2006-06-30

黄色の髪と紫の髪


子供の頃、父の転勤で埼玉県草加市松原団地というところに二年半住んでいた。普通の団地が四コ連なる大型団地で団地内には循環バスが走ってた。時は70年代初頭。あるとき団地の入り口、松原団地駅の近くにハンバーガーショップができた。まだマクドナルドもなかった時代。その店で飲んだだコーラの味はDr Pepperの味だった。子供にとっては薬臭く感じたものだ。この団地は日比谷線沿線で、週末の家族でのお出かけは浅草や上野動物園、銀座だった。あるときお出かけをした帰りに日比谷線に乗っていた。社内はラッシュだったのかけっこう混んでいて私はシートに座らせられ人混みを眺めていた。一組のカップルに目がいった。回りの人たちと違いひときわ目を引くド派手なごく彩色のサイケな格好で女の人はベリーショートの黄色の髪の毛、男の人はこれまで見たこともない長髪でその髪はなんと紫色。つり革につかまってたっていたそのふたりがいきなり座っている私の目の前で、ブチューっとKISSをしたのである。まだ小学校にも上がってなかった私はナマのKISSをいきなり見せられしびれてしまった。もう30年以上前の話だがいまだに私の脳裏に深く焼き付いている。その時のピメージビジュアルは横尾忠則のポスターまさにそれ、流れる音楽はSANTANA。あの人たちどんなおじさんおばさんになっているんだろう?

2006-06-28

ある夏の日に


ある夏の日に、友人から電話がありヨットに乗せてあげるから大原海水浴場までおいでと言う。友人と3人でボディボードを待って海岸まで行った。ヨットの底は深く海岸には寄せることができないため、ヨットまでそれで乗り付けようと思ったのだ。しかし一人の友人がフィン(足ひれ)を忘れたことに気づく。私は一人海へビーティング(ボディボードに捕まって足をバタバタさせて進む動作)して沖へ向かった。沖まででてしばらくするとライフセイバーのお兄ちゃんに声をかけられる。”波もないのにどうしたんですか?ながされてませんか?”私は”ちょっと人と待ち合わせをしてます。まもなく友人がヨットで迎えにきてくれるんです。”と答えた。するとライフセイバーの兄ちゃんが”ではお送りしましょう。”といってライフセイバー用の長いサーフボードの後ろに私を乗せた。ふたりして並んでパドリング(ボードに腹這いになって手で漕いで進む動作)その間私に見えるのはお兄ちゃんの割れたお尻。ふたりして進んでいると、おねーちゃんを乗せたモーターボートが近づいてきた。大丈夫ですか?と声をかけられこのお兄ちゃんに友人のヨットまで送ってもらってると伝えると、大変でしょうとモーターボートに乗せてくれた。かくして私はわらしべ長者のように友人のヨットにたどり着いた。

2006-06-27

屋久島にて


今のお店を開業する前、ひどく私は落ち込んでいました。体には帯状疱疹らしきものもできていたし…そんななか何を思ったのか屋久島へ行きました。深夜バスとフェリーで。同行人はユキちゃん。ひと月に35日雨が降るとか言う屋久島。私たちが到着した時ももちろん雨降りだった。ここまできたからには屋久杉を見に山登りをしようという私に対しユキちゃんは体調不良のため行かないと言う。昼から登って二時間後にいきついたところで戻ってくるから、レンタカーで迎えにきてもらうということで彼女とトロッコ道入り口で別れる。歩き出していきなり大きな川を渡らなければならない道に直面。道は橋でなくそのままトロッコ道の延長。幅は1メーターもなく下が透けて見える。高所恐怖症の私にとっては腰ガクガク失禁しそうな恐怖体験。ここで引き返してもあと5時間ユキちゃんをトロッコ道入り口でじっと待ってなければならない。勇気を持って歩き出しました。ほんとは四つん這いになって歩きたいぐらいの気持ちだったけど。その後そんな恐怖関門を3コぐらい抜けてウィルソン株までなんとかたどり着きました。帰りの山道でふと思ったのです。あの川に渡っているトロッコ道50センチ歩いている場所が違うと下へ落ちてしまう。生かされているんだな私、と。この度で気分も晴れ落ち込んでいた心も徐々に立ち直っていきました。人の心なんてふとした何気ないきっかけで気が晴れてしまったりするもんです。

