2007-07-30

TADAMAN



昨日、TADAMANにあった。また、RIZに行きたいよ〜!って行ったら,俺も行きたいよ〜ッて言ってた。(笑)

にわか再結成のOZON BABYのサウンドにTADAMANのボンゴが天にのびるようになっていた。やっぱこの人が叩く太鼓は最高だ。
久しぶりに会って、昔話に話を咲かせながら”そうそう、DJ呼ぶとミュージシャンの人数少なくって盛り上がるしサンセットライブにDJ KRUSHよんだらどうだろう?”って話があったよっていったら、TADAMANNが“ふつうにバンド呼ぶより高いよ!”って言ってた。
そっか、やっぱりDJ KURUSHは偉大な人なんだ。

好みのタイプなんだよな〜この人♡ 以前,すんごく好きでTADA MANに無理言ってKRUSHさんに、電話かけてもらったりしたよなぁ〜 好きになるとつい強引になってしまうんですよね,私って。そしたら、KRUSHさんサイン入りCDはくれるは、お手紙はくれるは、関連グッズはくれるは…うれしかったな。
そんなことを思い出した、昨日のよるだった。

2007-07-13

許されたバター



先日おかげさまでお店の7周年のアニバーサリーパーティを無事に終えました。
当日,たくさんのお花やお酒などをお祝いに頂きました。が,その中に異色のものが… 朝一で届いたそれはクール宅急便。送り主は東京に住むサヨコとキブンさん。ありがたいなぁ〜ッて思いながら,冷やしとかないといけないものだったら…とワクワクしながら封を開ける。中にはサヨコお手製のポーチ、そして乳製品の箱がいっぱい。やったぁ!私の大好きなチーズだ!と思いきやバター、バター、マーガリン,またバター… どんだけ〜〜!キブンさんのお仕事で使ったものかしらん?と考えを巡らす。そこに一通の手紙。

『マコちゃん 7周年おめでとう
バター贈ります。
好きなだけぬってください。
どうぞどうぞ 端から端まで
何度でも何度でもぬってください。
もう怒らないからね。
         紀文

マコへ、7周年おめでとーー。
なんか紀文さんから許された気持ち(私まで…)
ポーチ使ってねん。
         佐予子


私、爆笑!
いやなぜかって言いますとね、上京して三人で共同生活をして同じ釜の飯を食ってたわけですよ当時。三人とも20代前半。
でね、ある日の朝ご飯のときにね、(その時、紀文さんは無職もしくは転職したばかりで金銭的に余裕がなかったのね。)
三人で食パン焼いて食べてたわけよ。
サヨコと私はチマチマ,細々したした作業が好きでパンにバターをぬるときにも端から端までぴっちりときれいにぬるの。だってその方がとってもおいしく感じる育ち盛り。それに、同じように与えられたものをどんだけ人より多く食べるかの決戦のような毎日だった。
それを見たキブンさん。
“サヨコちゃんもマコちゃんも,マーガリンぬり過ぎ!”
”え〜じゃぁ、キブンさんもきれいに私たちみたいにぬればいいやん!”
キブンさんブチ切れ!!!!

仏の紀文と言われていたキブンさん。そんなキブンサンがブチ切れた一幕があったのです。

20年経ってやっと許してもらえました。

2007-06-21

SKA FLAMES&DETERMINATIONS




時は1996年、第4回めのSUNSETLIVE をひかえた初夏のころ。
それまでは、夏の終わりにあるこのライブといえば、”KAJA&JAMMIN'"と”HARD CORE REGGAE"をよぶのが主流だった。
PUNKあがりでSKA好きの私は仲のいい友人たちからの依頼もあり、ここらでSKAでのSUNSET LIVEをこころみたいと思っていた。

さて、最初に思い浮かんだのが、SKA FLAMES。まずは電話でアポイント。この最初の一本の電話にすごく勇気がいる。かけるのは私だ。その当時よく行っていたAFTER THE RAINのバーテンだったマサヒロや店の同僚のコたちが,背中を押してくれた。“ダメもとでかけたらいじゃん,マコちゃん”って。そう,考えていても事は何にも起こらない。勇気をふりしぼって電話しました。


同じ頃にあるとあることが起こりました。SKA FLAMESのメンバー宮崎さんの友人で、イワサさんという方が西新に”いわさ本舗”というすてきな居酒屋をおもしろ21の通りにオープンしました。しかしオーナーのイワサさんは開店した翌日にあっけなく天に召されてしまったのです。このイワサさんの追悼ライブをしようという事で、SKA FLAMESのみなさんがSUNSET LIVEへ来てくださることが決まりました。ちょっと神がかりな招聘です。


