自体が多くの連想をよぶlove(愛)という言葉はlive(生きる)という言葉とわずか1文字しか違いません。悪が死であるならば、愛は生なのです。
自我に基づいた視点のみから自分を眺めつづけるなら、情緒的・精神的トラウマに伴うストレスや鬱症状は強化され悪化します。前向きに生きるよう自分を鼓舞するための助言として最も奥深いものは、おそらく大昔から伝わる『生き、愛し、笑え』というごくシンプルな金言でしょう。どれほど洗練された言葉で表現していようとも、最先端の科学や意識の研究結果はみんな次のようなことを言っているのです。

肉体面、精神面、感情面で積極的な人生を送りなさい。
愛しなさいーー他人への奉仕という行動を通して。そして。
笑いなさいーーできれば自分自身を。
それが最も効果的でありながら、ときに最も美しい強健さ(ホールネス)と健康への道なのです。

感情や思考が気づきを具体化するエネルギー・パターンであり、それによって健康を損なうことも取り戻すこともできるのだということを、きちんと評価することが大事です。私たちがおのれと世界に抱く気持ちや信念が決定的に重要なのです。それらの限界は私たちの限界、それらの可能性は私たちの可能性なのですから。

もはや、私たちの思考や感情と肉体的な幸福とを切り離すことはできません。



何ぞということが、書いてありまして
私一人で読みふけってるのはもったいないなぁと思い
ちょいと、書いてみました。書くとより頭に入ってくるしね。
これを読んでくださったみなさまの一智慧になりますように。

2009-11-06

ゾウのグラス


先日、大好きなゾウさんのグラスを割ってしまいました。
割れているとは知らずに、グラスを取って拭こうとしたところで右手をざっくり切ってしまいました。
このグラスは、まだお店をするなんてことが現実になろうとは思わなかった頃に
太宰府さんの参道で、『いつかお店をするならこんなグラスでチャイとか出したいなぁ〜』
なんて思いながら買ったものでした。
6個あったものが、歳月とともにひとつ減りふたつ減り…
母方の”島のおじいちゃん”の遺言(?笑)で、
『カタチあるものは壊れる』と聞かされて育ったためか
モノが無くなることにあんまり固執しません。
斬った手もざっくりいってるけどあんまり痛いとは思わない。
こういうところは鈍感な私…
だって、斬れたんだから、多少痛いのはあたりまえだし、血が出るのも生きてるんだからあたりまえ
痛くなくって血がでない方がよっぽど困る…(何ぞと思っている)



このゾウのグラスに始り
私の廻りにはゾウのグッズがあふれています。
大きなもので言えば、ゾウの看板に始り、
ゾウのグラス、ゾウのお香立、、ゾウのペーパーホルダー、ゾウのオブジェ…
あぁ、何個持っているんだろう…
ゾウさんね好きなんですよ。(現在はゾウグッズにはあんまりこってません)
スリランカの海岸でゾウさんに乗った時から。
なんか、すんごい大きいなぁって思って、地上に生きている動物ではなかなか大きい方でしょう?
大きいのでいくとクジラも好きです。これはハワイの海で見た。(乗ってはません)
ゾウさんに乗ったその時の感触(そりゃぁ、たわしの上に座っているようでした。笑)
やゾウさんがいつも見えている目線の高さとかがすごいなぁって思ったのよね。
夏の日に小さな蚊を手のひらでパチンとやっつけちまうように
こんな大きな動物の前では自分達人間なんてちっぽけで
足や鼻でポンッとやられたら一たまりも無いだろうなぁ〜
ってとこが好き。

2009-10-29

カウンターからの眺め


私がいつも座っている、お店の入り口付近のカウンターの中からの眺めはこんな感じ。
目の前には、アメジストとスギライトの石、七夕のときにきっと空から落ちてきたんだわと思って拾ったヒトデ。
ヒロミちゃんとお揃いのお父さんから譲り受けた時計。
好きな色は紫と緑、この組み合わせを使ったり身につけていると、
とてもラッキーなことが起きたり、心が落ち着く。
みどり色の葉っぱに、ムラサキ色の花が咲いているのを見ると幸せな気分になる。

先日、季節のせいかな、ふと車を走らせてBOOK OFFで見つけた本に、おもしろいことが書いてあった。
ユダヤのアブラハム=サラの系図が
日本のスサノオ=アマテラスの系図と一致する。
これは日本の大和朝廷が一神教を受け入れない北朝イスラエルの、消えた十支族であるという
明治時代にイギリスの商人マックレオドやユダヤの研究家ヨセフ・アイデルバーグの説で
世界的に知られてるとか

ギリシャ神話と旧約聖書と日本の神話の始まり方がほぼ一緒だとか。

私は歴史の中で
この神話の時代と日本の幕末の頃が好き。
きっとその頃に生きてたんでしょうね。

こんな本を読みながら
変なことを考えた。
ユダヤと大和朝廷の系図が一致するとか
神話の話のもとが一緒だとか
この考えによると、それは同一のものだったんではないか?
という文献があって、フムフムと読み進めていくうちに
そこから、ふと思いついたんだけど
そうではなくって、ものすごくものすごく似た人たちがいたってこともあるんじゃない?
って…
(きゃぁ〜、勝手な私のぽかんと浮かんだ考えだからね!あくまでも!)

