2006-12-15

記憶喪失


もうかれこれ四、五年前になるだろうか。年末になるとおじさんサーファーのサカキさんとハリーさんがトモちゃんと私を誘ってくれて忘年会をしていた。一次会はトモちゃんの旦那であるチアッチーが勤めていたグリシンへ。そこでだいたい出来上がり、中州の方へのみに出かける。毎年サカキさんはゲイバーへ私たちを連れて行ってくれる。ある年もそうで、カウンターに座って楽しんでいた。12時を回ったくらいからプツっと私の記憶は無くなり、何時間か経って、ふと正気に戻った。”ネエネエ、トモちゃんいいかげん私も歌が歌いたいんやけど〜”と言うと。”もう!マコぴん、さっきからおんなじ曲三回も歌いましたよ!”“エッ?”覚えていない私…では次の会話をっと。“ネエネエ、トモちゃんここのママえらいシャーシーっちゃっちゃけどどうにかならんとかいな?”“もうなに言ってんですか?さっきまでこの店で一番うるさかったのマコぴんですよ!”覚えていない… こんなんばっかり。

2006-12-11

悪魔のような私たち


先日日頃のうっぷんを晴らすため、はるか沖縄にいるユキに電話をした。最近嫌だったことをぐちぐち聴いてもらい、昔話に花が咲いた。十代で私がまだ上京する前にユキとよく小旅行へ出かけた。関西へ行ったときには京都駅に高校の同級生の悪そうだった慶太(当時同志社生)を呼び出し荷物持ちと二人のツーショットの写真を撮るためにシャッターを押してもらっただけでバイバイした。熊本へ行った時は帰りのバス代を貸せと一人暮らしで熊大生の樋口くんからお金を巻き上げバイバイした。ひどいひどすぎる!悪魔のような私たちだった。でも誰も嫌ったりしない。なぜか私たち二人だけが高校の野郎だけの同窓会“ボイガル会”といううのによばれる。こんなんだからつけあがるのよね〜私とユキは…二人でバイトにいってたケヤキ通りの酒屋さんも一緒にクビになった。店に置かれている焼きた当てのパンを知らん顔してこっそりムシャムシャ食べたりしてたもんなぁ。店にきた友達にはガンガン万引きさせよったし。写真はね成人式のものです。まん中はいくよちゃん。ういういしか〜

2006-12-10

気がついた。


きのう、”たけしこうじ”のライブに行って気がついた。この頃バーとかに行ってないってことを。ガッツりと話し込んでべろんべろんになるまで呑んでベラベラ話すってやつをしていないことを。もちろん昨日もバーnoisでは最初にカンパリソーダを一杯飲んで、その後はソフトドリンク。こうなるといいライブもよさが半減する。あー、場所も帰りのことも心配しないで都会ではしごしながら呑みたい!車で帰宅するのに酔っぱらったマサコが助手席にのっている。帰宅時間一時過ぎ、すぐさま二人でビールを飲み始めた。そしてすごく久しぶりに酒の入った勢いでべらべらごくごく。気がつけば三時を回っていた。まぁ、私は呑みはじめが遅かったのでぐいぐいといっておきました。そして、すごく翌日すっきり。やあ〜、やっぱ呑まないかん。呑んでおしゃべりいっぱいせないかん。私はそういう動物だ。

2006-12-06

さばける女


20歳で東京へ行って、バイトして何となく生活してて、母親からやっぱり学校出てたほうが得じゃないっていわれ、美術系の学校を卒業して学校の先生のご主人がやってるデザイン事務所に就職した。場所は代々木。そこで私は真澄ちゃんと出会った。一見、ボーッとしてクラスで仲間はずれにされそうなタイプ。しかし彼女はとびきりセンスがよく、すごく仕事がさばけた。それまで仕事ができる女性と言えばハイヒールカツカツいわせてピタットした服を着ているものだというう私の固定観念を見事に打ち砕いてくれた。話してみると、映画や音楽の趣味もとても合い一緒にいるのが楽しかった。彼女が土曜日は会社に来なくていいよって言うのでその通りにして社長から叱られボーナスがないこともあった。彼女が通っていたから私もフランス語を習いに行った。そのうち彼女はフリーで仕事を始めるようになり、もちろん私も彼女の仕事が手伝えるように会社を辞めた。そうこうしているうちに月日は流れ、私はイタリアへ。帰ってきてみると真澄ちゃんはパリに住んでいた。いまもフランスに住んでいる。フランス人と結婚して子供もいる。また会いたいな。今は日本語ぺらぺらのご主人と翻訳の仕事をしているみたい。写真は彼女がパリにいるときに尋ねて行って南フランスを旅した時のもの。ボディコンよー

2006-12-02

スカロケとバグダッド



先週の日曜日にSKA★ROCKETSとBAGDAD CAFE THE trench townのライブにいってきた。このふたバンドは私にとって特別思いい入れのあるバンドたち。スカロケはサンセットライブをやっていた頃にオリーブレーベルのタカハシさんから福岡になんかおもろいバンドない?って尋ねられて、いますいます、ステージで火吹いたり空手やったり変なスカバンドがありますって紹介した。その頃とは相当メンバーの入れ替わりがあったけどいまも福岡を代表するバンドとしてがんばってる。前回、Voのケンゴくんがステージの上で打ち上げには三人女を抱くぜーッていううから終わってすぐに、ではひとりめお願いします。って言ったら腰引いて逃げて行った。笑える。バグダッドは三人の歌姫たちが歌唱力を上げていた。ステージで”サンセットライブに出たい!お願いしますハヤシさ〜ん!”とマイちゃんがおらんでいた。この後ちょっとどよめきのような笑いのようなのが起こっておもろかった。彼らのスタイルは、私の目から見るととてもサンセットライブっぽいと思われるのですが、数日後に当のハヤシ氏より連絡があり”どう思う?”ってきかれた。わたしは、出演してもらっていいんじゃないって思うのでうすが、彼にはどれも同じ曲に聞こえるらしいのです。でもレゲエのカテゴリーってだいたいがズンチャズンチャだし、似てるって言われてもね〜最近のサンセットライブはロックフェスだよねって以前から仲良くしているミュージションたちは口を揃えて行ってる。まぁ時代の流れってやつですかね。どういうふるいをかけてミュージシャンを選んでいるのかようわからんし。みなみなさんがんばってください。

