2008-03-20

なぜ街に




長年、田舎で働いてきた、そんな私がなぜ今、あえて街で店をしようとしているのか。
自分でも不思議である。
今年は今までとちょっと違う。いろんなものが動き出した。
鎌倉に行ってその後、12歳若返った気分になっている。調子いい。

去年は私のまわりでいろんなことが起こった。
自分の身にはこれといって何も変化がないのだが
それらの出来事で心が動いた。

昨年の春、PNDさんが入院。身も心も震えた。
今まで毎週のようにPND夫妻とご飯をいっしょに食べてた。
何がいけないんだろう?すごくいろいろ考えた。
食生活?お墓参りしてない?日常の行動?生活環境?何か方位を間違えた?運動不足?いろいろいろいろ…
すごく考えた。
でも、なんにも言えない。
わたしはどうしたらいいんだろう?
考えに考えたあげく、
まずは自分の生活を振り返ってみることにした。
末期の癌患者もなおしてしまうほどの威力がある
玄米菜食の料理学校に通い、食生活について勉強を始めた。
お墓参りにも通うように心がけてみた。
神社には感謝の気持ちを伝えに日々お参り。
たくさんの本も読んだ。
毎日欠かさず運動。
まずは自分がいろいろとやってみないと何か話す時に説得力がないと思ったからだ。

今現在、PNDさんは仕事に復帰し子宝に恵まれ楽しそう。よかった。

次に、海外で事故に会ったTくん。
びっくりした。
命を落としてもおかしくないような事故。
事故後に、はじめて出会った彼は、私の前で涙を流してくれた。
すごい体験をしてしまったと。
その時の彼は、まるでガラス細工のようで、触れば壊れてしまいそうだった。
私もともに涙を流した。
彼は大事故の後、間もないのに帰国して早々、就職。
バイタリティを感じた。
海外で生活したことがある女友達と感心したものだ。
帰国後すぐに働きだすのはとてもキツい。
彼女も私も帰国後は一年くらいボーッとしていた口。
海外で生活したあとはまず、日本語が変になる。
英語的な伝え方(変なところでストレートな)の日本語になってしまうのだ。
人への対応も以前いた国と日本とのギャップに悩まされ頭がこんがらがる。
そんなことはおくびにも見せず、事故の形跡すら感じさせず
幹が太くなった木のように黙々と彼は働いている。


そしてタロウさん。
ショックだった。ゾウさんの看板を修繕している時だったから
ますます辛かった。
彼が残していってくれたものの偉大さに参ってしまう。
何度も何度も泣いた。
大きな人だ。
見えない力をすごく感じる。
今日から、遺作展。

尋常でない複数の出来事の中、
当事者はもちろん大変であっただろうが
その身近にいる人もどれだけ大変だっただろうかと思うと、
心が痛んだ。
私にできるコトなんてなかった気がする。寂しいけど。


こんな数々のすばらしい人たちにかこまれて
では、私ができるコトはなに?
となってしまったわけです。
もっともっと、自分がしなくてはならないことをしなくてはと。
生きることをもっと深く認識してみようと。

ある日ひょんなことから、望月学という人と急接近することとなる。
博多区でラーメン屋を営む彼は
仕事に対する姿勢がとても美しく
まわりの人のことをとってもよく見ている。
今まで私が理解していなかった人たちのことも上手に説明してくれる。

彼が言った
『マコさん、みんな待ってるんじゃないですか?』
その一言で奮起した。
街にでようと。
ただ、はたして私の体力がもつのかどうか?
この望月君と、ともに働いていけるのか?
ということで、夜のラーメン屋のバイトに入ってみたわけです。
タロウさんの一件から眠れなくなってて、身体を疲れさせたいのもあったし。
最初はキツかったですもちろん。
街になんて三ヶ月に一回ぐらいしか呑みに出かけない私でしたから。
でも、通うことによって今までRBまでは来れないけどって人がたくさん来てくださった。
バイトの日が楽しみでしょうがない。

できる!と確信し始めた。

ま、そんなこんなで
たくさんの方の助言や
励ましによって
今に至るわけです。
‘08,8,8 ”569”(go!rock) 麺家もち月の上にopen予定
ぶっ倒れないようにがんばります。
応援してね。

2008-03-16

TASHIRO TOSHIAKI


朝7時、『着いたよ今、四条にいる』と連絡が入る。
昨夜一人でビールを6本も飲んだブチばれた顔をもとにももどせず、
地下鉄に飛び乗る。
四条。
『どこ?』
『阪急』
『え、他に何が見える?』
『ジュンク堂とブラザー』
『わかった、そっちの方に向かうから、そっちもそのままこっちに向かって。』
四条のドトールの前でまるでばったり会ったかのようにヤツに会える。

二年ぶりだ、この半魚人http://www.tashirotoshiaki.com/と会うのは…
彼との出会いは、日本でそこしかalifeの服を置いていないというイカしたショップで出会った。

ふたりして、ドトールに流れ込み夜明けのコーヒーを飲む。
二年前から、今日に至るまでの近況報告。

二年前にまるで転がり逃げるように東京に行ってしまった、こいつとあのコ。
その後の生活はやはりかなり悲惨なものだったよう。想像ついてた。
あのコは素敵な彼氏を見つけてまもなくママになろうとしている。うれしい。
でこいつ。
描いてる。いい絵を描いてる。

彼の初の個展がなぜか東京在住なのに京都で行われる。
それも写真家の登竜門の憧れの店prinz http://www.prinz.jp/でだ。


ドトールをあとに電車を乗り換え叡山電鉄に。
叡山電鉄はワンマン運転。乗車はどの扉から乗ってもいいのだが、
降りる時には後部の扉は開かず前方の運転手のところで
西鉄バスのようにお金を払うか切符を渡して降りる。
そのことをすっかり忘れ、着いた駅で開かない扉の前で立ちすくむ二人。
運転手さんから。
『こっちから降りてください』
といわれその一枚手前の扉で降りる。
『だからこっちから降りてください』
あぁ、そうよねキップ切符…
TASHI一言、
『ほんとにワンマンな運転手さんね』爆!

ギャラリィに着く。
以前の見覚えのある絵もちらほら。
最近の絵がいい。
躍動感がある。
彼の友人のプロサーファー中村竜君は彼の絵を海のようだと表現する。
海が好きなものは海に動物が好きなものには動物に、
その人の好きなものに映って見えるのがここ最近の彼の絵である。

ギャラリィの中庭で、またもや話し込む。
数々の、各々の暴露にカミングアウト、もう、なんでもあり!


この日、彼はお母さんが甥っ子を連れて
佐賀からやってくるというのでお昼にはいったんお別れする。

私はprinzでランチをいただき、
この店の責任者トキタさんの好意で、彼女のチャリを借りて京都市内を回ることに。(初対面なのに、すごく好意的な彼女、天使のような人でした。)
いいね、チャリで動く京都。
もりもり走りました。
下鴨神社、吉田神社、京都大学、京都御苑、下御霊神社…
吉田神社の裏手にある吉田山荘http://www.yoshidasanso.com/top.htmの喫茶室にてお茶をする。
しびれるくらい素敵な喫茶店だった。
おかみの心意気が随所まで行き渡っているのが感じられた。勉強になりました。
今度はここでご飯がしたい。
このお店京都にしては珍しく、
入り口のメニューの看板に
ちきんと価格が表示してあり、どうぞお気軽にお入りくださいと書いてある。
あんまりこんなふうなアプローチは京都ではないので感激した。それも高級老舗店で!

チャリをこぎ、prinzへもどり
TASHI、彼のお母さん、甥っ子のヤスアキ君たちと合流。
4人で観光。
これまた楽しかった。
最後に京都駅近くの居酒屋でみんなで夕食。
TASHI母と妙に意気投合し
彼の高校時代からの仲良しである
中越典子ちゃんの『細雪』の舞台をいっしょに観に行こう!ということになる。いくぞ!

かくして楽しい春の京都の旅は終わった。

TASHIが言った言葉で印象的だった言葉。
『ボクね、今まで絵を描いて有名になりたいなとか
名声が欲しいなとか思ってたんだけど、
違うね、マコさん。
ボクね、いい絵が書きたいよ。』

もう、いい絵、描きだしてますよ。
こいつ半魚人だけど…笑
史上最年少で県展の大賞をとってたり、
六本木ヒルズ森アーツセンターのオープニングイベントに参加し日比野克彦さんから作品を選考されたり。
福岡、東京のアップルストアでライブペインティングしてたり
プロサーファー中村竜君とコラボしてたり
すでになかなかイカしたヤツなんです。

2008-03-12

なだそうそう


ふ〜るい〜ア〜ルバム〜めくぅ〜り〜♪
とかいうナマやさしいもんじゃゴザンせん。
古いカセット。
私の大事な宝物。
通ったんです。中高生の頃、西新のGIRL TOLKという貸しレコード屋さんに。
昔はそんなお店がいっぱいあったとです。
レコード借りてカセットにダビングして。
それ聴いて、コンサートやライブ、GIG(なつかしぃこの言葉!)に行っとったとです。

この貸しレコード屋のお兄ちゃんに
淡い恋心を抱いとりました。

高校も卒業したある夏の日に
友人の彼氏が
『俺の知り合いそこで働きよったバイ!』
というではありませんか。
『まじ?その人,スターリンの遠藤ミチロウみたいな人よ(好み♡)』
『そう、そう』
そう、おしえてくれたのはテッちゃん。
かの雑誌Lightningでハーレーにまたがって表紙を飾った方ね。カッコいいんスよこの人。

まだ見ぬ憧れのミチロウ似の彼もふくめみんなで海水浴に行くことに。
あぁ、私の胸は高まるばかり。

集合場所にて久々の再会。


違う… この人じゃぁない!!!