なんだか、最近シンクロすることが多くって
ん〜、例えば映画ETの1シーンで、子供たちがする行動がその部屋のTVの中の人と全くおんなじ行動をしているシーンがあって
こういうことって、日常でもありうるンじゃぁないかなって思う。

簡単なことで言えば、”今日昼に私カレー食べたのよ〜””え〜、わたしも〜!”
からはじまり
しゃべらなくても思っていることが一緒だったり
離れていても心が通じたり
全く別の場所にいるのに、やってる行動がほぼ一緒だったり
どうしても他人とは思えない親しみを感じたり…
どうして、この人と、出会うことになったんだろう?だったり
実は世界の、いや、この宇宙のどこかに、自分とそっくりな人がいるのでは?とか
時代が少しずれて、同じような状況で生きていたり、活躍したりする人がいるんじゃぁないのか?とか


一冊の本を読むことによって
自分の頭の中に、光のようにひらめきを感じれるってなんてステキなことなんだろう。
勝手に思うのって本当に楽しい。
そんなことを、カウンターの中から見える緑の木々と紫色の石を眺めながら
仕事の合間に思ったりするのでした。

2009-10-23

アレから10年


今年は不思議な年である。
いや、私にとってね。
たぶん私の身近にいる人や、仲のいい人たちもそう感じているに違いない。
何かが変わってきてない?
そう、それはミレニアムの頃のように…
アレから10年経とうといているよ。
思えば10年前ってちょうど節目じゃぁなかった?

だって、
どうして今年あなたと会うの?
どうして今年また、あなたなの?
そう、あえて、今年のような気がするのです。

何かがガクンと変わっていくね。
そう思わずにはいられない今日この頃。
今まで埋めることの出来なかった
パズルのピースがひとつずつ収まっていく感じ。
あぁ、だからあの時ここに行ってたんだとか
あぁ、だからあの時あんな風だったんだとか
あぁ、だから今までこんなコトしてたんだとか
そんな感じ。

ここんとこね、向田邦子の”夜中の薔薇”って本読んでて
その中に、そんなことを感じさせる部分があるのよ。
彼女の最後の作品。
本人は最後だなんておもって書いてないのよね、
でも、読んでるとそう感じるの。

今年、年初に占いに行った。
すごくよく憶えている占師さんの言葉
“どうしてそんなに金メダルが欲しいの?”
未だ、私にもこの答えは見つからず…
”年をとったら頭も使うもっと栄養とりなさい、カルシウムとか!”
はい、確かに…
”あし、特に左足に注意しなさい保護してれば大丈夫なはず!”
すでにそのときには私の左足には大きな青あざが…
そして最後に一言
”あなた、あげまんねぇ〜”
はぁ〜
そっかぁ〜

てか、今年の占いは、どうなのよ〜
って感じだった…

なにゆえ、今年はちょっとおもしろい年なのです。
ね、世界中のお友達の皆さん!
そのうち会いにいくから!!
あ、もしくはステキな糸島市(来年からこうなるの)にやって来て!

2009-10-16

占いの見方




占いが好きです。ハイ
うちのお店にいらっしゃる大半の方も占いが好きです。
(と思います)

で、全くの私の持論なんです
(あ、それ違うんじゃない〜って言う方もいらっしゃるかもしれませんね 
 ま、そこら辺テキト〜に笑)
いろんな占いがあって、
何かに書いてあったり、言われたり
そこで注意しなくっちゃいけないことがあると思うんです。

イイコトを言われるとうれしいけど、
ココで肝心なのはウィークポイントの方、だと思う。
長所はそのまま放っておいても長所なんだからそれでよし。
この短所の方を、きちんと心に受け止め
どのように克服するかが大事だと思う。
”どうせ、○○だから〜 仕様がないのよ〜 だって、占いにも書いてあったもん〜”
は、情けないと思う。
短所は弱点なのだから、これを改善することによって
よりよい人に、より強い(心が)人に、よりレベルアップが出来るような気がする…


かなり昔に、占師さんに見てもらったことがあります。
対人関係で相性が悪い人とはどうすればいいのですか?
という質問に、その占師さんはこう答えてくださった。
大丈夫、そういう場合はあなたが気をつければよいのだと
そういう相性の方が、お互いに持ってないもので引きつけあうこともあると。
ようは考え方次第なんですよね。


ということで、占い好きです。

2009-09-10

運命の出会い


























今週の筋トレ http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/index.html
の週報で
(いや、なんともこの丁寧な文章の占いを
毎週末読むのがすっかり私の楽しみになっているんだけど)
こう書いてあって

『青空に大きな白い鳥、足元にピンク色のリボン、
遠くに見えるのは目指しているおおきな都市の影。
今立っている場所の風景は
そんな感じです。 …』

先日友人の家で朝目が覚めて
ふと景色を眺めていると

青空に一羽の白いサギが飛んで来て岩場にとまり
足下の岩の間にピンク色の蛸がへばりついている。
眼下からつづく海の先には岬とそこに立つ家々が見えている。

あれっ、今週の筋トレに書いてあった文章のまんまだと
一人思い出し笑いをしてしまった次第。


遊びに行った友人は同い年の丙午で
この夏にはじめて出会ったにもかかわらず
親、育った状況、親から譲りうけた時計など
かなりの共通項があり
その中でも一番ビックリなのは
彼女が10年前からフィレンツェ在住で
その住んでいる場所が以前私が住んでいた場所とものすごく近いと言うこと。

そんな運命の出会いのような彼女との話は
留まるところを知らず
これは他の人にどれほど丁寧に説明しても伝わらない事柄が
一瞬で伝わる心地よさ。
どんな種類の話をしても
お互いに理解しあう部分が大きいことの悦びを憶えた。

うれしい彼女との語らいの場所は
彼女たち家族が
夏のバカンスに数ヶ月過ごすという
海辺の別荘。
家の敷地内からそのまま海に降りて行くことが出来
隣の家々との間隔がいい感じで離れていて
まわりは森に囲まれている。
なんともすばらしい場所。