2006-06-26

はじめてのハワイ


はじめてハワイに行った時、その2日前に行くことを決めた。ふらっと三泊五日。同行者はサヌイ君とハマ。ホテルも決めずに行って一苦労。まぁそれなりに浜辺を歩いたりブランドショップへ行ったりして楽しみ、食べ切れないほどのメニューを頼んで嫌な日本人観光客丸出しのイタリアンレストランでの夕食。あまりの量にこの日の夜ハマは一人浴室でゲーゲーし、翌日のパイナップル畑&Sunset Beachドライブではスーパーの袋に口がくっついたまんまだった。最後の夜のディナーはどうせならと金髪のグッドルッキングが運転するリムジンタクシーをチャーター。後部座席でガンガンお酒を飲みカラオケへ。最後の締めくくりの寿司屋には金髪ニーちゃんもご招待。気分を良くした金髪ニーちゃんは次の日も空港まで送ってくれると言う。翌朝金髪のニーちゃんが来る前にホテルが用意した、タクシーに乗せられてしまった私たち。ごめんね金髪ニーちゃん。パーッと遊びにいくのはいいよねハワイに。

2006-06-22

私の贅沢


まもなく自分でお店を始めて6年が経とうとしている。4年前に友人がお店でかけれるようにコンピレーションのCD をつくってくれた。そのなかにゆっくりとしたツービートで低い声で歌う男性ヴォーカルの曲が入っていた。私がその曲をとても気に入っていると、その声の主は浜口庫之介さんの息子である浜口茂外也さんという方の声だということがわかった。(浜口さんのhome pageです http://www.geocities.jp/motoya_hama/ 是非みてください)当時お店によく来てくださってたフジタさんが口をきいてくださり、お店のアニバーサリーにおよびすることができた。たった一曲の歌声ですごい方と出会えることとなった。浜口さんも、自分の声を聞いてよばれたのは稀なことらしく喜んでくださった。昨年は浜口さんのパーカッションとコーラスにのせてザ・ピーナッツのペピートを歌わせてもらった。これでユーミンやSMAPと同じ思いを我が庭で果たせたのである。なんと言う贅沢!

2006-06-20

緑の光線



休日の今日、ひさしぶりに海辺で夕日が沈むのを見た。少しずつ時間とともにあかく色ずく夕日を眺めていられるのは、休日のひそかな贅沢。最近の夕日は海に落ちる間際のところにガスなのか雲なのかがあって、なかなか海に落ちる夕日を見ることができない。ふと、エリック・ロメール監督の”緑の光線”という映画のことを思い出した。夏のバカンスを一人で過ごすことになってしまった、ちょっぴり寂しい女の子のおはなし。キーワードは太陽が沈んだ瞬間に緑色の光を見れるとその人は幸せになるというもの。私はまだその現象を見れたことがない。だからまだ幸せはきてない?それはさておき、あるとき古本をおいてあるカフェにて、その現象ズバリの絵はがきを手に入れた。場所はマダガスカルみたい。このカードを手にしたことですこし幸せが近づいたような気がしてきた。では皆さんにも写真にて幸せをお裾分けいたします。

2006-06-19

高津君の版画


かのDETERMINATIONSの高津氏は版画がとてもお上手。以前RIDDIMにも掲載されていた。ことあるごとに版画をプレゼントしてくれる。はじめていただいたのは平成15年のSUNSET LIVE。いただいた版画の数はけっこうな数になり、時々以前いただいたものと同じものが届くと版画だからそういうこともあるよねとにんまり笑える。最近いただいたのは写真のこれ。いつもは仏像なんかが多いのに、今回のこれは植物ですてき。PANXで指にまでタトゥが入ったその手でどんな顔をして彫っているのだろうと想像するととても楽しい。もし私がエッセイストになれたら、その時の挿絵は彼が担当してくれるそうです。ありがたいお話。現実になったらいいな。版画や絵は人の手から無限大の可能性を秘めてうまれてきます。そしてどうしてもその人の人柄がにじみ出てしまう。私も時々絵を描きますが、出来上がって自分の絵のメルヘンさにびっくりします。メルヘンなんて言葉はどうも苦手なのですが、どうしてもそうなってしまう。いい絵とは心がこもった絵だと思います。心を持って描くことにより、それを観たものにはちゃんとメッセージが届くのではないかと思います。どんな偉大な作家のものでもでも、幼児が描いたものでも…