言えるわけないやん。

涙をこらえぐっと我慢しました。




余談ですが、DETERMINATIONSのパーカッションの方はスターリンの親衛隊でした。
さすが!豚のえさ!笑

2008-03-09

木下弦二ライブinハイサイ































私が週末に街に出かけるなんて本当に珍しいこと。
いや、いくよ。行くって言ったんだから。

オープン19時、スタート20時。
車飛ばしていったよ。週末だけあってどっこも駐車場がいっぱい。
やっと停めることができた駐車場には
おんなじように探しまわった後のオカモトさん。
ふたりして店の方向へ向かう。
私は、呑みたいのですぐ近くのゆーコママのとこに行って家の鍵をもらいにいってからお店に向かう。

店の入り口。
木下さんが迎えてくれた。
『待ってたよ、マコさん来ないかと思った。マコさん来ないと始められないよ。」
『いくっていったら行くよ。』
ハグ。

店内にはママがむかし着ていたおばあちゃまの手作りのワンピースを着たマルちゃんがお出迎え。
おばあちゃまと一緒に作ったクッキーをプレゼントしてくれた。(泣きそ)

カワノさんが、
『マコちゃんの知り合いだらけでしょ。』
という。
『ん?そうですか?』
あ、オカモトさん来てる。横に座ろ。
あれ、その横に大名スイングのサイトーくん。
あ、奥にコータさん。
あ、カウンターにシロオズさん。
目の前の人が
『ラスティックバーンのマコさんですよね』
『はい』
『私,お店がオープンする前に宮川さんから連れてきてもらった者で、チカちゃんのお友達です』
『あ、思い出しました』
『ボク、タカエさんのとこで働いてて、今度お店をだした者です。マコさんのことはしょっちゅう聴いてます』
『へぇ〜、どうりで見たことある顔だなと思ってました。』ぺこり
『ボク今度ここでライブする者です』
『カワノさんからマコさんのことはよく聴いてます』
『こちらこそよろしくお願いします』ぺこり

参った!場内ほとんど知り合いじゃん。
悪いことできんぞ、ワタシ…(汗)

ライブ始まる。
ずーっといっしょに歌った。
『ききたいこと』
という曲で涙がぽろぽろ流れてきた。
なぜかわかんない。

京都慕情という曲を歌ってくれた。
すばらしい歌詞。
また聴きたい。

最後の曲はやっぱり
You are the sunshin of my life

もう、ごり押し。
泣いて笑ってた。

ライブ終わって打ち上げ。
何度もこっそり帰ろうと試みるが
無理無理。笑
 
何度も木下さんから
おまえほんとに泣きべそだなぁ〜といわれ。
うるさい!と何度もいわれ(しってるのマコの事好きな人はワタシのことをうるさいっていうの、だってワタシ五月生まれの五月蝿いだもん!)
なんども、アームボンバーかけられそうになる。(しってるのマコの事好きな人は、みんな殴る振りをする)

あ〜たのしかった。
いろんな話いっぱいしたよ。
最後はカワノさんと木下さんに挟まれて
昔のサンセットライブの話やら、
いろんな音楽の話しやら。

やっぱりこの店は最高。
いろんなことを教えてくれる。
私にとってのTreasure house。
入り口の長い通路には
これでもかってくらい、いろんなとこのいろんなフライヤーが置いてある。
これをゲットしにいくだけでも楽しいよ。
お店をやってる人の懐の深さを感じる。

これからもかわいがってください。

2008-03-08

着信履歴



























今の私の携帯の着信履歴。

1、キノシタゲンジ http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Guitar/1368/
2、マサヒロ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=4443163
3 タシロトシアキ http://www.tashirotoshiaki.com/
4、コーヅナオヨシ http://www.youtube.com/watch?v=EAAOu8jjaJU&feature=related (この中に私おりますのん)
5、おおしろさん http://www3.ocn.ne.jp/~ohshiro/
6、おかもとさん http://players.music-eclub.com/?action=user_song_detail&song_id=150089
7、アカ☆ http://inspinfo.jugem.jp/?eid=856
8、ヤスオ http://www.beachcafesunset.com/index2.htm
9、ミノウ www.hmv.co.jp/
10、カワノさん http://www1.linkclub.or.jp/~tpe799/ryouri/haisai.html


なんや、やろうばっかり。もてているんだと勘違いしておこう。
私的に共通項を言わせていただければ
ROCKなかたがた。
すべて音楽がらみ。

やっぱ、ROCKじゃないとね人生!


話した内容なんて大したこと無いんです。
『マコさん、ライブの時場所とっとくね』とか
『来週、今度のチケット持って来るね』とか、
『もち月の住所おしえて』とか

ものすごく短い会話。

あ、一人だけめっちゃ長話男がおる。笑
どれだけ過去に深夜にたたき起されただろう、この人の相手になるのに。
いいんですよ夜であろうと朝であろうと、応えます、私は。
あんたぐらいだからね、(この人をあんたって読んでいいのは彼の奥さんと私と、overheatのECさんくらいだろう。メンバーですら敬語)サンセットのハヤシさんにROCKが解ってないって説教できるの。
あんたぐらいだからね、ヤクザに胸ぐら掴まれてどやされている私を横目においしそうにビール飲んでるのは。
続くんだろうなぁ〜こいつとの関係は…ある意味ソウルメイト。
私が困ったことを相談すると一言でやっつけられる。
ヤツの相談は長い。
今回はこの前の木下さんのライブどうだった?って。
デカイ男だったよ、奥さんも子供も連れてきてて幸せそうだった。
って言ったら、ものすごく食いついてきた。
そうよね、同業者の生活、気になるよね。

この木下さん、ボクは楽しい音楽をつくっていきたいって言ってた。音楽を作るものの神髄だ。
オカモトさんがこの人のCD聴いて、
なんだか創作意欲がむくむくしてきたと言っていた。
オカモトさんは音がより美しく聞こえるように自ら設計して、
アンプを作ったりする人。
この人のズタジオに木下さん連れて行きたいなぁ〜

オカモトさんが言ってた、ボクはあんまりカバー曲ってのは好きじゃないって。
私もそう。
この前の木下さんのライブでも、たくさんカバー曲歌ってくれたけど、やっぱりオリジナルの方が光ってる。
オカモトさんと私の共通した意見は、
カバーはいつまでたってもカバーであり、私たちがカラオケを歌うのと何ら変わりはない。
いつまでたってもつくった人の心のうちまで辿り着くことはできないのだ。
だからオリジナルの威力はすごい。

ローカル・ホンクの曲もデタミの曲も。
ガツガツと速いテンポで大騒ぎしていたそのときの精神はそのままで、
心や精神を押さえるようにして一音一音に心が込められているような音が私は好きだ。
それが、私たち世代がもっとも愛する音たちではないだろうか。

今や、スカバンドと言えばコウズくんのマネばかり。
おもろくないよな。
悪な感じのやつらがいない。
もっとみんな騒げばいいのに。もっとエネルギーいろんなとこにぶつければいいのに。
ユルユルのコが多いよな。
もっとルーツを探り出して、
もっといろんな(今どきの流行ってるか流行ってないかわかんないような曲じゃなくて)


そうROCKきこうぜ。

2008-03-03

百年ごしの想い




http://www.youtube.com/watch?v=m6jYaIRxQzY


オーディンエンスは私の大好きな人たちばかり。
場所はうち。
唄ってくれた、木下弦二という人は、おっきくって、あったかい。
今どきこんなにシンプルにバンドをやってる人がなんでいないのだろうかと
つい考え込んでしまう。それがいい。

木下さんが僕、雷が大好きなんです。
なんて言うから、
ガンガン雷が轟く。
窓の外にぴかっとピンクの光。
時として照明の役目であり、
時としてドラムの役目。
幻想的な夜だった。

やはり、東京ローカルホンクやその前進のうずまきの唄は最高。
詩がいい、それを乗せるメロディもシンプルですごく聴きやすい。
休憩のカウンタートークでは、
共通のミュージシャンの知り合いの話で
元SONYのシラカワさんやFMの仕事をしているシンイチ君と話に花が咲いた。
ネタは、ナイアガラトライアングルだったり(制作秘話ね)、クボタマコトさん(個人的ネタ)だったり、
Jジルベルトがどんだけ神経質でどんだけ日本びいきかなんていう、ちょうレアネタ。


オリジナルの曲の合間に歌ってくれたカバー曲がまた参った。
ジミヘンですか!ってなギター弾いてくれたり
マコさんがレゲエ好きって聴いたからって
BOB MARREYのNO WOMAN NO CRY
ダメですよ、この曲
はたちで上京して半年、しっぽ巻いてもう福岡に帰る。って泣いてる私に、
弟MINOUが自分で訳してこの曲手紙に書いて、姉ちゃんがんばれってプレゼントしてくれた曲なんですから。

では次はSTINGでMASSAGE IN A BOTTLE
またまた、泣かすぅ〜
スティング神様だったんですから。
さらば青春の光が大好きで、初めての海外旅行のイギリス行で
この映画の舞台、ブライトンの海岸までちゃんと行ってきた私です。

でラストの曲が
STEVIE WONDERのYou are the sunshain of my life
もう、号泣もんです。
スティビーと私,おんなじ誕生日なんです。
唄で愛を唱えるスティービーをどれだけ私が尊敬しているか!!