夜に朝にと家の周辺を散歩し
彼女の家を出るときに
”いってらっしゃい”
と彼女から言われ、もちろん
”いってきます!”
とこたえた。

帰りの道すがら
めったにこんな気分にならないのだが
また、あそこに行きたいと
ちょくちょくあそこに行きたいと
できる事ならば、いつか住みたいと
そう思った場所だった。

2009-09-04

好きなもの


彼は小さな頃から体が不自由だった。
リューマチで
彼が産まれたその頃に二人の兄姉を失った両親は
ただただ、彼が生きながらえてくれることをのぞんだ。

痛い体のまま育っていく彼に
人間の友だちはいなく
彼の友だちは
おじいちゃんのところで暖かく迎えてくれる
草木やそのまわりの虫たちだった。
大切で大事な友だちをずっと見続けることにより
彼の観察眼は
どんどん優れたものになっていった。

そんな彼が残していったスピリッツを
今でも築き上げようと
情熱を傾けている男性が
スペインから帰国した。

帰国したその日に脳科学者の池谷裕二氏との語らい
二人はかなりの同感を憶える。

その中の一節
人は長く見ているものに対して
いわゆる”愛”を憶える
長く接しているのだから
嫌いな訳は無い
そう思い込むらしい。

これは植物や虫が好きだった彼にも
相通ずるものがある。
だって、幸せな少年期の大切な友だちだったから。

人は幸せになる為に動く
それは、家庭を持つことであったり
恋愛であったり



本当の幸せとは?
と彼は問う

彼が作り出すものは
まわりの人が幸せになる為に作られていったもの

彼が思う本当の幸せは
人の中に自分がいかにして生きるか
というもの


そんな彼の心は、
今でも数々の職人に託され
数々の人の心を幸せにしている


彼、アントニオ・ガウディといまだに対話しながら
彫刻を続けている
外尾さんの話を聞いた今日だった。

20年前に行ったサグラダファミリァは
どんなに成長しているんだろう

2009-06-20

エドモン・ダンテス


エドモン・ダンテス
この名前を言って
はたしてどれだけの人が
“あぁ、あの、巌窟王のモンテ・クリスト伯ね”
と、答えてくれるんだろうか?

あぁ、岩波の赤
一冊450頁ほど、全7巻
読み終えました。
気分爽快!


やっぱり本はいいです。
以前、60歳を超える本好きな女友だちから
こう言って教えてもらったことがあります。

”マコ、どんなに年をとって、
ひとりになって孤独になっていったとしてもね
本だけは、いつまでも、友だちでいてくれるのよ”
と、


全くその通りな気がします。
本は、素敵な友人であり、
大切ないろんな事を教えてくれるし
数々の発見をくれる。

吉川英治の『宮本武蔵』
三島由紀夫の『豊饒の海』
梅原猛の『隠された十字架』
池沢夏樹『未来圏からの風』の中のダライラマとの対話
茂木健一郎の『クオリア降臨』
船戸与一の『山猫の夏』
檀一雄の『夕日と拳銃』
司馬遼太郎の『世に棲む日々』
亀井勝一郎の『思想の花びら』

ここいらあたりの作品が
私の心にかなり鮮明に残り、
生きていく意味や
人としてのあり方を美しい言葉とともに教えてくれました。

そして、今回読破した
アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』
舞台はマルセーユの港町からはじまり
豪華な、パリの社交界。(もう、いつでもデビューできそう。笑)
そして最後は、モンテ・クリスト島で、幕が閉じる。
全ての自由を奪われた主人公が
巌窟王となって巨万の富を得、
復讐劇を繰り広げていく中での
様々な人間模様。

この本を読み出したきっかけはいくつかあり
そのひとつに
『潜水服は蝶の夢をみる』というフランス映画の中で
この本の中の登場人物の名前を
映画の主人公が『私が、ノワルティエになるなんて!』
という一節があり、
はたして、このノワルティエとは?
もう、しりたくてたまらない訳です。

結局、巨万の富を得て
たくさんの復讐をこなしていく中で
モンテ・クリスト伯であるエドモン・ダンテスは
たくさんの人とふれあい
人生でものすごく大切なものを探し出すことが出来る。
いやいや、これは読んだものだけの醍醐味ってヤツです。
最後に素敵な感嘆符のついた捨て台詞で終わります。

『待て、しかして○○せよ!』 と、

この言葉の意味は
やっぱり読んだものにしか味わえない醍醐味ってヤツなんですね。
あ〜、たくさんのことを学ばせてもらった本でした。
おもしろかった!

2009-06-12

アフリカの旅


アフリカへの旅行
それも姉弟三人で。

かれこれ20年前だったら、よく三人でお出かけしてた。
でも、彼らもそれぞれに家庭をもった今では、あんまり無いこと。
ここは、多いに楽しまねば。

父から譲り受けたロレックスの時計に目をやれば
もう、お昼時はとうに過ぎてしまった。
”あ、その時計ねーちゃんがもらったんやねぇ〜”
マコトが、ポツッとつぶやいた。
ミノウは相変わらず、口数が少ない。
私の弟は年子で双子。
気がつけば、魔法使いサリーちゃんに出てくる三つ子の兄弟みたいに
三人ともお揃いのインディゴのTシャツを着てきている。
どうしたもんだろうか…


行く道先でライオンが獲物を食べている姿に出くわす。
あぁ、やっぱり本当にああやってムシャムシャと獲物を食べるのねぇ
と、妙に冷静に眺めている自分がいる。
大好きなゾウさんにはまだ出くわさない。

しばらくすると、目的地に着いたようで
前が少し禿げかかった、白髪で長髪、
上半身は裸で腰巻きのサロンをした、
もう長いことこの土地に住み着いているらしい日本人男性が
こちらへと、手招いてくれた。
木で出来たボロボロの家屋。
三階まで、階段をキシキシいわせながら上がっていく。
ガラスのない窓からは四方に赤い大地が見わたせる。