2006-11-23

Treasure Night


さっき、タニガワくんから電話があった。こんどの日曜日にバグダットカフェザトレンチタウンのライブがあるのでそうぞお越し下さいって。彼らとの出会いはかれこれ4年前のTreasure Nightをやったとき。4年前の年末にイベントをしたいっ!って言う私の誘いに難なく、XAYMACAのミドリさんがのってくれてことは始まった。何もかもゼロからの出発。いや〜女2人でよくやったもんだと思います。時としてあの凄まじいパワーはいったいどこから出てきたんだろうって思う。お金のない私達のイベント。駆けずり回って集めた協賛。バグダットのみんなの宿泊先は我が家。みんな並んで総勢十一名並んで寝てもらったよな〜。お風呂はみんなで入りにいったし。カジャも来てくれた。高津くんも来てくれた。ヨウヘイも演奏してくれた。ヨシヅミくんもまわしにきてくれた。なんか、今思うとすごいイベントだったな〜そしてめちゃめちゃ楽しかった。そしていい経験だった。たくさんの人の愛につつまれてた気がする。またなんかやらかそっと!ふふっ。

2006-11-10

TAICHIとアキちゃん


今日アキちゃんが来た。アキちゃんは太一の妹。彼女が高校生のときにはじめて出会った。まだまだすごく幼いやつと思っていたらなんのことはない私より三つ年下なだけ。太一とは私が高校1年生のときに出会った。彼はサーファーガールのトレーナーの上下を来てよく私の家まで遊ぼ〜ッて誘いにきてくれてた。この人との出会いがその後の私のナイトライフに大きく影響を及ぼす。いろんな人に出会わせてくれた。優しいんだよなぁ、太一は。夜遊びに出かけるのに俺金ないけんって近所の友達に借りにいって出かけたり。悪いこといっぱいした。そんな私たちを高校生をしながら見ていたアキちゃん。マコちゃんむかしと違っていい人。みたいな表現をされた。あたりまえやん!あたしゃもう四十バイ。いい人ぶっとかな。もう、むかしの友人に会うとわたしのナチュラルぶった生活のほんの隙間に垣間見えるむかしの香りを探り出そうとする〜。いい人ばっかりはやってられないもんでこんなところでぼやいてんのよあたしは… アキちゃんと昔話に花が咲いて楽しいひとときだった。写真は太一、カンジ君、シンイチ君、サリー、ザビちゃん…みんなでいった奈多の海。’85or'86くらいかな。若いなぁ。

2006-11-05

最近読んでる本


最近読んでる本です。本はけっこう好きな方です。ジャンルはあんまり問いません。ベッドのサイドテーブルに今読んでる本たちを積み上げているのがすきです。読んでる途中で浮気して別の本を読んだりもします。最近読んでいる本の大半はお客様から進められたもの。星野道夫の死因についての本だったり、五木寛之のポリネシアンセックスの話だったり、テレビで特集があったばかりの白州次郎の本だったり。次にそのお客様とその内容について語り合うのはとっても楽しいことです。ただ最近はつい欲深くなってかしてかしてと言った割には先に進めず宿題がたまっていっている気分。でもそれも本好きとしてはうれしい悲鳴。さ〜て秋の夜長はやっぱり読書よね。読み終わった本を本棚に閉まって、それを眺めていると自分の脳みその中にこいつら入ってるんだ〜ッて妙にうれしくなるんですよね。私だけかな?

2006-11-02

パリ発バルセロナ行き



40日の旅行中、パリからバルセロナへは寝台列車を使った。ユーレイルパスは期間中乗り放題。私たちは一等個室を三人でせしめ列車の旅は始まった。食事は食堂車で給仕さん付きのフルコース。部屋に戻ったらしゃべって寝るしかない。ふとわたしはバーのある車両へ行き、スペイン人の銀行マンにナンパしていただく。言葉は片言の英語。(ちなみに私は酔っぱらうと英語がしゃべれる)これはひとりでおごってもらうのはもったいないと部屋から2人を呼び出し4人で酒盛りを始める。連れの2人は先に部屋に帰り、調子にのってる私はスペイン人と2人深夜までのみふけっていた。その後、部屋に戻りバク睡。翌朝、サヨコがおこっている。”も〜マコやろ〜!ここにゲロ吐いたの〜!”って。“いや私じゃ〜ないよ〜”見ると個室に備え付けてあった小さな洗面台にゲロがチャプチャプ。申し訳なさそな顔して起きてきたクミコが”ごめ〜んわたし〜”よく見るとやつは洗面台に届かず自分のブーツの中や背負ってきたリュックにまで自分のそれをかけてしまっている。旅の途中それぞれ靴は一足ずつ。気分が悪いのを押さえつつもクミコは洗面台から自分のゲロを汲み取っていた。汚れたブーツも掃かねばならぬので一生懸命拭き取っていた。ごめん、つい調子にのってバーに誘って。いつだって私はお調子者のサルなんよ!写真は珍しく三人ショットのバルセロナでの夕食。また、行きたいね〜。

2006-11-01

はじめての海外旅行



23歳のときにはじめて海外旅行に行った。いった先はイギリス、フランス、イタリア、スペインとおまけで返還前の香港。かけた日数40日。同行者、サヨコとクミコ。三人でお揃いのサムソナイトのトランクガラガラいわせて。最初に降り立った場所、ロンドンのピカデリーサーカス。ROCKとPUNKが好きな私たちには外せない場所だった。どうしても体験してみたかったトラファルガー広場での誰とでもハグし会うニューイヤーカウントダウン。カムデンロックのマーケット。エッフェル塔。メトロのコンコースで歌うミュージシャンたち。金をたかるジプシー。オルセー、ルーブル、ピカソ等数々の美術館。ガウディのつくった建造物たち。治安が悪すぎるローマの町並み、枯れていたトレビの泉。ストーンヘンジ、ビートルズのリバプール、さらば青春の光のブライトン。呑んで笑ってけんかして、楽しい旅でした。この話を始めるとフランスからスペインまで行く寝台列車の中での出来事が話したくなる。ユーレイルパスを使っての豪華車両利用。三人での寝台個室洗面付き。ディナーはヴュッフェで給仕付き。窓の外は地中海地方の美しい風景。ときどきは海の上を走っているのではないかと錯覚を起こすようなルート。そんなすてきな寝台列車でことはおこった。…この話は長いんで次回にします。