2006-06-18

ゲバラ日記と夕日と拳銃


先日友人のブログを読んでいたら、むかし読んだ本のネタが書いてあった。私にとってはどんな本だろうと考えてみた。”ゲバラ日記”は何度も読もう読もうとトライするのだがなかなか読めない本の一冊。彼のレベルが高いんでしょうね。あんなにモーターサイクルダイアリーズはおもしろかったのに。”夕日と拳銃”は以前めちゃくちゃ面白くて噛み付くような気分で読んだ一冊でした。主人公の麟之介がとても男臭くてかっこいい。友人から借りてあまりに面白くて自分でも買おうと思ったら、絶版で売ってない。古本屋さんでも待ちの状態。ネットで買おうと思ったら、文庫本で上下刊それぞれ7000円ぐらいの値がついている。もう一度友人に借りて読んでみたのだがなんだか前と感覚が違う。どうも私が年をとってしまったらしい。泥臭い主人公に付いていけないのだ。そんな自分にがっかり。ハードボイルドや血なまぐさいフィクション好きなんです、私。男臭い男が出てきてガンガンなんでもあり、みたいなの。どうぞそんな方が目の前に現れますよう。

2006-06-17

LA DOLCE VITA



はたして、ドルチェビータだったのかどうかはわかりませんが、20代後半に一年間イタリア人の男性と生活をともにしておりました。朝は家の中庭のテーブルにパーッとテーブルクロスをかけて朝食の準備から始まります。エスップレッソマシーンでコーヒーの用意。フレッシュなオレンジをしぼってオレンジジュースをつくる。あとはパンケーキとかだったかな。彼の家の庭はとても広大でした。そして季節ごとにめくるめくいろんな花が咲く。家は二百年ほど前の農家の家を改造した作り。階段は石なのに弓なりにとけてました。夜は窓から握りこぶしくらいの大きさのオレンジ色の光が見えている。この光の固まりがフィレンツェの街。街の中心部から車で一時間くらいかかるモンテセナリオと言う街にすんでおりました。飲み水は家のもっと上の方まで汲みにいってました。それまで東京暮らしだった私にはなにもかもかカルチャーショックでした。いきなり田舎暮らしに打ちのめされたんです。気になるでしょどんな人と付き合ってたか。24歳年上の方でした。じゃまたつづきは気が向いたときに…

2006-06-16

サッカー観戦INナポリ


ちまたでは、ワールドカップの話題でもちきり。私も何度か観戦に行ったことがある。サッカー結構好きなんですよね。だって選手が男前ぞろいだもん。イタリアに住んでたときにナポリで観戦した。まだJリーグとかなかったんじゃないかな。フーリガンって言葉も知らなかった。スタジアムに入る時の規制があまりに厳しすぎてびっくりしたのを覚えている。飲み物は全部プラコップ。瓶やペットボトルだと投げた時危ないから。試合のことはあんまり覚えてない。そのあとの会場から友人の家まで帰るのが大変だったから。会場を出るや否や走らされたのだ。騎馬隊の警察の指示に従って。なんでこんなにサッカーの選手みたいに私たちも走んなきゃいけないんだろうってくらい。あとからニュースでわかったのだがその日ミラノから来ていたフアンに地元のナポリの子が因縁をつけ三人亡くなってしまったのです。ナポリはなかなか柄の悪い町でした。走ってる車はどれも信号を守りません。なので感覚で信号曲がらないとだめです。車を駐車したらみんな自分の車のハンドルやコンポを肩に担いで歩いています。そうしないと、車ごととられるのです。はじめて見たときにはそれを持っている人がみんな泥棒さんかと思いました。一人でタバコも買いにいけない町でした。そんな町で夜、友人たちとお出かけしてて帰りに友人の車の中に先に乗って待っていたら、一生懸命私たちを捜している。もう乗って待ってるよ〜!と言うとゲラゲラ笑われた。物騒なナポリではあえて車の鍵を誰もしない。私たちは友人の車の一台前の他人のくるまに乗って彼らを待っていたのだ!あ〜れ〜