イタリアに住んでいた頃に
洗濯して干していたシーツを
真っ赤に染めるほどの濃い赤色を含んだこの土地の土煙は
シロッコという名をぶら下げて、遥か地中海を越えてトスカーナの丘まで
やって来ていたのだなぁと、ぼんやり思い出す。


ふと気がつくと、窓からの景色が変わっている。
ガタガタの床がきしみ、何が起こったのかよくわからない。
どうやら、この家と思っていたものは乗り物のようである。
大きなぼろぼろの木の固まりは
私たちを乗せてどこかへ向かっている。
まぁ、旅なんてなるようになれさと自然に身をまかせる。
辺りは暗くなってきた。


音楽関係の仕事につくミノウがエスコートしだした。
この木の家のような乗り物から降りて歩き出す。
なんだかガヤガヤしている。
お祭り?
ひとつの大きな建物に入ると、中は大きなクラブのようになっていて
ものすごい数の人がガンガンに踊っている。
が、暗くって黒い人たちばっかりなのであんまり様子がよく分からない。
あっという間にマコトは見えなくなった。
昔っからちょろちょろするタイプなので心配はあるまい。
ひとりで探索でもしているんだろう。


私は、ミノウのエスコートのままに会場を歩き回り
ひとつの建物の中を出る。
なぜにこんなところまで?
クロちゃんとチカちゃんが出店をしている。
チカちゃんと面識のあるミノウは子供のこと何ぞをネタに挨拶を交わしている。

そして次の建物へ。
どの建物も、普段はもしくは以前は教会として使っていたものだろう。
すごく天井が高くって、簡素なステンドグラスが月明かりに照らされている。


しまった、近くにミノウがいない。
そう、はぐれてしまった。
途方に暮れていると、遠くから黄色い声が聞こえてくる。
”キャァ〜、マコさんでしょ〜?!”
だれこれ?
黄色い声の四、五人の日本人女の子集団に囲まれてしまった。
勘弁してくれ。
適当に話しを交わしその場を逃れる。

あ〜.ミノウもマコッちゃんもどこへ行ってしまったんだろう…

ひとりの細身の男の子が私を見ている。
お互いに近づいていった。
”ここら辺をひとりで歩いちゃダメだよ。ライオンいるしね。
 ひとりで歩くときはやぎと一緒か、
 やぎがいるところまでなら歩いても大丈夫なんだ。”
”へぇ〜、そうなんだね。
 でね、私、弟たちとはぐれちゃったんだけど、どうしたらいいかな。
 乗ってきた乗り物も、見つからないの。”
”じゃぁ、ボクが送ってあげるよ。”
そういうと彼の傍らにあった、おんぼろのバイクを指差している。

彼の言うままバイクの後にのせてもらう。
私の行く先が、わかってるんだろうか?
ま、いいか、旅なんだし。

バイクの速度がゆるくなり小さな診療所のようなところにつく。
中に入るとそこは日本人が建てた病院らしく
日本人の写真が壁にたくさん掛けてある。
いくつかの病室を通り過ぎ
大きな部屋に辿り着く。
体育館のようなその部屋には処狭しとベッドが並べてあり丁度まん中くらいに、
マコトが寝かせつけられていた。
胸には小さな縫った後とわかる傷。
傍らにはすでにミノウがいる。
よかった、会えた。

マコトは電話機を握りしめて何やらしゃべっている。
”チョとだけでいいから、会いに来て。お願いだから!”
と、泣きじゃくっている。
きっと日本にいる家族に電話してるんだろう。
ちょっとの間の辛抱だよと心に思いながら眺めていたら



目が覚めた。

今朝方見た夢でした。

2009-05-16

雨ニモマケズ



昨日は、午後より
スーパー悪寒がしていた私でした。
体は熱くって寒い…
昼過ぎにいらしたお客様はシャットアウトしてしまい、
ホカホカカーペットをつけて毛布にくるまり寝込みました。


二時間後むりやり復活
だって、3年前に滋賀県からやって来た
まもなく90歳を迎えようとする祖母を囲んでの
初めての家族での外食。
楽しみにしているおばあちゃんを裏切ることは出来ないのです。


野を超え山を越えて実家へ。
みんなで、出かける間際になって
歩くのが億劫な祖母は
やっぱり私は家にいるというのをせっつき
家族で鶴田の美味しいお魚を食べさせてくれる
徳へ

うちの家族は
すばらしいくらいに、それぞれがマイペース。
祖母、父、母がいっぺんに話しかけるのを
聖徳太子のように聞かなければならない私がおり、
お店の方が大笑いしていました。





あけて、今朝は
祖母が、世界一だと賞賛する
朝ごはんをみんなで。
毎日毎日うちの朝ごはんは
私たちが小さな頃からこんな感じです。
日曜日だけが和食。
この朝ごはんがうちの”いつでもOK朝ごはんのルーツなのかもしれません。


お誕生日のプレゼントに
母が娘時代から部屋に飾っていた
宮沢賢治の詩の額をもらいました。
大好きな詩です。

ソフイフモノニ私ハナリタイ

2009-05-03

はじめてです



はじめてです。
いわゆる芸能人、有名人と言われる方が亡くなったのを知って
泣いたのは…

この人からどれだけのことを教えてもらっただろう。
フォーク、ロック、パンク
ファッション
恋愛
勢い、ぬき
スポーツ
こころ


はじめて出会ったのは、中学生の時。
学生鞄の裏には、コンサートで買った、RCのステッカーが誇らしげに貼ってあった。
コンサートに誰よりも派手な格好で行きたくって、友だちから服を借りまくっていったっけ。
彼らがとまっている西鉄グランドホテルまで追っかけたこともあったなぁ〜
サンパレスでの講演のときには、
どうしても最前列がとりたくって
みんなで、コンロまで持ちこんで会場の前で一夜を明かした。
イタリアでは、彼らの衣装を作っていたというミッちゃんにも出会えた。
あぁ、何度この人の歌を聴きに
足を運んだことか。