同年代だかたらだろうな。
やる曲やる曲、すべてストライクゾーン。全く外す事無し。おみごと!

ライブ終わって、
これからもこのまま続けてくださいね。って強く懇願した。
そう、それは貝のように。
一点のような胞子から始まる貝も、
年月を重ねて、おんなじようなことを積み重ねていくうちに、
見て、
こんなきれいなうずまきの貝になっていくんですよね。
って私が話したら。
今日は僕、この話聴きにここにやって来たんだねって。
そう言って手と手を握り合い、
百年ごしの想いがかなってやっと出会えたって感じですね、僕たち。
どうして今まで知り合いじゃなかったのかが不思議なくらいだ。
と、嬉しい言葉を投げかけてくれた。
それを横でうんうん、と聴いてくれてる奥さんのチカちゃん。
その横で嬉しそうにしている愛娘マルちゃん。
その横で嬉しそうにしているメグちゃん。
その話しを嬉しく聞いてくれるムシさん。

いやぁ、私はやっぱ幸せもんだ!

次はバンドで、福岡の地で聴きたいもんです。
イカすぜ、東京ローカルホンク!清志郎も絶賛してるぜ!

2008-02-27

youkoちゃん


この前の店休日、どしゃ降りの中、
ヨウコちゃんに会いにいった。
なんか、無性に会いたくなったから。
ヨウコちゃんはBOTTEGA VENETAでチーフしてる。
ブランドもん なんかには ほとほと縁のない私。笑
でも まぁ たまにはいいかっ てことで行ってみた。

ヨウコちゃん全然変わんない。
相変わらずパリジェンヌみたいな感じ。うつくしいの。
この人との出会いは私が高校生のころかな。
販売員のお姉さんに憧れてお洋服屋さんにいくでしょ、みんな。


ヨウコちゃんはコアの三階のカジュアルショップが密集しているとこにいたんだ。
憧れたよなぁ〜
surfer girl (天下のSGっすよ!)
all amerikan boy (ここにしかなかったのよ、レミニッセンスもランチの服も!)
K-shop (のちのビームスね)
yellow sub marine (イカす雑貨屋でした)
まん中に銀細工やさん
どんだけ通ったかなぁ〜この一角に。学校にも行かずに。てか、学校よりもずっといろんないいいことおしえてくれた。かっこいい大人たちが!

ヨーコちゃんは古着の着こなしが最高にかっこ良かった。
私にたくさんいろんなお洋服のことおしえてくれた。
すごくお姉さんだとおもってたんだけど、
あって、ヨウコいくつ?
ってきいたらたった2歳上なだけだった。
あの当時はすごく上な気がしてたもんだ。

ヨウコちゃんはいつだって最先端なんだよな。
surfer girl
A-bomb
ハリーズ
フェラガモ
ボッテガ
つぎは
○○○DYらしい。

ボッテガにいてもボッテガのバッグ持たずに
LL BEANのキャンパスバッグで出勤してるんだと。
さすがや!かっこよすぎ!

また、会いにいこ〜ッと!

黄金の時



まさに黄金の時、だった。昨夜は…
午後7時から、野北の海岸近くカレントでのパーティ。
メンツは、オーナー林ファミリィを筆頭に、過去のサンセットのスタッフたちが勢揃い。
いい仲間だ。
お金では変えない、すばらしい仲間たち。あくがみんな強いが…笑


‘93年、イタリアにいる私にユキちゃんが言ってきた。
マコ、サンセットライブって楽しいイベントが二見が浦でありようけん、来年はいっしょに行こうね。と


翌年、チケットを買っていこうとおもっていたら、チケットはあえなく払い戻しされスタッフとして参加。
イベントの内容も、スタッフの顔もミュージシャンのこともわからないままでの参加。
いや、人間電線のように走り回り声をからしてがんばりました。


その後、お店の壁画描きが始まる。
店の入り口にオーナーからの依頼で、LOVE&UNITYと書いてほしいと言われる。
書いている時にオーナが言った。
マコちゃん、LOVE&UNITYのUNITYの意味ってなんだとおもう?
なんですか?と私。
UNITYは思いやりって意味だよ。
とおしえてくれた。

まさにその通りだと痛感した。
思いやりがないと人と繋がっていかない。


この店にその後スタッフとして働きだすのだが
私の第一印象は
まるで代官山にある、HOLLYWOOD RANCH MARKET(ハリラン)。
お店の商品売るよりも、お香の火が耐えちゃダメ、みたいなそんなムード。
波上がってたら、仕事より、波乗りっしょ。みたいなとこ。
スタッフみんながすんごく元気がよくって、
来るお客さんもその輪の中に入りたくってしょうがない。
そんな店だった。

私は惚れ込んだこの店を
命をかけて盛り上げていこうと心に誓った。
本当に命がけでがんばった。自信もって言い切ります。


あの時のスタッフは、
ほとんどが独り立ちして経営者として頑張ってる。
懐かしい顔にたくさん会え
素敵な同窓会ムードだった。
以前のサンセットライブのイメージかな。
久々に出会ったみんなとハグしまくり。
みんなお互いに愛し合ってるって感じだった。

素敵な夜をありがとう。
あの店で働いてたことを本当に誇りに思った。

最後は例のごとくpinkのアニキと酔いつぶれとりました。

2008-02-21

別れても好きな人




先日、もうかなり前に別れた恋人から連絡があった。
電話の向こうの彼は
『何年か前のこの日に、二人であの山に登ったよね。』
わたし、(へ?そうだったっけ?)
『そう、でしたね。懐かしいですね。』
『またね…』


そんな事があったのは、憶えているけれど
この日だったのは忘れていた。



この世の中、男と女しかおりませんが、
やはりどう見ても
男性の方がロマンチストですね。
これは絶対!
過去に数々の仕事に就いてきましたが、

(私の過去の思い出せるかぎりのやった仕事、勤めた場所
ちなみに一回に4種類の仕事をかけもっていたりしました。

家庭教師、美容院、洋服屋店員、不動産屋、コンビニ、
雑貨屋のメーカー、プレスルーム、広告代理店、クラブホステス、
スナックホステス、台湾屋台、相撲茶屋、チケット売り場、
レストラン、イベント業、お弁当や、デザイン事務所、
出版社、イラストレーター、ファッションショーフィッター、
ウエイトレス、皿洗い、こんなもんか?)

どの世界でもやはり殿方の方がロマンチストで博識がある。


別れた恋人が今、現在、幸せそうなのはとっても嬉しい。
先日この昔の恋人の現在のパートナーがお誕生日だったんで、
小さなプレゼントを贈った。(当時はライバルだったんですけどね)
彼女はとっても嬉しそうで
あんまり会えないけど元気?と返事をくれ
お互いにがんばっていきましょうね。といいあった。
いいでしょ、こういうの。


もちろん失恋したその直後は
いつもへらへら笑ってる私だって
ボッコリ落ち込みましたよ。
6ヶ月一人暮らしのアパートに引きこもり。
体には帯状疱疹がいっぱい。
ずーっとこのまんまの体で今後すごすのだろうか?と悩み続けた。
ま、それもいい思い出。


よくうちのお店のお客さんでもいるんだよな。
自分には現在、ちゃんと恋人がいるくせに
別れた前の恋人が許せないという人。
どういう神経してんだろ?
自分は幸せでいたいけど、相手には幸せになってほしくないらしい。
いつまで過去の恋人の悪口を言い続けるんだろう。
その時には楽しい時間を共有し合ったはずなのに。
どちらかといううと、あの時ともにいてくれて”ありがとう”じゃないのかな。
そんな了見の狭い人にはなりたくないな。