2006-06-15

万引きもどき



昨日の夜、薬院六角近辺に佐世保のカーボウさんのNatural Highがオープンしそのレセプションパーティがありました。お祝いに駆けつけた面々は、SGのフジ社長、OHANAのコモさん、トミやん、DONIMEのハヤシさん、フセさん、エーボウさん、ダズさん、ゼンさん、ダイゾウ君、Sunsetのハヤシさん、にぎやかで楽しい夜でした。感激なのは、私が十代の頃に買いにいっていたお洋服屋のオーナーの皆さんと一緒にお酒が飲めるようになったこと。レセプションといえばDONIME GEARがオープンしたときにそのパーティでメーカーさんであるハヤシさんがいろいろ自分のとこの服を脱いだりきたりしていて、おもしろそうだったので私も便乗してお店の服をいろいろ試着してみました。そして試着した服を着たまま帰宅してしまいました。まぁ万引きってやつですね。後日もちろんそのお店のオーナーであるトミやんから請求書が届き、万引きではなくなりました。スミマセン!確かスカートはいていってたのに、まだ暑かったような気がするけど、このダウンとジーパンはいて帰ったのよね…

2006-06-13

ジュリアン・サンズ


あるとき、渋谷のクラブCAVEへ女の子の友達と二人であそびにいった。東京在住中、20代半ばだったと思う。二人でフロアをうろうろしていると、ものすごく素敵な外人さんたちのグループがいた。お酒を飲むと急に英語がペラペラとしゃべれる私は、ちょいと酒をあおりその素敵な集団へお仲間入りを果たした。私は一人のガーゼシャツを着てブロンドへヤーの殿方から声をかけられ、一緒におどっていたら”今晩一緒に帰らないか?”と誘われた。一緒に来ていた友人にその旨を伝えたら”すこしジュリアン・サンズに似てるけどあごのニキビが気になる”という。まぁ、その夜は彼らと大いに盛り上がっておわった。幾日かたって、その友人から連絡があった。“あの人本物のジュリアン・サンズだよ雑誌に載ってる!”と。見てみるとあの時のニキビもそのまま、映画界のスターたちによるコムデギャルソンとワイズの東京コレクションのモデルとして来日していたのだ。クーーーッツ!一緒に帰っときゃよかった!本物のジュリアン・サンズと!ちなみに写真はそのとき友達からもらった雑誌の切り抜きです。サンズサんは左上ね。

2006-06-12

たけしこうじ


昨夜、ひさびさにリトテンのメンバーとあった。去年の秋にTOKIくんとは二葉高次君と組んでる、たけしこうじの九州ツアー以来。写真はうちでライブをする前のふたり。小さな店舗のなかで演奏して、終わったらそのままその場に座って宴会が始まって、宴会が終わったらそのままそこに布団ひいて寝てもらいました。なんとライブハウスと、宴会居酒屋と、ホテルが同じ場所だったというすごい体験をさせてしまいました。二葉君は次の日パウダーの散歩に出かけて道に迷って帰って来れなくなって笑えた。あんまり長い散歩だったためパウダーはとっても二葉君のことが好きになった。うちでのライブをかわきりに、2週間で7本くらいのライブをして回ったんだよね。これが今回のリトテンツアーに繋がったみたいでよかったね。TOKIくんはとっても優しくて、ニンゲンの大きな人です。会うといっつもとっても嬉しくなる。また呑もうね〜