すばらしい人だった。
素敵な人生だったんだろうなぁ〜
ありがとう、清志郎
これからもずっと聞き続けるからね♪
そしてあなたの投げかけた言葉通り
いつも、愛し合っていたい。

2009-04-24

まもなく


まもなく、
私の大好きな五月がやってくる。
たまらなく大好き。
庭のジャスミンが咲き出し、
近所のそこここには、アイリスのすっとした花が顔を出す。
風も薫る五月。
車を運転していても、お店で働いていても、お友達とおしゃべりしていても
自分がelle decoの中か、映画のワンシーンの中にいるような豊かな心地よさを憶える。

五月生まれなんです。
この月にうまれたことがとっても嬉しい。
うまれた年もうまれた月日も、時間もすごく気に入っている。
午の年、午の刻うまれ。テカテカの太陽っこ。
誕生日占いの、この日生まれのタイトルは”自然な魅力のある人”
この日生まれの人への、瞑想の言葉は”教師とは、自分の力で勉強することを生徒に伝える人”(頑張ります。笑)

誕生日のその日がやってくると
もう、何年くらい前からだろうか
あるひとつのコトをすることにしている。
それは両親に”この世に産んでくれてありがとう”
と、伝えること。
面と向かっては恥ずかしいので、電話する。
そう伝えると、本当に嬉しくってありがたくって涙がぽろぽろ出てくる。

そんな五月生まれの私です。

2009-04-18

久しぶりにCDを買った


久しぶりにCDを買った。

いいね、CD買うのって、
一回しか出来ない開封作業。
音源をオーディオに入れて、ゆっくりとライナーノーツを読む。
この中でしか知ることが出来ないネタの宝庫や
原文の詩、そしてその意味を確かめて歌声を楽しむ。
忘れてたなあ、こういう楽しみ。

昨今は、”これ聞いてみて〜”と言っていただく方が多かったCD。
服でも靴でも本でも、何でもそうだけど
やぱり自分で買って楽しまんといかんね、
大切にする度合い、そのものに対するリスペクト具合が全然違う。
ダウンロードだと、その曲がどうやって出来たのか
なんか、ミュージシャンへのリスペクトが少なすぎる気がして
なんだか味気ない気がする。


昔はよくCD買いに走り回ったもんだったなぁ。
渋谷や六本木のWAVEや、HMV、ライオンレコード(だったっけ?)、
新宿西口にある、中古レコード屋さん。
ワールドミュージックコーナーに何時間も入り浸ってた。
渋谷のWAVEでは、よくYOUちゃん
(当時はフェァチャイルドのYOUちゃんだった。)
もゴロゴロしてずっとCD屋に居着いてたな。

レコードからCDにに切り替わるときのタワレコでは
minouと一緒にロックの名盤レコード山ほど買いあさったな、懐かしい。
まだ、あの頃のレコードとっててくれてるよね?
なかなかあの当時はレゲエのレコードなんてどっこも扱ってなくって、
高田馬場のオパス1だったっけな、
あそこで、ジャネットケイのレコード見つけたときは嬉しかった〜
ヘップトーンズの“sea of love”なんか、ロンドンの道売りかなんかで
テープで見つけて、飛び上がるほど嬉しかったし…


ワールドミュージック好きが高じて
わが弟にも、
”レゲエとかスカ聞こうよ〜、ワールドミュージックだよ〜”
と小生意気なことを抜かし、
大学を卒業する間際まで、彼がバイトで働いていたCDショップに
そのままいることにおおいに賛成した私だった。
結局そのままCDショップに在籍したことは結果よかったみたいで、
その後めでたく正社員となり、仕事でグラミー賞が見に行けるまでとなる。
えがったえがった。

そんな彼が、私がイタリアに住んでいたときにとっても素敵なプレゼントをくれた。
レゲエ好きな私たち、
ホームシックでめそめそしている私に、彼から一通の手紙。
中身はBob marleyの"no woman no cry"(泣かない女はいない)
という歌を彼自身が独自で和訳をしたもの。

これ、泣けました。(今でも、私の大切な宝物のひとつ)


やっぱり音楽っていいよなぁ〜
no life no musicってよく言ったもんだ。


で、今回買ったCDはこれ!
Ultra Orange & Emmanuelle
いや、久々、ガツンと来ました。
ただ今、車の中で、チョーヘビロテ♪
ルースターズ+シナロケ&フランスのエスプリって感じです。
あえて、フランス人が英語で歌ってるとこがニクイです♪

2009-04-17

その人をつくってきたモノ


世の中には一人たりともおんなじ人なんていない。
うちの弟は双子ですが
小さな頃や今でも、とってもよく似ていますがそれは似て非なるもの。

人はその外見、中身が時間をかけて形成されていくもの。
いくつかの歳までは
たくさんの人に育てられてカタチつくられていっているけれど、
ある程度の年になってくると、
かなりの自己責任。

いえね、なんでこんなコト言うかっていうと、
先日(まだ、もう少し寒かった頃ね)
朝、近所のスーパーを歩いていたら
同業者の友人に会いまして、開口一番スーパー辛辣な一言、
”あれっ?マコちゃん、シルエットが今までと違うよ、太ったろ?”