別れても好きだな、彼の事。
恋愛感情とはまた違った感情で。


庭のね、ヒヤシンスやチューリップが
今年もまた、芽を出しはじめたの。
植物って裏切らないから好き。過去もこれからも。
うれしいよ、小さな新芽を見つけたとき。
もし、植物に裏切られたように感じた時には
きっとこちら側に何か問題があるはず。
植物のような人になっていきたいね。

2008-02-17

SUNSET LIVE





今夜、サンセットライブ’07のDVDを見ている。
私なんか過去の人って思ってたんだけど、
DVDのはじめに過去私が描いたポスターがガガガーて出てきて、
お、けっこうリスペクトされてんじゃん私。ってうれしくなった。
’07かねてから来たい来たいって言ってた、シアターブルックの佐藤タイジくん登場。
出演までにすんごく時間かかったね、仲良しなのに。
いろんな思いがこみ上げてくるよ。

見て〜よ、‘96年の私の体…骨とスジ…
命はってたもんなぁ〜
始めてデタミよんだ年よ。勝負したなぁ〜

‘98年 のってきたよなぁ〜
しかし年々キツくなっていったなぁ〜

‘99年 まわりからマコ ヤバいよって(悪い意味で)言われた。限界だったかも。
外タレよぶの。
でもね、リコ・ロドリゲスとの絆はしっかり作ったよ。


今ね、
感覚は’96年 も一回やるよ、私
ワクワクしてる。
言われたんだ、12年若返るって。
やるよ。

2008-02-10

田舎暮らしの心得


私が田舎暮らしを決心した事の大きな理由のひとつに、PCの普及がある。

なかなか使いこなせていなかったがご近所のやさしいご夫婦のおかげでビールでMacをゲットした。
いつも使うたんびに感謝の思いでいっぱい。

やはり田舎にいると情報から取り残されてしまいそうな気がする。
だから、若い頃あんなに毎晩毎晩 出かけ回ったんだと思う。いろんな人に会いたくて、いろんな話が聴きたくて。

私の田舎暮らしにそっと背中を押してくれた一冊の本がある。
もう、本の題名も作者の名前も忘れてしまった。
ただ、その本のなかに書いてあった内容だけが私の心のなかに深く残っている。
その内容はこんな感じ。

作者はイギリスの田舎でたくさんの緑にかこまれてご主人とともに暮らしている。
イメージ的には映画“八月の鯨”みたいな感じ。
二人はともに文学者。
ともにいろんな場所で生きてきて、
人生の残された時間を田舎で過ごす。
月日は流れ、ご主人に先立たれ、彼女は自分ももうそろそろかなと思う。
世界中の彼女の事を理解してくれる友人に彼女はメールを出す。
『そろそろ、この世ともお別れのようです。今日から食事をするのをやめます。』
そして彼女は納得して静かに亡くなっていく。

ここでメールをもらった友人たちも納得する。
メールを送った方ももらった方もジタバタしてない。とても冷静。
こんな最期がいいなと憧れた。
田舎暮らしは怖くないなと思った。


最近、メールでよく泣く。
書いて泣いていたり。よんで泣いていたり。

紙に書く文化から発展していい部分もよくない部分もある。

ただ、時代は進んでいるのだから多いに利用すればいいんだと思う。素直に。

2008-02-03

真珠の日々



天然の貝のなかの小さな小さな粒が、
少しずつ少しずつ大きくなって
白くってプルンとしたきれいな真珠ができていき、
それが日々どんどん大きくなっていくような、そんな日々でした。

毎日が楽しくって、みんながそれぞれ言いたい放題。
火事場から難を逃れてきたケンタロウ。(なんでお皿洗ってる私のチクビを見るわけ?笑)
ハチャメチャなセンスだけど、作るカクテルの手さばきはお見事なホンダくん。
やさしくって人気者のボビー。(どうしてあ〜たのちぎれたチクビに私が絆創膏を貼らなくっちゃいけないの?笑 なんで軽の私があなたのミニを牽引して今宿から諸岡まで行かなきゃイケないの?笑)
静かにみんなを見つめていたシロウ。
みんなから怖がられるくせに妙に甘えてくるマサヒロ。(なんであ〜たのアパートに行って、たった一枚のメモ紙を私が処分しなきゃいけないわけ?笑)
キムタク似で女の子にモテモテだったタカフミ。(なんであんなハムスターみたいになってたの?笑)

雨のなかでの接客ごっこ。
七夕だからって着物を着ての営業。なぜかバカボンになってしまったボビー。
みんなで短冊に、“マコちゃんが結婚できますように”ってそれぞれ判子まで押して書いてくれたっけ。
お客さんが来ない時はかわりばんこにピンボール。
大声で、AP聞いてません!いえオーダーしました!の連発 笑

ひとつひとつの事柄がとってもくだらなくって
とっても重要だった。

この時を境にこの店は急成長した。
一人一人の持っていた才能がいかされた場所だった。


今、思い起こせば、そのひとつひとつが目から小さな粒となって溢れてくる。
ありがとう。
あなたたちとともに過ごした時間はとっても幸せでした。
そう、天然の真珠の粒のように…

2008-01-20

ボビーとリュウジ



かれこれ十年以上前、よくボビーとリュウジと遊んでた。
ボビーはやれ車が動かなくなったと、今宿から博多区まで牽引させたり、海パンでスケーボーして、乳首がもげたと言って泣きついてきたり。
リュウジは僕のメロコアパンクバンドを見に来て、とやれライブハウスやスタジオによく誘ってくれた。


そう、あれは4月ついたち。騙くらかしました。
ボビーが我が家にお迎えにきてくれた。
玄関先で見送る母。
『もう、あんまりあう時間もないでしょうから、楽しんできてね。』
ボビー
『…』


二人で車に乗り込み、ボビーが不振な顔
『どうしたと?マコちゃん』
『いや、実はね、私またイタリアに行くんよ。』
『え、どうして?』
『カルロがね、今病気みたいで、すごく悪いみたいだから、看病に行ってくる。来週には発つから。』
『まじで? ちょっとリュウジくん誘って夕日見に行こう。』


リュウジ参加。三人で西に車を走らせる。
店休日のサンセットから望む夕日。
二人は涙ぐんでいる。もう、しばらくマコちゃんと一緒に夕日が見れんねぇ〜ッて言いながら。


夕食をすませ、ビリヤード台がおいてあるバーで残り少ない時間?を楽しんだ。
時間は12時を回った。そろそろだ。
『すんません、本日エイプリルフールなのおぼえてました?私イタリアなんかには行きません。』
愕然とするふたり。腰を抜かしている。
『あんたねぇ〜、これは焼き肉でも奢ってもらんと俺たち気がすまんよ!!!』
『ハイハイ』


帰宅し、翌日の母と私の会話。
『どうやった?じょうずにだませたね?』
『うん、騙せた。』
『でも、今度 焼き肉奢れって言われた。』
『焼き肉ねぇ〜 肉は高くつくからうちで鉄板焼きしなさい。』
『あら、それナイスアイディア!』
『お好み焼きでよかろうもん』
『そうするそうする!』


後日、我が家でお好み焼きパーティ。
これで罪は拭った。

ご飯が一段落したところで父帰宅。
『お〜、いらっしゃい』
いきなり、座の中央に入り込む父。
『ところで、君の顔はなんだね〜 お母さんちょっとマジックと口紅』
そういって一人一人の顔にペインティングを始めた。
おとうさんっ!あ〜たはアラーキーか!
すんません来てくださったみなさん。

なんでこんな両親なんでしょう…

2007-12-13

サンタモニカ



私は、ほんとに物持ちがよろしゅうて、中学生のころからのミュージックテープを今も後生大事に持っているわけです。(バカやね)捨てきらんと。なんか思い出がいっぱい詰まっているから。
それで、最近また古いカセットテープを引っ張りだしては車の中で聴くとです。店でかけるのは、あんまりねっていうようなのもありますけんね。ここ最近のヒットはRIZで2000年の三月のとある日にShinさんが皿回してるテープ。いや、カッケーんだなこれが。この人がつくるテープっていうか、かけてる間の曲は全部繋がってひとつの作品みたいになる、そんなアイデンティティーがあるんだよな。
車の中でかけてるだけじゃ惜しくなって、今、店でも聴いてる。奥深。

そしてこのShinさん、わたしたちのファッションリーダーやったな〜。十代後半でディスコ、クラブデビューをした私。そんな場所でいつもものすごく変わった格好をしていたShinさん。仕事はその当時全盛だったPersonsの店長。でもプライベートの服はほとんどが、Worlds end。ご存知ですかこのブランド?かのSexPistolsをプロデュースしたマルコムマクラレンの妻ビビアンウエストウッドのブランドです。ロンドンのお店はいつも壁にかけてある時計が反対回りにまわっていて、床が斜めに傾いているお店。土地の名前っていうかお店の目の前のバス停の名もWorlds end。当時日本では、藤原ヒロシさんがよく通っていた、原宿のa store robotにしか置いてなかったんじゃぁないかな〜。
こんな大人たちに育ててもらったわけですよねぇ〜
写真は、GAZENBOになる前のサンタモニカ。お兄ちゃんお姉ちゃんたちに毎夜毎夜いっぱい遊んでもらってました。Shinさんは目だけね。