2006-10-30

ぼや事件


昨日焚き火をしていたら、子供の頃にぼや(といっても小さなもの)を起こしたのを思い出した。埼玉県の松原団地にいた頃、私が小一で弟たちが幼稚園の年長さんくらいのころかな。母は近所のパン屋さんにパートへ出ていた。ある昼下がりに兄弟三人でおなかが好きオーブントースターで食パンを焼くことになった。待っているとオーブンが炎上している。今にして思えば、たぶんタイマーを長くかけすぎてパンが燃えてしまったんだと思います。オーブンからは煙がモクモク。弟たちは火事だー!と言って庭へ逃げてしまう。ここはおねーちゃんである私がなんとかせねば!と私は奮い立ち、なぜか歯磨きする時のうがいコップに洗面所から水を汲んできてオーブンにひたすらかけていた。あぁ、弟たちを守るためなんと私は勇ましかったのでしょう。モクモクはすぐ消えました。なぜかそのすぐ後に私服の刑事さんが来て、なにごとですか?と尋ねられそのことの方にビビった私でした。刑事さんはたまたま近くにいただけなんでしょうけどね…

2006-10-27

お風呂とグランマルニエ


英国人とお付き合いしていたときのことです。彼は私の勤める代々木近辺や品川の駅前まで迎えにきてくれてよく彼の家に泊まりにいってました。彼の家は成田にあり英国からの車の輸入をしていたため毎回いろんな英国車で迎えてくれ成田までの長いドライブは楽しいものでした。彼の家はだいたいの外人がそうであるように古い日本家屋でした。ある日彼の家に着くと彼が温泉に入っておいでといいます。温泉?見てみると、家から少し離れた棚田のところに穴が掘ってありそこにホーローの風呂釜がうめてある。まわりにはかるく竹で柵がしてありアサガオの蔓が少しクッルッと巻いている。お湯のもとは家から長くのびたホース、その先は瞬間湯沸かし器。すごく簡易的ないわば自家用露天風呂なのである。入りましたよ〜。しばらくすると西洋人ならではのスイートさで彼がアイスクリームのグランマルニエがけを持ってきてくれた。それを食し、しばらくしてさっあがろとしたところで私の記憶は無くなりました。二、三時間ぐらいたったでしょうか、気がつくと私は家の縁側に泥だらけで全裸の状態で上に浴衣が一枚掛けてある状態で寝てました。お風呂とグランマルニエの組み合わせはよろしゅうありません。

2006-10-26

RUGGER


写真は吾愛すべきRUGGERであります。過去に何台かの車に乗りましたがこれはとっても気に入って買った車です。ふと妙に錆びとこびりついた苔が気になって久しぶりに念入りに洗車してみました。洗ってる途中にきたヤスコちゃんは”明日雨になる…”とつぶやいて帰っていった。いいんよ。 ラガーの弟分はロッキー、きっと”太陽に吠えろ”を好きだった人がつくったに違いない、とかってに私は思い込んでいる。排気ガス規定で東京大阪ではのれないレアな車。ボロくってあぁなんてかわいいんだろう。こんな車だけどRico Lodriguesも乗せたことあるんだ。やるでしょRUGGER。車ん中にサインもらっとけばよかった。なんてね。この車、かなり遠くからでもアッ!マコさんだ〜ってわかるらしく、しかしとうの私は対外まっすぐ向いて運転しているらしくかなりの方をシカトしているらしい。ごめんなさい。フロントについているウインチは三回人を助けました。もう錆びて動かすのが怖いのでもう私に救助を求めるのは止めてください。雪の日とか早朝とか…外観はかなりいってますが中身はバリバリOKなんですこの車。まだまだ愛していこうと思います。

2006-10-25

TROJAN HMV BOXSET


数日前に小さな小包が届いた。東京にいる弟からだ。中を開けてみて見ると三枚セットのボックスタイプになったCD。少し前に自分がセレクトしたCDがまもなく発売されると言っていた。とりあえずかけてみる。流れ出した懐かしい曲の数々。そう私と弟のminouは20代前半に東京で一緒に暮らしていた。あんまりお金はなかったけど楽しい日々だった。部屋に作ったDJブースで2人で好きな曲をかけて踊ったり、テープつくったり。暇な日曜日にはお互いの好きな絵や写真をコラージュしてパネルにしたり。で、このCDのジャケットはその当時かいたもの。ねーちゃんはおぼえているよ!あのころはレゲエのレコード探して高田馬場、新宿、渋谷いろいろまわったよね。Janett Keyすら売ってなかったもんね。兄弟三人でレゲエ好きだったからいっしょによく出かけたね。毎年恒例のJapan Splash、ASWADやThe Specialsのライブ、KAYA、Kingstone Club、Club Jamaica。兄弟でドレッドヘアーにしたこともあったっけ。で、山手線で英語で日本人から話しかけられたり…音楽ってすごいね、忘れかけてたこといっぱい思い出したよ。ありがと。

2006-10-23

“金曜日の妻たち”もどき


今日さぁ、ふと思い出したんよ、自分の高校生の頃を。なんでかっていうとお店のカウンターで主婦がべらべらしゃべっているのを横目で聞いていたときに…私前にもこんな風景の中にいたことがあったって。そうそれは高校生の頃。よく学校さぼって近所の主婦連中と麻雀したりしていた。タバコぷかぷか吹かしながら。でその頃主婦の彼女たちに流行っていたのが若い兄ちゃんと付き合うというもの。たぶん当時はやっていた”金曜日の妻たち”というテレビの影響が多大にあったと思うのですが、なかなか凄まじいものでした。かろうじて我が両親の夫婦仲がよかった為にぐれはしませんでしたが(?)思春期の私には何か強烈な思いがあったのを今も覚えています。だって近所のおばちゃんがある日子供も夫もおいていなくなっちゃうんだもん。それも何件も。で、いまだにその人たちにときどきばったり会っちゃったりするのよ。むこうは私ってわかってなかったりするんだけどね。人の人生っていろいろよね。あぁ、変なこと思い出した。

