2008-03-20

なぜ街に




長年、田舎で働いてきた、そんな私がなぜ今、あえて街で店をしようとしているのか。
自分でも不思議である。
今年は今までとちょっと違う。いろんなものが動き出した。
鎌倉に行ってその後、12歳若返った気分になっている。調子いい。

去年は私のまわりでいろんなことが起こった。
自分の身にはこれといって何も変化がないのだが
それらの出来事で心が動いた。

昨年の春、PNDさんが入院。身も心も震えた。
今まで毎週のようにPND夫妻とご飯をいっしょに食べてた。
何がいけないんだろう?すごくいろいろ考えた。
食生活?お墓参りしてない?日常の行動?生活環境?何か方位を間違えた?運動不足?いろいろいろいろ…
すごく考えた。
でも、なんにも言えない。
わたしはどうしたらいいんだろう?
考えに考えたあげく、
まずは自分の生活を振り返ってみることにした。
末期の癌患者もなおしてしまうほどの威力がある
玄米菜食の料理学校に通い、食生活について勉強を始めた。
お墓参りにも通うように心がけてみた。
神社には感謝の気持ちを伝えに日々お参り。
たくさんの本も読んだ。
毎日欠かさず運動。
まずは自分がいろいろとやってみないと何か話す時に説得力がないと思ったからだ。

今現在、PNDさんは仕事に復帰し子宝に恵まれ楽しそう。よかった。

次に、海外で事故に会ったTくん。
びっくりした。
命を落としてもおかしくないような事故。
事故後に、はじめて出会った彼は、私の前で涙を流してくれた。
すごい体験をしてしまったと。
その時の彼は、まるでガラス細工のようで、触れば壊れてしまいそうだった。
私もともに涙を流した。
彼は大事故の後、間もないのに帰国して早々、就職。
バイタリティを感じた。
海外で生活したことがある女友達と感心したものだ。
帰国後すぐに働きだすのはとてもキツい。
彼女も私も帰国後は一年くらいボーッとしていた口。
海外で生活したあとはまず、日本語が変になる。
英語的な伝え方(変なところでストレートな)の日本語になってしまうのだ。
人への対応も以前いた国と日本とのギャップに悩まされ頭がこんがらがる。
そんなことはおくびにも見せず、事故の形跡すら感じさせず
幹が太くなった木のように黙々と彼は働いている。


そしてタロウさん。
ショックだった。ゾウさんの看板を修繕している時だったから
ますます辛かった。
彼が残していってくれたものの偉大さに参ってしまう。
何度も何度も泣いた。
大きな人だ。
見えない力をすごく感じる。
今日から、遺作展。

尋常でない複数の出来事の中、
当事者はもちろん大変であっただろうが
その身近にいる人もどれだけ大変だっただろうかと思うと、
心が痛んだ。
私にできるコトなんてなかった気がする。寂しいけど。


こんな数々のすばらしい人たちにかこまれて
では、私ができるコトはなに?
となってしまったわけです。
もっともっと、自分がしなくてはならないことをしなくてはと。
生きることをもっと深く認識してみようと。

ある日ひょんなことから、望月学という人と急接近することとなる。
博多区でラーメン屋を営む彼は
仕事に対する姿勢がとても美しく
まわりの人のことをとってもよく見ている。
今まで私が理解していなかった人たちのことも上手に説明してくれる。

彼が言った
『マコさん、みんな待ってるんじゃないですか?』
その一言で奮起した。
街にでようと。
ただ、はたして私の体力がもつのかどうか?
この望月君と、ともに働いていけるのか?
ということで、夜のラーメン屋のバイトに入ってみたわけです。
タロウさんの一件から眠れなくなってて、身体を疲れさせたいのもあったし。
最初はキツかったですもちろん。
街になんて三ヶ月に一回ぐらいしか呑みに出かけない私でしたから。
でも、通うことによって今までRBまでは来れないけどって人がたくさん来てくださった。
バイトの日が楽しみでしょうがない。

できる!と確信し始めた。

ま、そんなこんなで
たくさんの方の助言や
励ましによって
今に至るわけです。
‘08,8,8 ”569”(go!rock) 麺家もち月の上にopen予定
ぶっ倒れないようにがんばります。
応援してね。

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