2006-07-26

雑居時代


昨夜久々佐予子とさしで呑みまして、アンダーマコネタ満載です。私は20歳で東京に行って、最初に住んだとこは目黒の友人の家。そこは一週間もしないうちに引き上げ、佐予子ときぶんさんが住む巣鴨のアパートに転がり込んだ。佐予子の部屋だったところを私にあてがってくれ、三人での雑居生活が始まった。三人とも上京したて、三人とも貧乏。夜のご飯は私の担当。ひとり2、300円でまかなっていたよな〜工夫して…一度きぶんさんが転職中で余裕がなかったときには佐予子と私がパンにぬるマーガリンの量が多すぎると言ってけんかになった。私たちはきぶんさんのぬり方が雑なだけだと切り抜けた。きぶんさんが夜ご飯担当の時は白ご飯に博多からおみやげの明太子を一人一腹ずつ乗っけてくれて、それがすごく豪華だった気がする。お金無いのに博多から友人たちが来ればやれクラブだやれディズニーランドだと遊びまくり、月末にはどうやって食べていってたんだろうと思う。近所の居酒屋お福に言っては佐予子と泣きながら呑んでた。(まわりドンビキ)もう今となっては二度と訪れないであろう宝物のような日々だった。さてやつ(佐予子)との思い出には酒の話がつきまといます。ふたりとも異常に酒好きです。では笑えるやつを次回お話ししましょう。

2006-07-24

SAYOKO


ひさびさ佐予子からメールがきた。今、福岡に向かってるらしい。彼女とは20年以上のつきあい。小倉出身の佐予子は短大に通っているときに薬院で一人暮らしをしていた。このひとり暮らしというのがなんとも魅力的でしょっちゅう泊まりにいっていた。ただで泊まるのはよくないと思い一人暮らしを気づかってか、泊めてもらうときに私はいつも手みやげとして牛乳を一本持っていっていた。あとで聞いたが彼女は牛乳嫌いだった。ある日彼女の家に泊まっていた。私が先に彼女の家に着いていて先に寝ていた。深夜酔っぱらった佐予子が帰ってきた。玄関を開けるとすぐのユニットバスに入ったままでてこない。のぞいてみると便器の的を外しゲロまみれのやつがいる。彼女の服を全部脱がしシャワーを浴びさせ、着替えさせてベッドに運ぶ。明日のことを考えて風呂とトイレを掃除して、佐予子の横に寝た。翌朝、佐予子の一言。 ”ね〜なんであたしパンツはいてないの?”しるか!んなもん!パンツくらい自分ではけ!

2006-07-23

BLUESのLive


ブルースのライブに行ってきた。メンツはNHKおやじバンド選手権で全国優勝したと聞いている、ブーチーのマンちゃんが所属するインスタントグルーブというバンド。あんまりブルースって生で聞いたことなくってどんな感じなのかな〜?って思っていったけど、おもしろかった!曲が聞きやすいし、Vo.のヨシトシさんの歌が大変よかった。(ブルース歌う人ってみんな前かがみで歌うのがおもしろい)いい年こいたおっさんたちがやりたいことやってるって感じで、暑い夏に暑いブルース、気持ちよかったです。小さなライブハウスがギラギラしてる感じもよかった。また出かけてみよ〜って思いました。このバンド聞いててあっ清志郎はブルースがとっても好きなんだっておもった。RC Succesionをなぜか思い出した私でした。チカちゃんといっしょに行ってて気づいたら二時半だったのにはまいった。