2006-10-22

スカ★ロケと遊ぼう


先日珍しくスカロケのイマムラ君から電話がかかってきた。こんどの日曜日にイベントをしますからきてくださいとのこと。自分たちのバンドよりもThe Little Elephantというバンドを見に来ませんか?と。土曜日の昨日はお店の終了時間が9時を回った。すでに会場に行っているマサコにリトルエレファント何時から?って聞いたら9時45分からって言う。いつまでお誘いしていただけるかわからない我が身。車を飛ばしていってきました。連日ライブ三昧。前日の大人っっぽいイベントとは打って変わって、絶対私がお客さんの中で一番年上間違いなし。ヒョエ〜みんな若いよ〜若いこのバンドは陰りがなく元気がいっぱい。アイスコーヒー飲みながら、若いこの踊りを眺めつつ楽しんできました。学生だったスカロケのみんなも大人になったね。帰りにはお客さんにCDのおみやげまである豪華なイベントでした。

2006-10-21

Night Clubingはやめられない




やっぱりナイトクラビングは止められません。楽しかった〜昨日の夜は…親不孝にあるTheVooDooLoungeの7周年記念イベント。入り口からいきなりDennisBovellとJeanBintaに出くわす。つかさずずーずーしい私は楽屋で写真をぱちり。会場は以前の”レゲエ屋”を思わせる雰囲気で懐かし〜い顔がちらほら。そりゃテンションあがりますって。かのDennisがアコギでの演奏には年がいもなくシーバさんといっしょに最前列で観覧。DubsensemaniaのライブもすばらしくDennisは歌で参加した後、自らPAをしだした。もうその音たるや感涙もの。あのパンみたいな手が機械を触ると魔法のように音が変わっていく。その様子が観たいが為にPA前のカウンターテーブルの端っこに腰をおろしてライブと彼の手さばきを観た。ライブの後は終わったら乾杯しようねと約束をしていたPJとのひととき。ラスタカシ君もいっしょにパチリ。最後はPJと厚いハグをしてお別れ。あっというまに五六時間が過ぎていった。もちろん運転手付きで出かけました。ありがとねSO君。あまりに楽しくて興奮したせいか4時に寝たにもかかわらず。朝いつも通りに目が覚めて布団の中でひとりにんまりしていました。楽しさのパワーとはすごいものです。翌日の今日は元気に働いております!すてきなイベントをしてくださったVooDooのみなさんと偉大なミュージシャンに感謝。

2006-10-18

Ruffun'Tuff


今月の14日から渋谷で公開されてるRuffn'Tuff。ジャマイカのレゲエシーンを築いてきたミュージシャンのドキュメントフィルム。九月に東京に行った時、コマーシャルフィルムがクラブで流れていた。去年の秋頃ジャマイカ行って撮ってきたんだよね。観たいな〜。劇場公開初日はコーヅ氏とECさんのトークショー。ゲー、これまた行きたかったな。終わってからとうのコーヅ氏本人より電話があり、リトテンのトキ君やECさんたちと飲んでるもよう。なんかめちゃくちゃ楽しそうな雰囲気。ゲーますます行きたかったな〜。とにもかくにも早く観たいもんです。うちの弟ももう観たみたいで、レゲエ史に残るフィルムと行っても過言じゃぁ無いって言ってた。あぁ、早く観たい。も〜チラシばっかり送ってこないでよ〜。

2006-10-11

みんなしあわせになってね〜!





ったく、うちの店でバイトをするコはみんな結婚することになっている。マリエちゃん、エリちゃん、エミコリン、トモちゃん、あ〜挙げていったらきりがない。そして今回はチカッピ!二年前にはいつもシクシクしていたのに、しっかりと幸せをつかんだもようです。毎回かわいい妹たちの結婚式ではウォンウォンなく私ですが今回も次の日にとんでもない顔になるくらい泣いてました。桜井神社での式も土地の力とお天道様の力を味方に付けてすばらしいものでした。ただ参道でなぜか私は新郎の足袋をはかせていた。チカッピは段取りの悪い新郎に少々ご立腹。笑えました。パーティ会場には神楽のピーヒャラどんどんのお囃子とともに入場。これがまたよかった。たくさんの人の取り柄をそれぞれ出したこのパーティ。ちょっとやそっとの人では現実化できないと思います。ふたりの人柄あっての大お祭りでした。どうぞ幸せになってください。そして心からおめでとう。

2006-09-29

飲酒運転


飲酒運転の取り締まりが厳しくなったこの頃。以前は呑みたい放題呑んで運転していたものです。あれはキャナルシティができたばかりの頃。友人が私の誕生日を祝ってくれることになり、二人でハイアットのバーで待ち合わせニューヨークスタイルキュージンヌでご飯を食べました。友人がごちそうしてくれ、ほろ酔い気分で店を出て次にどこへ行こうかと考えつつ彼女の車に乗り込んだ。地下の駐車場をでるとハイアットとキャナルの前の目抜き道りにでる。路肩に路駐の車がたくさん止まっていて道幅が少し狭い。その道の真ん中には大きな中央分離帯があり、何を思ったか彼女の運転する車は路肩に止まっている車を気にして中央分離帯めがけて加速しだした。駐車場をでて五分もたっていない。気がついたときにはフロントガラスで頭を打ちその当時長かった私の髪がクモの巣状にヒビの入ったその真ん中からべろんと引っかかっている。顔を恐る恐る触ってみると、どうも細かくくだけたガラスが刺さっているようでサボテンのようになっている。となりの彼女は鼻血ダラダラ。おしゃれしていった服は二人とも血まみれ。意識はしっかりしてまして、自分の携帯で救急車を呼びました。当時はこんなことあっても笑い話で済んだもんです。余談ですが、その後母が病院に駆けつけ開口一番、”運転しとったのは男ね?女ね?” 女よと私が答えると、“あぁ〜、男やったらこの機会にもらってもらったのに”と返された。大丈夫?などという言葉はありませんでした。