2007-11-05

バロックミュージック



すこし肌寒くなってくると、無性にバロックミュージックが聴きたくなる。
バロックミュージックに囲まれて生活していた頃。
フィレンツェの山奥、モンテセナリオの”casa del vento(風の家)”という名の家にに住んでいた。築二百年を超える美しい農家。
庭は、かるくにほんの小学校の校庭くらいはある。


持ち主は大学教授を終えたあと法律の分析の仕事をしている中年男性。その人と私はおおよそ一年生活を共にした。

年の違う、そして異国の顔を待つパートナーは、お互いの国で自分のパートナーがどんなに目立つ存在なのかを、お互いに感心し合って見ていた。道を歩けば人が振り返る。
  
わたしたちは週末毎週のように小旅行へ出かけた。
日本にいるときには箱根や日光、浅草。
イタリアでは、ラベンナ、ヴェネチア、北へ南へと走らせるその車は、日本のスポーツカー。
何もかもが贅沢すぎた。

何も不自由が無いその生活は、あることを私に気づかせた。

私が心を休められるのは、美しい音楽を聴いているときや、日記や手紙を書いている時、数少ない日本から持ってきた本を読んでいる時。

PCのフロッピーを持ってきたけど、入れてみればアラビア文字のような解読不可能な文字の羅列。

友達なんて、近くにいなかった。
彼とも、同じ言語を使うもの同士でさえ意思の疎通が難しかったりするのだから、
正直、最終的に心なんて通い合わなかった。
心の話をする人が近くに欲しかった。

美しい地中海の夏がおわり、
肌寒くなってマントルピースの火に薪をくべていたころの寂しくてたまらなかったころの自分を
バロックミュージックを聴くと思い出す。

どう表現していいかわからない、一人ぽっちの淋しい自分を思い出す材料。

2007-11-03

アンディウォーホールのTシャツ

この前お客さんがバリに旅行するって話をしてて思い出した。
私もバリには行ったことがある。それも仕事で。

もうかれこれ十年くらい前だろうか、友人がアンディウォーホールのファクトリィに出入りしていた、写真家ナットフィンケルシュタインの作品の日本での版権を手に入れたため、彼の作品(写真)Tシャツをつくろうという試みになった。
この作品はかなりの人が目にしてると思う、一番有名なのがタンバリンから顔を覗かせたウォーホールの顔。
こんな美味しいネタ、ほ〜ッておくのがもったいない!Tシャツつくりましょう、私、デザインしますから!

ということで、版権を持つ友人をたずねこのTシャツつくりのスポンサーとともに東京へ旅立った。それも車で。

版権を持つ、コーチャンは日本で初めてゴルチェのパリコレのモデルになった本にもよく出てる美しいモデルの彼女と一緒だった。
ただ写真を撮りにいくだけではもったいない。

毎夜毎夜、ギョーカイジン的な夜の東京を案内してくれる。
ある日は、パリコレ専属ヘアメイクアーチストのお店。ここはガレージのようなお店だった。ガレージのようなその中に入るとたった一つのシャンプー台がおいてある。これがまた、フィリップスタルクかなんかの一点もの。来るお客様は、運転手付き。
ある夜はミュージシャンが新譜を発表する、業界人のみしか入れないホール。
ある夜は、青山にあるクラブ。 ここがすごかった。まず入り口には、おねーちゃんを口説いているTノ内 豊。中へ入るとpopayeの創始者、有名作家、みんな勝手にしゃべったり踊ったりしている。まるでAウォーホーリのファクトリー!
もう、田舎っぺの私はぶっ飛びましたよ。

でね、ナットの作品を手にし福岡に戻ってくるわけです。
でね、せっせとTシャツのデザインして。
安くつくりたいじゃぁないですか。で、当時インドネシアに強い知り合いにたより、そちらでつくろうという試みになったわけです。

インドのジョグジャカルタにある工場でTシャツは作ってもらうことになりました。
とりあえず日本からバリに飛び、その後、小さな飛行機と列車を使っての旅。旅だけど旅行ではなく出張です。
行ってみて思いました。猛暑の中で仕事なんて、打ち合わせなんてあり得ない。頭が回んないのよね。むこうものんきだし。それでもめげずリゾートウエアで打ち合わせしている私。(写真1)



お仕事の依頼時には接待がつきもの。していただきましたよ。現地の型から。
なんか王様の敷地内にたってるお屋敷で。一人一羽ずつのサムゲタン、いとり一個ずつのマグロの目玉。食べれんちゅーに!
あぁ、案の定病院行きになりました。おなかこわしてそのまま風邪引いて。薬もらってるとこね。(写真2)



数週間してTシャツは出来上がってきました。
出来のいいのと悪いののムラがひどすぎる結末となってしまいました。

でもね、出来のいいヤツは、ピッツバーグのアンデゥウォーホール美術館で販売するようになりました。

が、現在私の手元には一枚もそのTシャツがありません。
ま、しかし、ウソのようなほんとの話です。

2007-10-18

RCがすきでした。



チケットぴあがまだこの世に普及していなかった頃、電話予約というものがこの世にまだ普及していなかった頃。
わたしたちが好きなミュージシャンのチケットを確実にとる方法として手堅いものにデパートの前に前日から並ぶ、というのが基本でした。私も並んでました。朝、チケットを買ってから学校に行ってました。ラジカセに電池つめてそのミュージシャンの音楽聞きながら、一晩がんばって並んでコンサートのチケットを手に入れたもんです。

どうしてこんなにライブが好きなんでしょう。自分でもよくわかりません。最近、本棚の整理をしていたら高校生のときに行っていたライブのチケットがでてきました。どうも何年間かのRC SUCCESSIONのライブを休んだことは無かったようです。今では、ほんの時々スローバラードを聞くくらい。
誰よりも今から行くライブのミュージシャンのことが知りたくって、そのミュージシャンの住所を調べたり、生年月日調べたり。バカだね。今もあんまりやってることが変わってない。

写真はでてきたチケットとサンパレスの前ににみんなで徹夜して並んでいったRC SUCCESSION。このライブですんごいはでなヤツがいるなんだあいつ!私の方がぜったい派手なはず!とにらみをきかせて近づいていったら何の事はない、一緒に行ったイクちゃんだった。19歳の夏です。

2007-08-29

ダチュラ


庭にダチュラの花が咲いている。またの名を朝鮮アサガオ、もしくはエンジェルホーン。
このダチュラという響きはコインロッカーベイビーズをよんだ人間にはたまらないはず。
そして朝鮮アサガオと言えば京極夏彦の姑獲鳥の夏にでてくる。
この植物、実を食べると幻覚症状がでるらしいです。(食べたことありません)
こんなちょっと怪しい草花が庭にあるのってスリリングでいいね。

2007-07-30

TADAMAN



昨日、TADAMANにあった。また、RIZに行きたいよ〜!って行ったら,俺も行きたいよ〜ッて言ってた。(笑)

にわか再結成のOZON BABYのサウンドにTADAMANのボンゴが天にのびるようになっていた。やっぱこの人が叩く太鼓は最高だ。
久しぶりに会って、昔話に話を咲かせながら”そうそう、DJ呼ぶとミュージシャンの人数少なくって盛り上がるしサンセットライブにDJ KRUSHよんだらどうだろう?”って話があったよっていったら、TADAMANNが“ふつうにバンド呼ぶより高いよ!”って言ってた。
そっか、やっぱりDJ KURUSHは偉大な人なんだ。

好みのタイプなんだよな〜この人♡ 以前,すんごく好きでTADA MANに無理言ってKRUSHさんに、電話かけてもらったりしたよなぁ〜 好きになるとつい強引になってしまうんですよね,私って。そしたら、KRUSHさんサイン入りCDはくれるは、お手紙はくれるは、関連グッズはくれるは…うれしかったな。
そんなことを思い出した、昨日のよるだった。

2007-07-13

許されたバター



先日おかげさまでお店の7周年のアニバーサリーパーティを無事に終えました。
当日,たくさんのお花やお酒などをお祝いに頂きました。が,その中に異色のものが… 朝一で届いたそれはクール宅急便。送り主は東京に住むサヨコとキブンさん。ありがたいなぁ〜ッて思いながら,冷やしとかないといけないものだったら…とワクワクしながら封を開ける。中にはサヨコお手製のポーチ、そして乳製品の箱がいっぱい。やったぁ!私の大好きなチーズだ!と思いきやバター、バター、マーガリン,またバター… どんだけ〜〜!キブンさんのお仕事で使ったものかしらん?と考えを巡らす。そこに一通の手紙。

『マコちゃん 7周年おめでとう
バター贈ります。
好きなだけぬってください。
どうぞどうぞ 端から端まで
何度でも何度でもぬってください。
もう怒らないからね。
         紀文

マコへ、7周年おめでとーー。
なんか紀文さんから許された気持ち(私まで…)
ポーチ使ってねん。
         佐予子


私、爆笑!
いやなぜかって言いますとね、上京して三人で共同生活をして同じ釜の飯を食ってたわけですよ当時。三人とも20代前半。
でね、ある日の朝ご飯のときにね、(その時、紀文さんは無職もしくは転職したばかりで金銭的に余裕がなかったのね。)
三人で食パン焼いて食べてたわけよ。
サヨコと私はチマチマ,細々したした作業が好きでパンにバターをぬるときにも端から端までぴっちりときれいにぬるの。だってその方がとってもおいしく感じる育ち盛り。それに、同じように与えられたものをどんだけ人より多く食べるかの決戦のような毎日だった。
それを見たキブンさん。
“サヨコちゃんもマコちゃんも,マーガリンぬり過ぎ!”
”え〜じゃぁ、キブンさんもきれいに私たちみたいにぬればいいやん!”
キブンさんブチ切れ!!!!