ガビ〜ン!!
ムカッ!
(あんただってぇ〜×××!!!、と言いたかったところをぐっとこらえ)
”そうかね、いかんねぇ〜”
とそそくさに答えその場をさった。

いえね、わかってたんです。
はい、太りました。
正直なお言葉ありがとうございます。

その日より強化ダイエット&今まで以上の運動量に速攻きりかえ!

はい、おかげさまで、ただ今ほぼもとの体に戻りました。
ハ〜、あの時、ああ言ってもらってよかった。


と、いうことで、日々のからだなんて
自分で勝手に形成してるんですよね。
その体のカタチをキープするために
夜な夜なお酒を飲む。
そのおなか具合をキープするために
また、甘いものに手を出す。
その曲がった背中をキープするために
また同じ姿勢を保つ。

これは外見。
ま、中身も然りですわな。
誰がしろとも言ってない自分で選んだその仕事や状況で
その人の人格は出来ていく。
やる内容をコロコロ変える人は
そういうタイプの人。
何かの一貫性を持ってコツコツと仕事に打ち込む人は
その後にその道のプロとなっていく。
これあたりまえの事。

自ら選んで過ごしてきた時間と、
出会った素敵な人たちを大切にしていき
出会う人に不快感を与えない程度の格好をキープしていくと
その相手からも、自然と認められるようになっていき
素敵な会話が出来たり、素敵な行動がともに出来たりする。

そうやって
人生は豊かなものになっていくような気がするなぁ〜

2009-03-29

久しぶりに読んだ。


久しぶりに頁をめくった
パタゴニアの本。
発行されたのは1998年
私にとって人生の転換期だった年。

かれこれ十年も前になるけど
この本に書いてあることには
新鮮さがいっぱいだ。


Going back to a simpler life is not
a steep backward;rather,returning
to a simpler way allows us to regain
our dignity,puts us in touch wish the
land,and makes us value human contact again.
               by Yvon Chouinard
よりシンプルな生活ー
そこへ戻るのはむしろ
前身なのだ。シンプルになることで
私たちは尊厳を取り戻し、大地と接し、
人と人とのふれあいの大切さを、もういちど
学ぶことになるのだから…
イヴォン・シュイナ−ド

久しぶりにめくったパタゴニアの本。
そこに書いてある
how to break the rule PATAGONIAN100ヶ条 our life on the earth
を、噛みしめて読んでいる。

1、ルールは盲目的に従うものではなく、自分達でつくるものである。
2、過ぎ去りし日の栄光、成功をひきずらない。
3、夢中になり悪戦苦闘することが仕事であり、それは決して苦労ではない。
4、我を忘れることが遊びである。
5、何事も閃いたり、思ったら、まずはアクションをひとりでも起こす。
6、お金のかからない自分なりの贅沢を知っている。
7、無駄な生活用品よりも趣味に関するものの方が家に多い。
8、業界づきあいは必要最低限にとどめる。
9、神出鬼没
10、単純なくりかえしの作業に神経を集中することが出来る。

11、神は決して人の姿をしていないと思う。
12、利害関係でない人間関係に恵まれている。
13、プロの物書きではないが文章を書くのは好きである。
14、投機的なることにはいっさい興味がない。
15、寝食忘れて物事を追求してしまう。
16、太陽系の中のひとつの惑星に自分は生きていると感じることがあり、神秘を知る。
17、生きることはユーモラスなことだと笑うときもある。
18、ハードなときでも人生や仕事を楽しむこつを知っている。
19、大人の常識よりも子供の奔放さに未来の姿を見る。そして感心する。
20、生活習慣のひとつに日記やスケッチがある。
21、インスピレーションやテレパシーに満ちた生活を送っている。
22、およそ営利目的だけで作られた新製品には興味がない。
23、名コックの料理もいいが、山の上で渇きを潤す一個の果実の美味を愛す。
24、美術館の中の高価な美より日常生活の中に在るさり気ない美を愛す。
25、人は誰しもアーティストだし、そうあるべきだ。
26、クリエイティブな作業に没頭しているときに生きる悦びさえ感じる。
27、歩いていけるところならば、車には乗らない。
28、子供の頃から好きで、ずっとやり続けていることがある。それがあるから自分だと思う。
29、モノに関する名称よりも、自然に関する名称をよく知っている。
30、動物との共生感が人には絶対に必要な感覚であると信じている。動物は魂の友である。

31、山や海は聖書以上の偉大なバイブルであると感じたことがある。
32、喜びや富は多くの人と共有すべきものである。
33、悲しみは自分だけのうちにひっそりと秘め大事にすべきもののひとつである。
34、文明ということでいえば、先進国より未開社会に真価をみる。
35、マス・メディアを信用しない、観ない、読まない。
36、都市での流行現象に無関心のうえ、他人を意識したファッションを着ない。
37、どんな問題も頭で解決するものではなく手と足を使い解決する。
38、過ち、失敗からは逃げず真剣に取り組む。
39、手になじんだ道具を使い、創造する趣味がある。
40、コレクターではないが、愛着のあるものがたくさんあり、大事にとってある。

41、50歳を過ぎてから信念と確信に満ちた仕事を始める。
42、生涯一職人的なスピリットを持った自由人であろうとする。
43、人は誰しも何らかの使命を持って生きるべきだと思い、それを実践している。
44、仲間たちとの仕事、遊びであれば思い切りエンジョイできる。
45、原点が何であるかを知り、そこに戻らず、よりよい方向へと前進する。
46、人と能力を競い合うことよりも高めあうことに興味がある。
47、いくつになっても自然に対する驚きを忘れない。
48、ネクタイ、スーツが仕事着だとは思わない。働きやすいスタイルが一番。
49、テキパキと仕事をこなしてしまったら、勤務時間中でも後は勝手。
50、知的な好奇心と体のはたらきがひとつである。