2006-07-21

忘れもしない手術の日


かれこれ10年くらい前になるでしょうか、一週間ほど入院をしたことがあります。胆石で石が細かくたくさんできていたため胆のうそのものを取り除く手術を受けることになりました。内視鏡でチャッと取ってしまうのでそんなにたいした手術ではないのですがやはり全身麻酔されます。その麻酔が脊椎にうつのでとてもいたいためまず部分麻酔されます。この麻酔のときにベッドに正座をして先生を待っていると看護婦さんが主術服の着方が違うと言う、作務衣のように着ればいいのに主術の時の医師たちが後ろで結ぶ服を着ているのをテレビなんかで見ていたため無理矢理前後反対に着ていた。さて最初の麻酔、これでフワァットした気分になっていく。移動用ベッドにのせられる頃にはもう意識はない。が、このベッドに乗ってから手術室まで行く間、私は付き添いの母に向かって大きな声で“おか〜さん!あそこのラーメンうまいっちゃんね〜!”“あそこのスーパーの野菜は古かろーが〜!”など食べ物の話を延々しながら手術にのぞんだそうで母は恥ずかしくてたまらなかったそうです。手術って前の日から絶食させられるからおなかがぺこぺこでたまらなかったんだろうと思いますが私はいっさい覚えていない。手術が終わってすぐ先生に起こされる、手術台の上のライトを浴びながらここは一発先生ありがとうとか言おうと思うんだけど話そうとしたら麻酔が聞いてて口が思うように動かない。お尻を触ると厚紙で栓がしてある!けっこう踏んだりけったりの主術。病気はあんまりしたくないです。

2006-07-20

KOMOさんとKARBOさん


昨日はSGのフジさんの新しいお魚のお店”波乗り三太”のレセプションパーティでした。福岡のサーフィンを中心にした大御所の皆さんがお集まりになってました。私が十代の頃、世はサーフィンブーム。天神コアの三階にあるSurfergirlやAll american boy、Kshopなどに足しげく通ったものです。高校生の時はお金もあんまりなかったからお洋服もそんなに買えない。しかし、まるで洋服を買った気分が味わえるSurfergirlの袋が50円で売っていたのです。これを学校に補助バッグとして持っていくのが大流行りだったよな〜車の免許を取ってからは北九州や佐世保まで洋服買いにいってたよな。佐世保のNaturalHighには福岡にないブランドがそろってたもんな。で、この十代の頃から行ってたお店の方がこのKOMOさんとKARBOさん。この年になって一緒にごはん食べたりお酒飲んだりできるようになったのがあの頃からすれば夢のようです。私の中では九州一おしゃれな殿方たちです。遊び方も豪快です。まだまだ教えてもらうことがいっぱいなので、くらいついていこうとおもいます。

2006-07-13

月見てます


20代にはこんなことしたことがなかった。ひとりでゆっくり月を眺めるなんて…月見っていいもんです。お月さん出てくるの絶対夜だから、お月さんと一緒に呑める。都会にいるとついつい空を仰ぐことが少なくなる。だって、目の前の風景の空の分量が少ないもんな〜東京にいた時の住まいの窓から見えていたのはマンションの窓たち。月を見た記憶がほとんどない。それを思うと現在はなんてすてきなところにいるんだろうと思う。月はそれだけでカーンと出てくることはあんまりなくっていろんな形の雲を従えてやってくる。それがとてもすてき!これは昨日のお月さん。何気なく縁側に座っているとむこうからアプローチしてくるのでついついのせられて一緒に長いこといてしまう。ひとりの夜はもちろん寂しさもつきまとうのですが、こうやってお月さんと呑んでる私はとても幸せだと思うのです。

2006-07-10

久しぶりのクラブ



久しぶりにクラブに遊びにいってきた。それもハウスの…ハウスと言えば20代前半に足しげく通ってた西麻布の328ではじめて聞いたよな〜って思い出した。それまで横のりで踊ってのがハウスがかかると手を上に上げておどるようになった。あのころのクラブってのりで盛り上がってたよな。いついつイベントしますじゃなくて、ウワァ今日しらないうちに盛り上がってたよね、あのひともあのひとも来たしぃ〜って感じだった気がする。いつ盛り上がるかわからないからその日を逃したくがないためにしょっちゅう通ってた。あの感じ楽しかったな。今回行ったクラブでは入ったらライブペインティングが始まっててダンサーたちにもまれながら描いてるTASHI本人も踊りつつ絵まで踊ってる感じで躍動的だった。その雰囲気と音楽がとってもマッチしていて、あったまにはハウスもいいねぇって思えました。楽しいイベントに誘ってくれてこのイベントをオーガナイズしたカオリチャンあっぱれ!