2006-09-22

REGGAEEという音楽に出会った頃


トップを飾って入った短大をいとも簡単に半年足らずで辞め、当時はやっていたマヌカンというやつを天神の松屋レディースでしていた。ビルの最上階にあるその店の前にはその頃にしては珍しいオープンカフェがあった。そのカフェは店を仕切る壁がなく腰丈くらいの柵でかこってあるだけ。その店のウエイトレスの女の子たちはアルプスの少女ハイジのようなワンピースに白いエプロンをつけて働いていてなんともキュート。その店から流れている曲はおおよそレゲエだった。今でこそ大流行りのレゲエであるがレコードすら売ってるところがないくらいの時代でした。そのヨーロピアンな店から流れてくるレゲエのリズムはなんともちぐはぐで、それが私にとってはなんとも都会的でおしゃれな気がしてたまらなかった。その店でよくかかっていたのがこのアルバム。んちゃんちゃという心地よいビートは当時のにおいすら思い出させてくれます。この頃のなんておしゃれな音楽なんだろうという気持ちがいまだに続いています。都会で聞くとよりいっそう都会的な気がし、田舎で聞けばそれはまた風にのって聞こえる。私にとって不思議な魅力のある音楽なのです。

2006-09-21

ジェーンバーキン


今でこそやっと責任感というものがでてきた私だが、20代の頃にはそのかけらもないやつだった。仕事より優先しなくてはならないものがゴマンとあった。かのジェーンバーキン様にあった時も彼女の講演会たるものの整理券を友人の分までとるために、そそくさと会社は体調不良でお休み。(私が行かねば誰が行く?お休み待ってたら彼女はフランスに帰っちゃう。と言い訳マンサイ)朝からその当時通っていた日仏学館に張り込んでいた。昼過ぎに学館にやって来た彼女を追いかけこっそりたった一枚人がサインをもらっている最中に写真をぱちり。そして勇気を振り絞りサインをねだった。名前は?と聞かれ習いたての仏語でマコですと言うと、持ってきたレコードジャケットにフランス風にMACOへと書いてサインをしてくれた。こういうことがあるとやっぱり会社になんか行かなくてよかった〜と喜んでいた生意気な盛りでした。あ、今でも生意気か…

2006-09-14

鎌倉だより




東京行き2日目は鎌倉へ行ってきました。鎌倉は今年どうしても行きたかったところ。今年まだ寒かったときに、お店のお客さんにそそのかされ興味本位でいった占い。小笹の近くで三十分500円。開口一番占いの先生は私に向かって“かまくら”と言った。その瞬間私にはある鎌倉の景色が目に浮かんだ。いっしょに行ってた友人たちは雪で造ったかまくらを思っていたらしい。占いの先生によると、私は前世でとてもおめかしをして鎌倉でデートをしていたらしい。で、是非行きなさいと…行けば12歳若返ると…これは行かない手はないでしょう。当日朝、弟がレンタカーを調達してきてくれ出発。久しぶりに走る第三京浜は以前と変わらない。懐かしい景色をフロントガラス越しに眺めつつ鎌倉に到着。まさにこれが残暑と言わんばかりのこの日、鶴岡八幡宮近くで車をパーキングに停めとりあえず昼食。この昼ごはんのほんのわずかの時間にパーキングのメーターは1200円を表示しており、我が一行は観光地の駐車代の高さにびっくりする。前の日に弟が鎌倉の知り合いにおすすめスポットを尋ねたところたった一件”瑞泉寺”を推薦された。ならばそこへ行ってみようとナビにお寺の名前をインプットし車を走らせた。まっすぐな道を左に曲がる指示、あともう少しというところで曲がり角が見つけ出せず曲りそこねた。と、そのとたんあの占いの先生が鎌倉と行った瞬間に浮かんだ風景が私の目の前に現れた。私は大興奮!横で弟は”どう?ねーちゃん若返った?”とにやついている。いやいや、神様が導いてくださったのでしょう。すてきな体験でした。ついた瑞泉寺がこれまたすてきなお寺。鎌倉時代からの風情ある見事な庭園にはこの季節可憐な秋明菊とはじめてみる玉紫陽花が花盛りでした。古くから吉田松陰や数々の文豪たちに愛されて来たお寺でした。はたして若返れたかどうかは疑問ですが、私にとってすてきな鎌倉でのひとときでした。

2006-09-13

東京だより


先週金土と東京に行ってきました。一日目はまず弟の家へ。3時にそこをでて浅草界隈をバスに乗って銀座線に乗り込む。さんやのおいちゃんなんかをひさびさに見れて楽しい。明日のジョーの泪橋も通ったよ。とりあえず青山、表参道をぶらつく。あまりに増えたブランド店の数にド肝を抜かれる。ひとりなのでただひたすら歩き疲れる。PM6時、デタミ繋がりで仲良くなったシライ君の働くchaopanic原宿店リニューアルパーティに顔を出す。Skaflamesのオオカワさんも来るかも…ってことだったのですが、次の目的地恵比寿へ。駅前のウエンディーズで弟と待ち合わせ代官山のUNITへ。たまたま大好きなミュージシャンであるビティマクレーンの日本公演(東京のみ)がこの夜にあることを知り、弟に無理矢理チケットをとってもらった。会場内はレゲエミュージシャンの見たことある顔がちらほら。壁にはまもなく公開されるRuffnTuffが流れている。いい時代の音に会わせて美声を聞かせてくれるビティはキュートなイングリッシュマンでした。かっこつけて少しヒールのあるサンダルを履いて闊歩したため足にまめがたくさんできヒーヒーいいながら弟の家にたどり着きました。

2006-08-19

ゲロ第二弾


ご無沙汰いたしました。写真は一般的な私の夕食です。キブンさんと佐予子との雑居生活から卒業してからも、私はしょっちゅう二人の家に行き夕食を作って二人が帰ってくるのを待っていた。ある日も夕食を作って待っていた。二人とも帰ってこない。遅い時間に佐予子の上司から電話がかかり、会社の飲み会で泥酔した彼女をタクシーで送るのでよろしくとのこと。当時キブンさんとの同棲は会社にはオフレコになっていて、私が電話にでてちょうど良かった。べろべろの佐予子帰宅。玄関からトイレへ直行。またもや悪夢!ゲロが〜的を外している!服も汚れている。奥のお風呂まで服を脱がせつつ連れて行く。佐予子がお風呂の間につかさずトイレ掃除…お風呂からあがった彼女をパジャマに着替えさせ(パンツははかせた)ベットに寝せようとしたら、あんたじゃないキブンさんは?キブンさーん!と暴れだした佐予子。あげくの果てには近くに合ったストーブやらなんやら投げつけられた。私は寂しくなりキブンさんに事の次第を書き置きして自宅へすごすごと帰った。いつもは電気がついてるはずの家に戻ったキブンさん。部屋の電気をつけると書き置きが一枚。あわてて佐予子を探すとお風呂の横でぐったり寝ている。あ〜、これは三人のいつまでたっても忘れられない笑い話なのです。三人それぞれから話を聞くのが一番おもしろいと思います。