仏の紀文と言われていたキブンさん。そんなキブンサンがブチ切れた一幕があったのです。

20年経ってやっと許してもらえました。

2007-06-21

SKA FLAMES&DETERMINATIONS




時は1996年、第4回めのSUNSETLIVE をひかえた初夏のころ。
それまでは、夏の終わりにあるこのライブといえば、”KAJA&JAMMIN'"と”HARD CORE REGGAE"をよぶのが主流だった。
PUNKあがりでSKA好きの私は仲のいい友人たちからの依頼もあり、ここらでSKAでのSUNSET LIVEをこころみたいと思っていた。

さて、最初に思い浮かんだのが、SKA FLAMES。まずは電話でアポイント。この最初の一本の電話にすごく勇気がいる。かけるのは私だ。その当時よく行っていたAFTER THE RAINのバーテンだったマサヒロや店の同僚のコたちが,背中を押してくれた。“ダメもとでかけたらいじゃん,マコちゃん”って。そう,考えていても事は何にも起こらない。勇気をふりしぼって電話しました。


同じ頃にあるとあることが起こりました。SKA FLAMESのメンバー宮崎さんの友人で、イワサさんという方が西新に”いわさ本舗”というすてきな居酒屋をおもしろ21の通りにオープンしました。しかしオーナーのイワサさんは開店した翌日にあっけなく天に召されてしまったのです。このイワサさんの追悼ライブをしようという事で、SKA FLAMESのみなさんがSUNSET LIVEへ来てくださることが決まりました。ちょっと神がかりな招聘です。


イベントをSKAというくくりで仕上げるには対バンが必要となってきます。考えてもそんなの浮かんできません。 ふらっと十代の頃から仲良しのヨシヅミくんを尋ねてDON'Sへ行きました。ヨシヅミくんにSKA FLAMESをよぶことは決まったけど対バンが見つからないと相談してみました。すると、大阪にDETERMINATIONSというSKAのバンドがいる。同じように大阪でレコードショップDRUM&BASSをしているハヤシくんに紹介してもらったらいいよ。との回答をもらいました。


さっそく、DETERMINATIONSに連絡をとりはれて出演が決定。
新しい形でのSUNSETLIVEが形作られていきました。


この’96年のSUNSET LIVEでSKA FLAMESとDETERMINATIONSは初めて出会うこととなりました。二見が浦の地で。

あれから十年。あのときのようにSKA FLAMESとともにDETERMINATIONSの高津直由が福岡で同じステージに立つ日がやってくる。
心からこのイベントの成功を祈っている私です。

2007-04-25

クイズ番組


もうかれこれ十年くらい前でしょうか。TVのクイズ番組にでたことがあります。それも大晦日から元旦にかけての深夜。TVQの何周年記念とかいうクイズ番組でした。友人からFAXで詳細を教えてもらい、ボビーを誘っていきました。場所は博多スターレーン。番組側は1000人集めたかったみたいでしたが、6〜700人くらいしかいなかったように思います。

クイズが始まりました。まずは知能、運、体力に別れてくださいとの指示。私とボビーは体力を選びました。やったゲームはドッチボール。それも円型タイプ。丸い円の外側から、ボールを中の人に向けて投げられて、ボール当てられた人が負けってヤツね。ここでかるくボビーは敗退。TVに写ると思ってすんごく短いショートパンツにエナメルのリボンの付いたブーツでおめかしをしていった私は、生き残ることができました。(それでかどうかはわかんないけど)次は知能班、運班、体力班で生き残った人たちが2グループに分けられました。私は何となくひとつのグループに入りました。これまたセーフ!もうひとつのグループははずれだったらしく、極寒の中カキ氷を早く食べた上位何人かが生き残れるというもの。

難なく、たまたま運のよかった私たちは博多スターレーンの横に止まっていたバスに乗せられ、TV局のスタジオに連れて行かれました。スタジオの中は”アタック25”のスタジオみたいになってて、観客の席が五色の色別に縦割りになっていました。奥からつめて座ってくださ〜い、というスタッフの人の声をよそに、私はどうしても手前の椅子に座りたく、そこに腰をかけました。これまたあたり!自分の座った席の色の回答者が勝ったため、その色の席に座っている私たちが今度は回答者となってクイズが始まりました。 
大晦日から元旦にかけてのこの番組、もちろん生放送。まぁ、さばけ無さと言ったらすばらしいもので、もともと2時くらいには終わるはずらしかったのですがこの時点で軽〜く4時をまわってました。もう、スタッフ、ゲスト、回答者、みんな顔には“早く帰りたい”というう文字がにじみ出てきてました。

忘れてました、このクイズ一等は百万円です。これにつられていっちゃったんです。ボビーをそそのかして。

この色別の席に一緒に座った春日原から来た女の子、彼女は遅くなると帰りのタクシー代が無いと困ってました。
彼女を含む五人がまたもやクイズクイズ。これが山笠の流れを全部言えとか、五種類の明太子の味を食べて分けろとか、時間もかかる難問ばかり。そうこうしているうちに、TV局側も時間がかかりすぎていることが気になってきたらしく、最後の問題を出してきました。この残った五人の中の誰かが百万円もって帰れるのです。かなりわくわくドキドキしてました。

さて最後の問題”福岡県で六番めに人口の多い市はどこでしょう?” 知るか!んなもん!みんないろいろ答えるけどなかなか当たらない。さっきまでとなりに座ってた春日原から来た彼女が小さな声で答えた“春日市”

“正解です!優勝はあなたです!”
司会者スタッフのうれしそうな顔。そう、これでやっと番組がおわれる。時刻はかるく朝の6時をまわっていた。
わたしですか?なんと私は二位でした。もう一人二位の方がいて、二位の商品は横綱テレビ、三位の商品はパソコン。私はパソコンが欲しかったのでテレビとともに二位を譲りました。パソコン、米一俵、一年分のカップラーメンの目録を手に初日の出を浴びながら家路に付きました。

写真は一番左がボビー、その横が私よ。

この話後日談があります。

2007-04-11

好きなのはロックステディ


ただ今、過去まれにみる風邪っぴきである。熱はでるし咳は止まんないし、ゲルシーからは”それ、インフルエンザじゃないですか?もしくは歳。”と言われた。どっちにしてもカックリだ。こんな日はなるべくお客さん来ませんようにと心に祈る。だってぇ〜きついもんはきつい。で、お客さんのこない間はブランケットにくるまってソファーでゴロゴロする。BGMは大好きなREGGAE、ジャンルはロックステディにかぎる。あ〜しあわせ。熱のある頭と体になんて心地いいんだろう。過去にREGGAEが流れていたシーンが頭をよぎる。松屋8Fのラパス、TAXI、PINK FLAG、シーズンオフのサンセットもすんごく似合ってたよな。お客さん誰もいなくって植木や窓に心地いい風が流れる。まるでグラビアの中にいるような、すべてのものがスローモーションで動いているように感じた。あのころのサンセットにいれたことをすんごく誇りに思う。今となってはオーナーも居心地悪いみたいであんまり店にいないしね。(居心地いいのは早良区らしい(笑))ま、そんなことはどうでもよくって、最近流行のどかどかガンガンのREGGAEは苦手なんです、私。路地裏でジーさんが歌ってるみたいなのが好き。なので今回の映画Ruffn'Tuffはおなみだ頂戴物でした。やっぱグレゴリーはかっこいいです。あの人たちが奏でるスカが好きです。写真はこの映画の出演者高津くんが送ってくれたもの。生で、路地裏(といってもかの有名なオレンジストリート)で歌うグレゴリーの姿がみれたなんて羨ましいかぎりです。あぁ、音楽で風邪が治らんかねぇ〜

2007-04-09

逆転ホームラン


うちの店にときどき来るあるお客さん。
彼女は何年か前にご主人を失った。癌だった。そのことを宣告されたときには、その現実を受け止めるまでが苦しかったらしい。病院に入院させたことにも後悔していた。未亡人になってからは、まわりから助けられたり揶揄されたりの日々だった。すごく寂しかっただろう。