51、人と人の出会いからすべてははじまり、そこに未来が開かれていった。
52、誰も進まなかった道を先人たちの残した英知をムダにせずに歩む。
53、組織はシステムではなく個人が解放されるサークルであるべきだ。
54、何よりも自己の健康の管理が大切である。と同時にメンタリティの自己コントロールも。
55、フラストレーションを決して他者にぶつけない。
56、音楽の響きの奥に感情の源を知る。
57、エゴがある限り、それをのぞむ限り、人は何も得ることができない。
58、町内の人々と親しく長いつきあいがある。街にも通じている。
59、酒場で決して社会、会社、家庭の自慢や愚痴をいわない。
60、よきライバルである親友たちに恵まれている。仕事でも遊びでも。

61、超自然、非科学的世界におけるフォースを信じる。強い関心があり調べたりもする。
62、何事も決断が早い。
63、体験したことのないことを知ったかぶりして批判的に語らない。
64、年少者であれ年配者であれ年の差を超えて、よき人生の友となれる。
65、道具とは社会の中のルールではなく、地球そのものに対する愛であると思う。
66、前例のないことでも,正しいと思えばやってしまう。
67、他人の意見を尊重するが、自分の意見は曲げない。
68、大自然を前に神を感じたことがある。
69、飛行機では行くことの出来ない旅先に憧れ、何度も実際に行ったことがある。
70、心の通った握手のやり方を心得ている。

71、天体に関する忘れがたい思い出がある。
72、旅行以外のときは手ぶらで暮らすのが性に合っている。
73、昼と夜の過ごし方のメリハリがハッキリしている。
74、いくつになっても、たえず何か学ぼうとする。
75、鍵の数だけ人は不幸であり,富なるものも、その鍵と同じである。
76、シンプルな生活ほど人の強さをあらわしている。
77、テレビを見ることは、ほんの気晴らしである。観ないに越したことはない。
78、家族内での断絶はない。
79、自分独自の人生経験にのっとった暦がある。
80、一人暮らしの不自由さは感じない。

81、休日に退屈を憶えることはない。気の向くままに行動している。
82、カルチャー・ショックにより自分自身を強くすることがある。
83、いつも太陽と月が気になる。
84、計算よりも偶然のなりゆきに事の本質があることを知る。
85、自分が心安らげる場所が何処かよく知っている。
86、盛り場よりも”外れ”のちっぽけな街を愛する。
87、マネー・ゲームのために結束し,抗争はしない。そんなゲームからはおりる。
88、古き佳き時代の音楽やアート・オブ・リヴィング、詩、人を愛する。
89、女子供という見方,扱い方をした事がないー男ならば。
90、他人のプライバシーをのぞきみたり、干渉したりするようなことも,気もない。

91、肩書きで相手をみない、そんなものに惑わされない。
92、東洋的、日本的な文化や精神世界への感心がある。
93、何であれ、他人のことをうらやましいと思ったことがない。
94、どんなに忙しくても、本を読む時間はつくる。
95、遊び友だちとの笑いに満ちた長く自然のつきあいがある。
96、ネイティブ・ピープル・かルチャーに尊敬の念を抱く。
97、臨機応変の生き方をしている。
98、それを欲しているうちには、それは本当に手に入らないことを知っている。
99、海と山で、この地球のことを学び、街で、人生のことを学んだ。
100、はじまりは終わり、終わりははじまり……であると知る。

2009-03-25

いい顔


日曜日の昼下がりに、
お店の入り口に立って”わかる?”と、ひとりの女性が入ってきた。
からからと記憶をたどり、
知っている顔だと認識する。
長いこと客商売をしているので
はたして何か印象深いお客さんだったっけ、この人?
思い出した。
中学校の時の同級生。同じバスケ部でキャプテンしてた彼女だ。

〜BGMはこれでどうぞ
 http://www.youtube.com/watch?v=CfDKeLp4TuI

懐かしい記憶が頭の中を旋回し、
彼女が最近でも仲良くしている数人の友人の近況を聴いたりした。
〜お店を続けてて、こんな時にいいなって思う。

数日経って一枚のハガキが届いた。
その文面は
『先日は数十年ぶりの出会い嬉しかったぁ。
 そしていい顔してたぁ。
 お店でゆったりとしたときを過ごすことが出来ました。
 本棚の書物を見ながら
 過ごしたほんの一頁をのぞいた気持ちでした。
 同窓会で皆に会っても
 それぞれの人生を楽しみ
 時に憂いたり…
 大人になっていくのも悪くないかな。
              ○○だよ〜ん』

嬉しいハガキだった。
まずはそれが届いたことが。
そして書いてある文面に。

はたしていい顔なんだろうか?本当に
実は昨日の方が、いや、昨年のほうが、
いや、もしかしたらこの夏の方がいい顔なのでは?
よけいなことを考える。

同い年で、同じ時間を過ごしてきた彼女と私。
あの頃の未来に僕らは近づいているのかな?