2006-07-26

雑居時代


昨夜久々佐予子とさしで呑みまして、アンダーマコネタ満載です。私は20歳で東京に行って、最初に住んだとこは目黒の友人の家。そこは一週間もしないうちに引き上げ、佐予子ときぶんさんが住む巣鴨のアパートに転がり込んだ。佐予子の部屋だったところを私にあてがってくれ、三人での雑居生活が始まった。三人とも上京したて、三人とも貧乏。夜のご飯は私の担当。ひとり2、300円でまかなっていたよな〜工夫して…一度きぶんさんが転職中で余裕がなかったときには佐予子と私がパンにぬるマーガリンの量が多すぎると言ってけんかになった。私たちはきぶんさんのぬり方が雑なだけだと切り抜けた。きぶんさんが夜ご飯担当の時は白ご飯に博多からおみやげの明太子を一人一腹ずつ乗っけてくれて、それがすごく豪華だった気がする。お金無いのに博多から友人たちが来ればやれクラブだやれディズニーランドだと遊びまくり、月末にはどうやって食べていってたんだろうと思う。近所の居酒屋お福に言っては佐予子と泣きながら呑んでた。(まわりドンビキ)もう今となっては二度と訪れないであろう宝物のような日々だった。さてやつ(佐予子)との思い出には酒の話がつきまといます。ふたりとも異常に酒好きです。では笑えるやつを次回お話ししましょう。

2006-07-24

SAYOKO


ひさびさ佐予子からメールがきた。今、福岡に向かってるらしい。彼女とは20年以上のつきあい。小倉出身の佐予子は短大に通っているときに薬院で一人暮らしをしていた。このひとり暮らしというのがなんとも魅力的でしょっちゅう泊まりにいっていた。ただで泊まるのはよくないと思い一人暮らしを気づかってか、泊めてもらうときに私はいつも手みやげとして牛乳を一本持っていっていた。あとで聞いたが彼女は牛乳嫌いだった。ある日彼女の家に泊まっていた。私が先に彼女の家に着いていて先に寝ていた。深夜酔っぱらった佐予子が帰ってきた。玄関を開けるとすぐのユニットバスに入ったままでてこない。のぞいてみると便器の的を外しゲロまみれのやつがいる。彼女の服を全部脱がしシャワーを浴びさせ、着替えさせてベッドに運ぶ。明日のことを考えて風呂とトイレを掃除して、佐予子の横に寝た。翌朝、佐予子の一言。 ”ね〜なんであたしパンツはいてないの?”しるか!んなもん!パンツくらい自分ではけ!

2006-07-23

BLUESのLive


ブルースのライブに行ってきた。メンツはNHKおやじバンド選手権で全国優勝したと聞いている、ブーチーのマンちゃんが所属するインスタントグルーブというバンド。あんまりブルースって生で聞いたことなくってどんな感じなのかな〜?って思っていったけど、おもしろかった!曲が聞きやすいし、Vo.のヨシトシさんの歌が大変よかった。(ブルース歌う人ってみんな前かがみで歌うのがおもしろい)いい年こいたおっさんたちがやりたいことやってるって感じで、暑い夏に暑いブルース、気持ちよかったです。小さなライブハウスがギラギラしてる感じもよかった。また出かけてみよ〜って思いました。このバンド聞いててあっ清志郎はブルースがとっても好きなんだっておもった。RC Succesionをなぜか思い出した私でした。チカちゃんといっしょに行ってて気づいたら二時半だったのにはまいった。

2006-07-21

忘れもしない手術の日


かれこれ10年くらい前になるでしょうか、一週間ほど入院をしたことがあります。胆石で石が細かくたくさんできていたため胆のうそのものを取り除く手術を受けることになりました。内視鏡でチャッと取ってしまうのでそんなにたいした手術ではないのですがやはり全身麻酔されます。その麻酔が脊椎にうつのでとてもいたいためまず部分麻酔されます。この麻酔のときにベッドに正座をして先生を待っていると看護婦さんが主術服の着方が違うと言う、作務衣のように着ればいいのに主術の時の医師たちが後ろで結ぶ服を着ているのをテレビなんかで見ていたため無理矢理前後反対に着ていた。さて最初の麻酔、これでフワァットした気分になっていく。移動用ベッドにのせられる頃にはもう意識はない。が、このベッドに乗ってから手術室まで行く間、私は付き添いの母に向かって大きな声で“おか〜さん!あそこのラーメンうまいっちゃんね〜!”“あそこのスーパーの野菜は古かろーが〜!”など食べ物の話を延々しながら手術にのぞんだそうで母は恥ずかしくてたまらなかったそうです。手術って前の日から絶食させられるからおなかがぺこぺこでたまらなかったんだろうと思いますが私はいっさい覚えていない。手術が終わってすぐ先生に起こされる、手術台の上のライトを浴びながらここは一発先生ありがとうとか言おうと思うんだけど話そうとしたら麻酔が聞いてて口が思うように動かない。お尻を触ると厚紙で栓がしてある!けっこう踏んだりけったりの主術。病気はあんまりしたくないです。