数年して彼女に彼氏ができた。あまり回りににどうどうと紹介できることのできないような彼氏だった。前科一犯。薬物中毒である。私の知るかぎり、その後二回警察に捕まった。その度に彼女は泣いて私のところにやってきて、どうしようと言ってきた。三度めのときにはいいかげんにしたら?と言ってみた。私は友人の 精神保健福祉士(精神科のカウンセラーのような人)にいろんなことを尋ねた。薬物依存にかぎらず、ほとんどの病気がその病気にかかった時間と同じくらい治るのにはかかるということ。本人が改心しなければ回りがどんなにがんばっても、直る見込みがないこと。万が一の逆転ホームランはほんのわずかな人にしか見られないこと。彼女は彼を助けているような自分に酔っていった。彼がイライラすれば自分もイライラし、喧嘩をふっかけられればこたえ、顔や体に痣ができている日もあった。この頃、彼女の精神も少しゆがんでいるのが私にはわかった。なぜに彼女はそんな彼に固執するのか私には不思議でならなかった。ただ、亡くなった前のご主人を助けることができなかったトラウマがあるのは感じる。何回か彼女と口をきかない時期もあった。どう接していいのかわからないし、遂には二人の喧嘩の仲裁に入らされ、夜中に、カーッとなった彼の方が私の家にやって来ることもありすこし私は怖くなってきた。なんせどんな行動をするかわかりませんからね。ただ、彼女にはあなたがどんなに献身的にしても彼が変わらないことにはどうしようもないよ、とは言っておいた。

言い放っては見たものの、ものすごく心配だった。そう、私は自分のことのように人のことを心配する癖がある。どうして彼女はあんな人生を棒に振りそうな人を敢えて選ぶのだろうか?とか。何のメリットがあるんだろうか?とか。やっぱり体?とか、いろいろ考えた。  

しばらく音信不通の日が続いた、ある雪の降る日に彼女がやってきた。 涙をぽろぽろこぼしながら。ごめんねマコさん。あなたの言ううとおりだった。と彼女は言ってきた。私はホッとした。とりあえず彼女は現実に気がついた。自分が彼のペースに飲み込まれていたことを深く反省していた。精神病院に行って、同じような症状の患者を持つ家族との話し合いでそのことにやっと気がついたらしい。以前私や回りの人が話していたことはその当時の彼女には聞こえていなかったらしい。時間が経ち、やっと彼女の中に聴く耳ができていったらしい。

それからまた少し時間が経ち、ふと思い立ち彼女に連絡を取ってみた。彼は今のところ荒れることもなく、今までは続けることすら難しかった仕事に通ってるらしい。彼女はと言えば、相変わらず献身的に彼のことを支えている。しかしそのスタイルが変わった。すごくすごく長い道のりだったけど、彼女は今、 精神保健福祉士の国家試験を受けようと張り切っている。彼と似たような人やその家族を助けたいのだと言う。この仕事を見つけ出すきっかけを作ってくれた彼に感謝していると言う。自分もつらい経験をしてきたから、そのことを今苦しんでいる人に多少なりともアドバイスできたらうれしいと。現実をしっかり受け止め、もっと知識のある人の話を聞いたりそう言う人の書いたものを読んだりして、知識を高めていくこと。そして、素直に聴く耳を持つことが、いろんな困難を乗り越えていく鍵だね。と彼女と言い合った。

もしかしたら逆転ホームランが高々と打ち上げられる日が来るかもしれないな。と思った。

2007-04-02

三つ子の魂百まで


滋賀県には母の実家があった近江八幡と、弟たちが生まれる頃に預けられていたその市内のはとこのお家、島町がある。琵琶湖のほとり。ここのとこ回りでいろんなことが起こり、何回か聞いた、“お墓参りしとかんといかんよねぇ〜”という会話。気が付けば自分も長いこと行ってない気がしてきた。そうなると行きたくていきたくてたまらなくなるのが私の性分。すばらしいタイミングで、青春十八切符で出かける友人に声をかけてもらった。この歳にして夜行での移動。はたして耐えることができるのか?乗ってみたら何の事はない、老若男女、様々な人種が乗っているではないか!晴れて向かったわが古里、滋賀県近江八幡市島町。この場所、実は今、私が住んでいるところにあまりにもロケーションが似ている。田んぼの中のまっすぐな道の先の北側の山を背にして建物が建っているところ。この裏山を抜けると海(地元の人は琵琶湖をこうよぶ)に続く山道。どうしてこんなにも似たところを自分は選んだのだろうと不思議でたまらなくなった。三つ子の魂百までといううヤツだろうか。愛すべき古里であった。もちろん滞在中は毎日お墓参りに行って来ました。お墓参りっていいもんです。写真は近江八幡の八幡堀です。

2007-02-10

消えたマコ


やっぱりサヨコと遊ぶのはとびきり楽しい。同じ釜の飯を食ったせいもあるだろうが、どれだけ離れていてもどれだけ長く会っていなくても、話は泉のようにわき出し止まらない。そしていつだって飲み過ぎて大笑い。この前も呑んでこの話思い出した。東京にもだいぶなれて、サヨコには妹のアヤちゃんが私には弟のミノウとマコトがそれぞれ上京してきた頃。週末となればみんなで、大好きな西麻布にくり出していた。いたるところにクラブがあるその街。行きつけは328だった。ある日ぐてんぐてんに酔っぱらった私は記念撮影しま〜すと、張り切って丸椅子に腰掛けみんなにカメラを向けた。ポーズをとるみんな。その瞬間”あっ、マコが消えた!”みんなの視界からわたしは消えてしまったのです。何の事はない、椅子ごと後ろにヒックリコケていたのでした。ハハハ… 宴もたけなわ、みんなで一台のフローリアンに乗ってわが街巣鴨に戻りました。駐車場に付くととりあえず別れも惜しくそれぞれ煙草すったり缶コーヒー飲んだり。では、わたしもと車止めに座って一服しようと腰をかけました。その瞬間、またもや”あっマコが消えた!” たすけて〜車止めに見えたそれは大きな溝でした。座るつもりで勢いよくお尻からその溝に突っ込んだわたしでした。あぁ、一晩で二度もみんなの前から消えたわたしでした。

2007-02-05

TC



先日TCが、雑誌kyusyu eyesでお気に入りの店で紹介するからと言ってやって来た。TCは今、普通はなんてよばれているんだろう?彼は私がサンセットに入った時の先輩。バナナジュースの作り方を教えてくれた。といってもやつは高校生だったけど…サンセットの横のmoon lightの壁に絵を描いていた。私はサンセットの壁画を描いてるミノリちゃんのお手伝いをしているうちにサンセットでバイトをすることになっていた。私が入ったすぐにTCはサンセットをやめたような気がする。絵書いたり歌ったりしているTCだった。TCは今はKAOIになったブルーレベルの上でよく絵を描いていた。私もそこで作業したりしていた。博多駅前や天神にある焼き肉屋さん”カルビー大魔王”の店内の壁画も一緒に書きにいった。遊び半分で描いたから、店中がぼうぼう燃えてるみたいになってしまった。かわいいキャラクターだったカルビー大魔王のキャラを一夜にして閻魔大王みたいなものに変えてしまった。TCが描いた店の文字がその後ずっと使われるようになった。テキトーだったけど楽しかったなあの頃も。ところでやつはいくつになったんだろう? 写真は当時よく小さなパーティをしていたサンセットのDJブースと従食中のTC。オォ懐かしい面々。

2007-02-04

運命の人?


はたしてこいつと私の関係はなんだろうかとときどき思う。マサヒロがレインで働いてるころ、そう私が必死になってサンセットライブをがんばってた頃。レインには私専用の唐辛子をつけ込んだウォッカをガ用意してあったっけ。あの当時、仕事が終わっては松の湯かタコプルコかアカプルコかレインにいた。どの店も同じオーナーだった頃。だからこの店の従業員たちは私もこの会社のニンゲンだと思っていた子もいたくらい。よく朝まで呑んでたな。〆のご飯がなぜか久留米といううこともよくあった。これはたぶん誰かの誕生日でRIZにいった時のもの。そのあと吉牛大食い競争が行われる。各店舗に別れて一番食べたチームが勝ち。負けたチームは全員の牛丼代を払うといううもの。はきながらくってたよなぁ。アカプルコのオープンの時は飲み物が呑み放題っていわれたから一緒にいった女の子と二人でビールワンケース(24本)呑んだよなぁ。あのハチャメチャな頃を過ぎて、あの当時つるんでいた連中のなかでなぜか相変わらずマサヒロとだけ妙に仲良し。たけしコージが来福するといえば空港まで迎えにいってくれるし。トキ君のDJには朝まで付き合ってホテルまで送ったりするし。ラジオ聴きにきてといえば聴きにきてくれるし。5000円私から借りて家出はするわ。運命の人なんだろうかと最近ときどき思う。今年、はじめてあった友人はこいつだった!いや、かわいいんですよ。やつが。  10年前の写真よ文句ある?