いろいろな思いを噛みしめ
届いたはがきを眺める私だった。

2009-02-27

幸せのカタチ


幸せってナンだろう。
幸福ってナンだろう。
ふとそんな事を考えていて、
実は、過ぎ去ってからでないとわからないのではないかと
思いついた。

今、実はとっても幸せの中にいるのに
様々なカタチでのアクシデントがあって、
はじめて、
”今まではヨッカタよなぁ〜”
”あのときは平和だったわ”
”あの日は幸せだった。”
”あの瞬間が嬉しかった。”
と、感じるのではないかと…

ここんとこ、
繰り返し繰り返し読んでいる本がある。
BOOK OFFでふと、しゃがんだところで目についた一冊の本。
これがなかなか素敵な出会い。

亀井勝一郎さんの『思想の花びら』〜もの思う人のために

この本にこう書かれている。
『人間は言葉によって欺かれやすいものだ。
 幸福という言葉があるおかげで、
 我々はどれほどの瞑想にふけっているか。
 仮にこの言葉がなかったら我々は不幸だろうか。
 私の言いたい事は、幸不幸という観念に惑わされることなく、
 日々の義務を果たせということだ。
 一日の労苦は一日にて足れりである。
 その労苦の中に見いだされるささやかな喜びを
 味わうことができれば幸いである。
 それを味わえない人は、
 どんな大きな幸福をも手にすることはできないであろう。

 大きい幸福というものはないのだ。
 あらゆる幸福とは、
 日常的な、ささやかなものに過ぎない。  
 空想してはならない。
 不平家とは幸福についての空想家であって、
 自分と他人とを比べてはいつも嫉妬心に悩まされている。』


あ〜、素敵に凝縮されて的を得た文章。
そう、日々のささやかなものに幸福を感じないとね。

そして、ときどき自分の今まで歩いてきた路を
ふっと振り返ってみた時に、
その道筋を見てふっと笑えるようなのがいいな。
辛かったことも、大変だったことも
笑えたことも、悲しかったことも
それらがいろんな色で描かれているのを
微笑んでみれる心。

その本には、こうも書いてある。
『幸福は微笑のようなものだ
 微笑はしようと思ってできることではない。
 自然に静かにわいてくるものである。』
  
いいね。

2009-02-11

意中の人について考えてみた…


お友達のたいっちゃんが、
ちゃんとチョコレートは意中の人にもですよ。
というお言葉を頂き
意中の人について考えてみた。

もね、最近ね
この人にメロメロな訳なんです。
昨年、中頃からぽろっと聞き始めた彼の声。
(たまりません、もろ好みです)
出所がね、尼ぁ〜ってのもいいです。
日本一正直もんが住んでいる街。(とくにおばちゃん)
ここ出身の人で嫌な人にあった事がない、私。

生い立ちも素敵で
最終的にはそれが必然であっただろう
すばらしき偶然のような
幼稚園や小学校での
彼のその後の人生を左右するであろうすばらしき友人たち。

話の端々に出てくるすばらしい比喩力。
バッグに落ちたスィートチリソースの事を
誰が、“なんともオリエンタルな香り”なんて表現できるだろうか!
大風呂敷を広げる友人を
“大陸的発想、ボーダレスな感覚…”と言えるか!
話の影でこそっというう
”ありがとうなぁ〜”
”たのしいなぁ〜”
と、ぽろっと出る人の良さ。
心ある人に決まってる!!

いつか会えると嬉しいなぁ〜
ご来店はもちろん嬉しいし、
一緒にご飯食べれたりしたら、もんのすんごく楽しいんやろなぁ〜

そ、あった事ありません。
が、目下トップクラスの意中の人。
高須 光聖さまぁ〜http://www.mikageya.com/

マッちゃんと二人でトークの深夜ラジオ放送室での、
若干男尊女卑的な発言が、
反対にグッときます。
男の本音の中に、男のロマンと優しさを感じます。

あぁ、会いたい。

2009-02-07

スーパー占いVOYAGER〜その後


昨日探し物をしていて、
ひょんなところから、ひょんなものが出てきた。
以前付き合っていた彼と、
たしか、ボーリング場の横にあったゲームセンターみたいなところでじゃれあいながらやった
相性占い
二人の生年月日と名前と血液型を入力して
その後の二人について占うもの。

占ったのはたぶん’97年くらい
占う日は2000年の二人の行く末
だめだ、あたりすぎている
読み返してはニヤニヤ笑ってしまう。

男性の性格1              女性の性格1
明るい性格で表現も豊かな人です。    あなたは責任感が人一番強いようです。
ただ短気で               また、苦労を苦にしないタイプです。
根気に欠けるところもあります。
金銭感覚が甘くなかなか太っ腹の
タイプのようです。   

男性の性格2              女性の性格2
別の角度から判断しますと、       別の角度から判断しますと、賑やかな
自信過剰で気分屋です。         言動をする人です。
短気な割にクヨクヨしています。     また、よくしゃべります。
衝動的行動が多く金銭感覚が甘い     反面孤独で寂しがりやでシャイな面も
ひとです。               あります。社交性があり人付き合いが
女性のたのみならホイホイ安請け合い   よく異性にモテます。
します。                表現力は豊かな人です。
彼女と一緒の時でも他に目移りする人
です。    

男性の浮気運              女性の浮気運
あなたは機会さえあれば浮気のひとつ   あなたは本当に愛する人意外には興味
もしたいと思っているはずです。     を見せません。
彼女の前でもモテる事          しかし浮気願望はあります。
を何気なくアピールしがちです。
今、浮気をしたがっているようです。   あなたの浮気指数は47。
浮気指数は67

結論1                 結論2
あなたは彼女の事を真剣に考えてい    二人の結果をあなた側から判断しますと、
るようです。              あまりパッとしないカップルになりそう
かわいさのあまり彼女を束縛しない    です。自然に別れそうです。
ようにする               二人の相性指数は31
こと。また、デートの度にエッチを
要求しない                   
こと。彼女があなたを幸せにしてく 
れる確率は                  
87%。


もう笑えてたまりません。
この当時の彼にはたま〜に会います。
確かに自信過剰で気分屋。
確かに太っ腹。
そして別れを切り出したのは私。

いろんな思い出が頭の中を駆け巡ります。
よく喧嘩したなぁ〜
彼とたくさん楽しみたいぶん、仕事もおもいっきり頑張ったよなぁ〜
さ、察しがつく方は一緒にニヤニヤしてください。