2006-06-09

FLIP


昨日の夜、珍しくシマダさんから電話があった。彼は私の記憶するところ、福岡で最初におどれる方のクラブをつくった人。知り合ってからかるく20年経ってしまった。シマダさんはヨーロッパでのお仕事を終え、日本に帰ってきて福岡にもクラブをつくったらかっこいいだろうなと思ってつくったらしい。私たちの知らない数々の海外の音楽、まだどこの店にも流れていなかったMTV。入るとすぐジェイルのようなDJブースがあっていつもだれかが皿をまわしていた。店のなかは真っ暗でコンクリートうちっぱなし。フロアの灯りは一本のレーザービームだけ。無機質な空間に大きな鏡がおいてあるだけだった。それまで行っていたDISCOがいきなり俗っぽく感じだした。まだおこちゃまだったくせに、NEW WAVEな格好をしてその店に通った。この店をかわきりに、Pink flag GAZENBO 一係 Nine Harfいろんなクラブができていった。シマダさんはまた最近遊びの虫がむずむずしてきたらしいです。おつきあいしまっせ!

2006-06-03

死ぬかと思ったドライブ



GWに東京から帰省していた。みんなでドライブへ行くことになり、車2台で西に向かった。まずはオープンして間もないSUNSETというお店へ。すこしくつろいでから野北の火山という山へ車で上った。この山にはハングライダー用の発射台がある。山の斜面に対して水平に突き出た台。パノラマで海が見わたせる。ここで高所恐怖症の私はみんなに手足をもたれニンゲンブランコをされた。駆け出しのお笑いタレントの罰ゲームのように…その後山を降りるのだが、先頭のシンイチ君がとばすとばす!私が乗っていた後続車はコウイチ君の運転。前の車に負けんとばかりぴったりくっついてすごい速度で山を下りていく。とそのとき、いきなりガーーーン!ワァ死ぬんだ私!と頭をかすめる。車体がガタガタしてとまった。動揺を抑えて外へでてみると見事に側溝に脱輪している。まだ携帯もない時代。場所は山の中腹。タイヤをじわっと上げるために近くから丸太を拾ってきてどうにか難を逃れた。2時間くらいかかったのかなぁ、この作業。人数たくさんいたから楽しかったよな。

2006-06-02

チアッチーとトモちゃんの結婚式


ふと、チアッチーとトモちゃんの結婚式のことを思い出した。ありぁ〜楽しかったねぇ!式のしめの万歳三唱で、私は、着ていた美しい燐のワンピースから一変、新郎の学生時代の真っ赤なジャージを新婦からこっそり借りておいて万歳のかけ声の人の後ろに付いて高砂の近くまで行って、一緒に万歳した。新婦の喜ぶ顔、新郎の困惑した顔、大満足の私。その後二次会、三次会と進み、どんどんみんな泥酔。私はおでんの汁に浸したカールをみんなにすすめていた。三次会の店の前で、新郎の友人が倒れていたので”大丈夫?”といいつつ、閉じたまぶたに開いた目をマジックでかいておいた。目をかかれた彼は広島から来ていたらしく、次の日、二日酔いのまま飛行機に搭乗。機内では寝ていたけれど寝てないように見えていたはず。広島について自分の顔の異変に気がついたそうです。ごめんあそばせぇ!

2006-06-01

地球交響曲ガイアシンフォニー第四番


え〜っと、何年前だっけ地球交響曲ガイアシンフォニー第四番の上映会をしたのは…マリエちゃんやヨウコちゃんのおなかにちびちゃんたちが入っていた頃。この映画のことが気になって何人かの人に尋ねたら、自主上映のシステムによって上映されることがわかった。”マコさん自分で上映会したらいいやん”と言うソワカ君の一言に背中を押され、同士を集めて自主上映会を開く運びと成った。口火を切ったソワカさんは会議に出席することもなく、沖縄へ飛んでしまった。この映画を上映するのに志摩町でしたかったけど志摩町の役場の方達はこの映画のよさを全然把握してくれなかった。変な宗教映画と勘違いされたみたい。結局、伊都文化会館で上映しました。集まった同士たちは上は70歳、下はマイナス0歳、いろんなタイプのニンゲンたちが集まっての上映会までの日々。楽しかったよね。