2007-01-18

同級生


=同級生に久しぶりに会った。どうも同級生というものは店に客として来てくれてもいつもの対応が出来ない。普段私はかなり自分の感情を抑えて冷静に勤めているつもり。ところがこの同級生相手となると違ってくる。お互いそれぞれ言いたいことを言い合って人の話なんか聞いていない。全然大人の会話じゃない。会った瞬間に、年月が吹っ飛んでしまう。みんなで昔語りをしたり、音楽の話をしたり、ガンガンけんかしていたり。同じ年に生まれたものだけが許される関係。また奴らに会いたいな。

2007-01-12

春を迎える日本酒



=ある年のお正月、アニバーサリーで来てくださった浜口茂外也さんから頂いた日本酒の封を開けた。そのお酒は桐の箱に入っていてどう見ても大層なもの。呑んだお相手はパンダさんとヤスコちゃん。三人でおせち料理をつまみながらクピクピ。あっという間に三人で一升開けてしまった。その後二人はあっけらかんと帰っていき(家に戻ってワインまで呑んだらしい)へろへろになった私はすごすごと床に付いた。ふと目が覚めるとまわりが春のようである。“う〜ん、やはり新春。雰囲気も春やねぇ〜”と思ったのはつかの間。あ〜〜〜〜〜お風呂沸かしっぱなし〜〜〜〜!家中が春の陽気である。お風呂場にいたってはもう地獄温泉。ゆで卵できそう。春の陽気を感じた新春の日本酒失敗談でした。ほんと日本酒って気をつけて呑まなくっっちゃ!いや、今日、日本酒頂いたもんだからねぇ、ふと思い出したのよ。

2007-01-05

ヘクション→バリッ


先日実家の引っ越しを手伝っていたときにでてきたこの写真。ちょうど20年前、ディズニーランドに行って来た時のもの。写っているのはこのお正月にやって来てくれて、当時の同居人(勝手に私が居候していたと行った方が早いかな)のサヨコとキブンさん。そしてどうよこの私、今より体重は遥かに十キロ以上重い。顔が、輪郭が。この写真見て当時芸能人で誰に似てるって言われていたか思い出した。だれとおもう?ラサール石井。はっきり言って似ていると思う。よく食べてたなぁこの頃。すんごい貧乏だったので、ものすごく食べることに執着していて、食べれんでガリガリになったらどうしようと思っていたら見る見るうちに太っていた。くしゃみでズボンのファスナーを壊した経験ありです。ヘクション→バリッ!ってやつ。

2006-12-15

記憶喪失


もうかれこれ四、五年前になるだろうか。年末になるとおじさんサーファーのサカキさんとハリーさんがトモちゃんと私を誘ってくれて忘年会をしていた。一次会はトモちゃんの旦那であるチアッチーが勤めていたグリシンへ。そこでだいたい出来上がり、中州の方へのみに出かける。毎年サカキさんはゲイバーへ私たちを連れて行ってくれる。ある年もそうで、カウンターに座って楽しんでいた。12時を回ったくらいからプツっと私の記憶は無くなり、何時間か経って、ふと正気に戻った。”ネエネエ、トモちゃんいいかげん私も歌が歌いたいんやけど〜”と言うと。”もう!マコぴん、さっきからおんなじ曲三回も歌いましたよ!”“エッ?”覚えていない私…では次の会話をっと。“ネエネエ、トモちゃんここのママえらいシャーシーっちゃっちゃけどどうにかならんとかいな?”“もうなに言ってんですか?さっきまでこの店で一番うるさかったのマコぴんですよ!”覚えていない… こんなんばっかり。

2006-12-11

悪魔のような私たち


先日日頃のうっぷんを晴らすため、はるか沖縄にいるユキに電話をした。最近嫌だったことをぐちぐち聴いてもらい、昔話に花が咲いた。十代で私がまだ上京する前にユキとよく小旅行へ出かけた。関西へ行ったときには京都駅に高校の同級生の悪そうだった慶太(当時同志社生)を呼び出し荷物持ちと二人のツーショットの写真を撮るためにシャッターを押してもらっただけでバイバイした。熊本へ行った時は帰りのバス代を貸せと一人暮らしで熊大生の樋口くんからお金を巻き上げバイバイした。ひどいひどすぎる!悪魔のような私たちだった。でも誰も嫌ったりしない。なぜか私たち二人だけが高校の野郎だけの同窓会“ボイガル会”といううのによばれる。こんなんだからつけあがるのよね〜私とユキは…二人でバイトにいってたケヤキ通りの酒屋さんも一緒にクビになった。店に置かれている焼きた当てのパンを知らん顔してこっそりムシャムシャ食べたりしてたもんなぁ。店にきた友達にはガンガン万引きさせよったし。写真はね成人式のものです。まん中はいくよちゃん。ういういしか〜

2006-12-10

気がついた。


きのう、”たけしこうじ”のライブに行って気がついた。この頃バーとかに行ってないってことを。ガッツりと話し込んでべろんべろんになるまで呑んでベラベラ話すってやつをしていないことを。もちろん昨日もバーnoisでは最初にカンパリソーダを一杯飲んで、その後はソフトドリンク。こうなるといいライブもよさが半減する。あー、場所も帰りのことも心配しないで都会ではしごしながら呑みたい!車で帰宅するのに酔っぱらったマサコが助手席にのっている。帰宅時間一時過ぎ、すぐさま二人でビールを飲み始めた。そしてすごく久しぶりに酒の入った勢いでべらべらごくごく。気がつけば三時を回っていた。まぁ、私は呑みはじめが遅かったのでぐいぐいといっておきました。そして、すごく翌日すっきり。やあ〜、やっぱ呑まないかん。呑んでおしゃべりいっぱいせないかん。私はそういう動物だ。

2006-12-06

さばける女


20歳で東京へ行って、バイトして何となく生活してて、母親からやっぱり学校出てたほうが得じゃないっていわれ、美術系の学校を卒業して学校の先生のご主人がやってるデザイン事務所に就職した。場所は代々木。そこで私は真澄ちゃんと出会った。一見、ボーッとしてクラスで仲間はずれにされそうなタイプ。しかし彼女はとびきりセンスがよく、すごく仕事がさばけた。それまで仕事ができる女性と言えばハイヒールカツカツいわせてピタットした服を着ているものだというう私の固定観念を見事に打ち砕いてくれた。話してみると、映画や音楽の趣味もとても合い一緒にいるのが楽しかった。彼女が土曜日は会社に来なくていいよって言うのでその通りにして社長から叱られボーナスがないこともあった。彼女が通っていたから私もフランス語を習いに行った。そのうち彼女はフリーで仕事を始めるようになり、もちろん私も彼女の仕事が手伝えるように会社を辞めた。そうこうしているうちに月日は流れ、私はイタリアへ。帰ってきてみると真澄ちゃんはパリに住んでいた。いまもフランスに住んでいる。フランス人と結婚して子供もいる。また会いたいな。今は日本語ぺらぺらのご主人と翻訳の仕事をしているみたい。写真は彼女がパリにいるときに尋ねて行って南フランスを旅した時のもの。ボディコンよー

2006-12-02

スカロケとバグダッド



先週の日曜日にSKA★ROCKETSとBAGDAD CAFE THE trench townのライブにいってきた。このふたバンドは私にとって特別思いい入れのあるバンドたち。スカロケはサンセットライブをやっていた頃にオリーブレーベルのタカハシさんから福岡になんかおもろいバンドない?って尋ねられて、いますいます、ステージで火吹いたり空手やったり変なスカバンドがありますって紹介した。その頃とは相当メンバーの入れ替わりがあったけどいまも福岡を代表するバンドとしてがんばってる。前回、Voのケンゴくんがステージの上で打ち上げには三人女を抱くぜーッていううから終わってすぐに、ではひとりめお願いします。って言ったら腰引いて逃げて行った。笑える。バグダッドは三人の歌姫たちが歌唱力を上げていた。ステージで”サンセットライブに出たい!お願いしますハヤシさ〜ん!”とマイちゃんがおらんでいた。この後ちょっとどよめきのような笑いのようなのが起こっておもろかった。彼らのスタイルは、私の目から見るととてもサンセットライブっぽいと思われるのですが、数日後に当のハヤシ氏より連絡があり”どう思う?”ってきかれた。わたしは、出演してもらっていいんじゃないって思うのでうすが、彼にはどれも同じ曲に聞こえるらしいのです。でもレゲエのカテゴリーってだいたいがズンチャズンチャだし、似てるって言われてもね〜最近のサンセットライブはロックフェスだよねって以前から仲良くしているミュージションたちは口を揃えて行ってる。まぁ時代の流れってやつですかね。どういうふるいをかけてミュージシャンを選んでいるのかようわからんし。みなみなさんがんばってください。