2017-07-07

荘和可のこと。



お店をオープンして間もない夏の日。
真っ黒な顔にたくさん白い粉を吹いたような顔でその青年はやってきた。
白いタンクトップに切りっぱなしのデニムの短パン。
ハーブティーを美味しそうに飲んでいる。
彼が乗ってきたグリーンのホロがかかっている白の軽トラを眺めながら
「あの車の荷台には何が入っているの?」
そう聞くと、うれしそうに車に駆け寄って中のものを取り出して持ってきた。
「僕ね、家じゃ粉がちって大変だから
 今まで海岸で、貝をグラインダーで磨いてたんだ!」
そう言って、磨いた貝でできたアクセサリーを見せてくれた。

貝には、そのなかに真珠層というのがあって磨いていくとその層にあたり、
美しい輝きを増すことを教えてくれた。

サザエを5mmほどに輪っかにスライスして磨き上げた指輪はとっても素敵なものだった。
「これ、うちの店で売りたいな。」
そう言うと、できたばっかりの指輪を置いて帰って行った。

その指輪は、たくさんの人が喜んで買って行った。

貝が大好きなサイトウさんもこの貝細工とこれを作る彼に魅了され
サイトウさんの70歳の誕生日に彼、荘和可もよばれた。
誕生日は、サンセットから鯛の塩釜焼きが運ばれ、当時バイトしてくれたえりちゃんに手伝ってもらって楽しく盛大に行われた。
この日、えりちゃんと 荘和可があった瞬間、私は二人の周りにピンク色のハートが見え
”おや?このふたり?”
と思った勘は的中だった。

貝殻細工がたくさん売れたお礼にと荘和可がワークショップをしたいと。
GW前半の連休。楽しいイベントだった。
そこで、再び出会ったえりちゃんと荘和可は付き合いだした。
まるで出会うことを心待ちにしていたかのようなカップルだった。

ワークショップが終わった後の庭のテーブルに
貝殻のかけらが置いてある。
よく見てみると小さなイルカ。荘和可の心遣い。



それから間もなく、えりちゃんと荘和可は結婚した。
すごくすごく嬉しかった。


結婚してから間もなく、彼は茅葺き屋根職人になった。
そのために大分に居を移すことになった時のえりちゃんの戸惑いったらなかった。
あっという間に前津江村に、田舎暮らしに魅了されて行った二人。
かわいいお嬢ちゃんも生まれた。

桜井神社の大神宮の茅葺き替えのときにお弁当を頼まれ
毎朝毎朝、そこへお弁当を持っていくうちに私はどんどん楽しくなっていき、
まるで毎朝恋人に会いに行くかのような気分でお弁当を運び、
神社に足を運ぶことがこんなに素晴らしいってことなんだ!ということを荘和可から習った。

式年遷宮の伊勢神宮へ屋根の葺き替えに行きたい。とつぶやきに来た日。
20年前でも20年後でもありえない、行っておいでと背中を押し、
見事その業務をなし得てきた彼は、ひとまわりもふたまわりも大きくなって帰ってきた。

彼が茅葺きをしている姿を見ていると、
あまりの美しさに涙が出そうになり、
二度目の桜井大神宮の作業の時に
「荘和可の仕事は、とても美しいよ。
 ずっと続けるんだよ。」
と、泊まっていた民宿までいってそう伝えた。

日本の美しい伝統文化である茅葺き屋根。
耐えようとしかかっていたその伝承を受け継ぎだした九州では最初の若手継承者だった 荘和可。前津江村の星だったんだろうな。

毎日楽しく茅葺きをしてるもんだとおもってた。
そんな彼が、先週屋根より高いところまで登って行ってしまった。
登っていく瞬間、彼は蝶のように羽が生えて空に飛び立っていったんだろうな。
そんなイメージが私の頭をよぎった。

7月2日、一年で一度桜井神社の岩戸が開く日。
朝の4時にその岩戸は開く。

この荘和可の話を、昨日お店にやってきたびわっちに話たら、
岩戸開きの日、早朝岩戸に参ってその後大神宮に行ったら蝶が飛んでいた。と
荘和可飛んできてたんだね。

そしてその日は、太陽が地球から最も遠いところに行ってた日。
太陽のような荘和可は、太陽の近くに行きたかったんだね。

お別れの儀式でえりちゃんが皆さんに向けて書いたお礼状を載せておきます。


荘和可の声が聞こえてきます。
なんだか、星野道夫と重なります。
そんなことを思ってお店の芳名帳をめくったらこんな言葉がありました。