2006-07-20

KOMOさんとKARBOさん


昨日はSGのフジさんの新しいお魚のお店”波乗り三太”のレセプションパーティでした。福岡のサーフィンを中心にした大御所の皆さんがお集まりになってました。私が十代の頃、世はサーフィンブーム。天神コアの三階にあるSurfergirlやAll american boy、Kshopなどに足しげく通ったものです。高校生の時はお金もあんまりなかったからお洋服もそんなに買えない。しかし、まるで洋服を買った気分が味わえるSurfergirlの袋が50円で売っていたのです。これを学校に補助バッグとして持っていくのが大流行りだったよな〜車の免許を取ってからは北九州や佐世保まで洋服買いにいってたよな。佐世保のNaturalHighには福岡にないブランドがそろってたもんな。で、この十代の頃から行ってたお店の方がこのKOMOさんとKARBOさん。この年になって一緒にごはん食べたりお酒飲んだりできるようになったのがあの頃からすれば夢のようです。私の中では九州一おしゃれな殿方たちです。遊び方も豪快です。まだまだ教えてもらうことがいっぱいなので、くらいついていこうとおもいます。

2006-07-13

月見てます


20代にはこんなことしたことがなかった。ひとりでゆっくり月を眺めるなんて…月見っていいもんです。お月さん出てくるの絶対夜だから、お月さんと一緒に呑める。都会にいるとついつい空を仰ぐことが少なくなる。だって、目の前の風景の空の分量が少ないもんな〜東京にいた時の住まいの窓から見えていたのはマンションの窓たち。月を見た記憶がほとんどない。それを思うと現在はなんてすてきなところにいるんだろうと思う。月はそれだけでカーンと出てくることはあんまりなくっていろんな形の雲を従えてやってくる。それがとてもすてき!これは昨日のお月さん。何気なく縁側に座っているとむこうからアプローチしてくるのでついついのせられて一緒に長いこといてしまう。ひとりの夜はもちろん寂しさもつきまとうのですが、こうやってお月さんと呑んでる私はとても幸せだと思うのです。

2006-07-10

久しぶりのクラブ



久しぶりにクラブに遊びにいってきた。それもハウスの…ハウスと言えば20代前半に足しげく通ってた西麻布の328ではじめて聞いたよな〜って思い出した。それまで横のりで踊ってのがハウスがかかると手を上に上げておどるようになった。あのころのクラブってのりで盛り上がってたよな。いついつイベントしますじゃなくて、ウワァ今日しらないうちに盛り上がってたよね、あのひともあのひとも来たしぃ〜って感じだった気がする。いつ盛り上がるかわからないからその日を逃したくがないためにしょっちゅう通ってた。あの感じ楽しかったな。今回行ったクラブでは入ったらライブペインティングが始まっててダンサーたちにもまれながら描いてるTASHI本人も踊りつつ絵まで踊ってる感じで躍動的だった。その雰囲気と音楽がとってもマッチしていて、あったまにはハウスもいいねぇって思えました。楽しいイベントに誘ってくれてこのイベントをオーガナイズしたカオリチャンあっぱれ!

2006-06-30

黄色の髪と紫の髪


子供の頃、父の転勤で埼玉県草加市松原団地というところに二年半住んでいた。普通の団地が四コ連なる大型団地で団地内には循環バスが走ってた。時は70年代初頭。あるとき団地の入り口、松原団地駅の近くにハンバーガーショップができた。まだマクドナルドもなかった時代。その店で飲んだだコーラの味はDr Pepperの味だった。子供にとっては薬臭く感じたものだ。この団地は日比谷線沿線で、週末の家族でのお出かけは浅草や上野動物園、銀座だった。あるときお出かけをした帰りに日比谷線に乗っていた。社内はラッシュだったのかけっこう混んでいて私はシートに座らせられ人混みを眺めていた。一組のカップルに目がいった。回りの人たちと違いひときわ目を引くド派手なごく彩色のサイケな格好で女の人はベリーショートの黄色の髪の毛、男の人はこれまで見たこともない長髪でその髪はなんと紫色。つり革につかまってたっていたそのふたりがいきなり座っている私の目の前で、ブチューっとKISSをしたのである。まだ小学校にも上がってなかった私はナマのKISSをいきなり見せられしびれてしまった。もう30年以上前の話だがいまだに私の脳裏に深く焼き付いている。その時のピメージビジュアルは横尾忠則のポスターまさにそれ、流れる音楽はSANTANA。あの人たちどんなおじさんおばさんになっているんだろう?

2006-06-28

ある夏の日に


ある夏の日に、友人から電話がありヨットに乗せてあげるから大原海水浴場までおいでと言う。友人と3人でボディボードを待って海岸まで行った。ヨットの底は深く海岸には寄せることができないため、ヨットまでそれで乗り付けようと思ったのだ。しかし一人の友人がフィン(足ひれ)を忘れたことに気づく。私は一人海へビーティング(ボディボードに捕まって足をバタバタさせて進む動作)して沖へ向かった。沖まででてしばらくするとライフセイバーのお兄ちゃんに声をかけられる。”波もないのにどうしたんですか?ながされてませんか?”私は”ちょっと人と待ち合わせをしてます。まもなく友人がヨットで迎えにきてくれるんです。”と答えた。するとライフセイバーの兄ちゃんが”ではお送りしましょう。”といってライフセイバー用の長いサーフボードの後ろに私を乗せた。ふたりして並んでパドリング(ボードに腹這いになって手で漕いで進む動作)その間私に見えるのはお兄ちゃんの割れたお尻。ふたりして進んでいると、おねーちゃんを乗せたモーターボートが近づいてきた。大丈夫ですか?と声をかけられこのお兄ちゃんに友人のヨットまで送ってもらってると伝えると、大変でしょうとモーターボートに乗せてくれた。かくして私はわらしべ長者のように友人のヨットにたどり着いた。

2006-06-27

屋久島にて


今のお店を開業する前、ひどく私は落ち込んでいました。体には帯状疱疹らしきものもできていたし…そんななか何を思ったのか屋久島へ行きました。深夜バスとフェリーで。同行人はユキちゃん。ひと月に35日雨が降るとか言う屋久島。私たちが到着した時ももちろん雨降りだった。ここまできたからには屋久杉を見に山登りをしようという私に対しユキちゃんは体調不良のため行かないと言う。昼から登って二時間後にいきついたところで戻ってくるから、レンタカーで迎えにきてもらうということで彼女とトロッコ道入り口で別れる。歩き出していきなり大きな川を渡らなければならない道に直面。道は橋でなくそのままトロッコ道の延長。幅は1メーターもなく下が透けて見える。高所恐怖症の私にとっては腰ガクガク失禁しそうな恐怖体験。ここで引き返してもあと5時間ユキちゃんをトロッコ道入り口でじっと待ってなければならない。勇気を持って歩き出しました。ほんとは四つん這いになって歩きたいぐらいの気持ちだったけど。その後そんな恐怖関門を3コぐらい抜けてウィルソン株までなんとかたどり着きました。帰りの山道でふと思ったのです。あの川に渡っているトロッコ道50センチ歩いている場所が違うと下へ落ちてしまう。生かされているんだな私、と。この度で気分も晴れ落ち込んでいた心も徐々に立ち直っていきました。人の心なんてふとした何気ないきっかけで気が晴れてしまったりするもんです。

2006-06-26

はじめてのハワイ


はじめてハワイに行った時、その2日前に行くことを決めた。ふらっと三泊五日。同行者はサヌイ君とハマ。ホテルも決めずに行って一苦労。まぁそれなりに浜辺を歩いたりブランドショップへ行ったりして楽しみ、食べ切れないほどのメニューを頼んで嫌な日本人観光客丸出しのイタリアンレストランでの夕食。あまりの量にこの日の夜ハマは一人浴室でゲーゲーし、翌日のパイナップル畑&Sunset Beachドライブではスーパーの袋に口がくっついたまんまだった。最後の夜のディナーはどうせならと金髪のグッドルッキングが運転するリムジンタクシーをチャーター。後部座席でガンガンお酒を飲みカラオケへ。最後の締めくくりの寿司屋には金髪ニーちゃんもご招待。気分を良くした金髪ニーちゃんは次の日も空港まで送ってくれると言う。翌朝金髪のニーちゃんが来る前にホテルが用意した、タクシーに乗せられてしまった私たち。ごめんね金髪ニーちゃん。パーッと遊びにいくのはいいよねハワイに。

2006-06-22

私の贅沢


まもなく自分でお店を始めて6年が経とうとしている。4年前に友人がお店でかけれるようにコンピレーションのCD をつくってくれた。そのなかにゆっくりとしたツービートで低い声で歌う男性ヴォーカルの曲が入っていた。私がその曲をとても気に入っていると、その声の主は浜口庫之介さんの息子である浜口茂外也さんという方の声だということがわかった。(浜口さんのhome pageです http://www.geocities.jp/motoya_hama/ 是非みてください)当時お店によく来てくださってたフジタさんが口をきいてくださり、お店のアニバーサリーにおよびすることができた。たった一曲の歌声ですごい方と出会えることとなった。浜口さんも、自分の声を聞いてよばれたのは稀なことらしく喜んでくださった。昨年は浜口さんのパーカッションとコーラスにのせてザ・ピーナッツのペピートを歌わせてもらった。これでユーミンやSMAPと同じ思いを我が庭で果たせたのである。なんと言う贅沢!

2006-06-20

緑の光線



休日の今日、ひさしぶりに海辺で夕日が沈むのを見た。少しずつ時間とともにあかく色ずく夕日を眺めていられるのは、休日のひそかな贅沢。最近の夕日は海に落ちる間際のところにガスなのか雲なのかがあって、なかなか海に落ちる夕日を見ることができない。ふと、エリック・ロメール監督の”緑の光線”という映画のことを思い出した。夏のバカンスを一人で過ごすことになってしまった、ちょっぴり寂しい女の子のおはなし。キーワードは太陽が沈んだ瞬間に緑色の光を見れるとその人は幸せになるというもの。私はまだその現象を見れたことがない。だからまだ幸せはきてない?それはさておき、あるとき古本をおいてあるカフェにて、その現象ズバリの絵はがきを手に入れた。場所はマダガスカルみたい。このカードを手にしたことですこし幸せが近づいたような気がしてきた。では皆さんにも写真にて幸せをお裾分けいたします。

2006-06-19

高津君の版画


かのDETERMINATIONSの高津氏は版画がとてもお上手。以前RIDDIMにも掲載されていた。ことあるごとに版画をプレゼントしてくれる。はじめていただいたのは平成15年のSUNSET LIVE。いただいた版画の数はけっこうな数になり、時々以前いただいたものと同じものが届くと版画だからそういうこともあるよねとにんまり笑える。最近いただいたのは写真のこれ。いつもは仏像なんかが多いのに、今回のこれは植物ですてき。PANXで指にまでタトゥが入ったその手でどんな顔をして彫っているのだろうと想像するととても楽しい。もし私がエッセイストになれたら、その時の挿絵は彼が担当してくれるそうです。ありがたいお話。現実になったらいいな。版画や絵は人の手から無限大の可能性を秘めてうまれてきます。そしてどうしてもその人の人柄がにじみ出てしまう。私も時々絵を描きますが、出来上がって自分の絵のメルヘンさにびっくりします。メルヘンなんて言葉はどうも苦手なのですが、どうしてもそうなってしまう。いい絵とは心がこもった絵だと思います。心を持って描くことにより、それを観たものにはちゃんとメッセージが届くのではないかと思います。どんな偉大な作家のものでもでも、幼児が描いたものでも…

2006-06-18

ゲバラ日記と夕日と拳銃


先日友人のブログを読んでいたら、むかし読んだ本のネタが書いてあった。私にとってはどんな本だろうと考えてみた。”ゲバラ日記”は何度も読もう読もうとトライするのだがなかなか読めない本の一冊。彼のレベルが高いんでしょうね。あんなにモーターサイクルダイアリーズはおもしろかったのに。”夕日と拳銃”は以前めちゃくちゃ面白くて噛み付くような気分で読んだ一冊でした。主人公の麟之介がとても男臭くてかっこいい。友人から借りてあまりに面白くて自分でも買おうと思ったら、絶版で売ってない。古本屋さんでも待ちの状態。ネットで買おうと思ったら、文庫本で上下刊それぞれ7000円ぐらいの値がついている。もう一度友人に借りて読んでみたのだがなんだか前と感覚が違う。どうも私が年をとってしまったらしい。泥臭い主人公に付いていけないのだ。そんな自分にがっかり。ハードボイルドや血なまぐさいフィクション好きなんです、私。男臭い男が出てきてガンガンなんでもあり、みたいなの。どうぞそんな方が目の前に現れますよう。