イベントをSKAというくくりで仕上げるには対バンが必要となってきます。考えてもそんなの浮かんできません。 ふらっと十代の頃から仲良しのヨシヅミくんを尋ねてDON'Sへ行きました。ヨシヅミくんにSKA FLAMESをよぶことは決まったけど対バンが見つからないと相談してみました。すると、大阪にDETERMINATIONSというSKAのバンドがいる。同じように大阪でレコードショップDRUM&BASSをしているハヤシくんに紹介してもらったらいいよ。との回答をもらいました。


さっそく、DETERMINATIONSに連絡をとりはれて出演が決定。
新しい形でのSUNSETLIVEが形作られていきました。


この’96年のSUNSET LIVEでSKA FLAMESとDETERMINATIONSは初めて出会うこととなりました。二見が浦の地で。

あれから十年。あのときのようにSKA FLAMESとともにDETERMINATIONSの高津直由が福岡で同じステージに立つ日がやってくる。
心からこのイベントの成功を祈っている私です。

2007-04-25

クイズ番組


もうかれこれ十年くらい前でしょうか。TVのクイズ番組にでたことがあります。それも大晦日から元旦にかけての深夜。TVQの何周年記念とかいうクイズ番組でした。友人からFAXで詳細を教えてもらい、ボビーを誘っていきました。場所は博多スターレーン。番組側は1000人集めたかったみたいでしたが、6〜700人くらいしかいなかったように思います。

クイズが始まりました。まずは知能、運、体力に別れてくださいとの指示。私とボビーは体力を選びました。やったゲームはドッチボール。それも円型タイプ。丸い円の外側から、ボールを中の人に向けて投げられて、ボール当てられた人が負けってヤツね。ここでかるくボビーは敗退。TVに写ると思ってすんごく短いショートパンツにエナメルのリボンの付いたブーツでおめかしをしていった私は、生き残ることができました。(それでかどうかはわかんないけど)次は知能班、運班、体力班で生き残った人たちが2グループに分けられました。私は何となくひとつのグループに入りました。これまたセーフ!もうひとつのグループははずれだったらしく、極寒の中カキ氷を早く食べた上位何人かが生き残れるというもの。

難なく、たまたま運のよかった私たちは博多スターレーンの横に止まっていたバスに乗せられ、TV局のスタジオに連れて行かれました。スタジオの中は”アタック25”のスタジオみたいになってて、観客の席が五色の色別に縦割りになっていました。奥からつめて座ってくださ〜い、というスタッフの人の声をよそに、私はどうしても手前の椅子に座りたく、そこに腰をかけました。これまたあたり!自分の座った席の色の回答者が勝ったため、その色の席に座っている私たちが今度は回答者となってクイズが始まりました。 
大晦日から元旦にかけてのこの番組、もちろん生放送。まぁ、さばけ無さと言ったらすばらしいもので、もともと2時くらいには終わるはずらしかったのですがこの時点で軽〜く4時をまわってました。もう、スタッフ、ゲスト、回答者、みんな顔には“早く帰りたい”というう文字がにじみ出てきてました。

忘れてました、このクイズ一等は百万円です。これにつられていっちゃったんです。ボビーをそそのかして。

この色別の席に一緒に座った春日原から来た女の子、彼女は遅くなると帰りのタクシー代が無いと困ってました。
彼女を含む五人がまたもやクイズクイズ。これが山笠の流れを全部言えとか、五種類の明太子の味を食べて分けろとか、時間もかかる難問ばかり。そうこうしているうちに、TV局側も時間がかかりすぎていることが気になってきたらしく、最後の問題を出してきました。この残った五人の中の誰かが百万円もって帰れるのです。かなりわくわくドキドキしてました。

さて最後の問題”福岡県で六番めに人口の多い市はどこでしょう?” 知るか!んなもん!みんないろいろ答えるけどなかなか当たらない。さっきまでとなりに座ってた春日原から来た彼女が小さな声で答えた“春日市”

“正解です!優勝はあなたです!”
司会者スタッフのうれしそうな顔。そう、これでやっと番組がおわれる。時刻はかるく朝の6時をまわっていた。
わたしですか?なんと私は二位でした。もう一人二位の方がいて、二位の商品は横綱テレビ、三位の商品はパソコン。私はパソコンが欲しかったのでテレビとともに二位を譲りました。パソコン、米一俵、一年分のカップラーメンの目録を手に初日の出を浴びながら家路に付きました。

写真は一番左がボビー、その横が私よ。

この話後日談があります。

2007-04-11

好きなのはロックステディ


ただ今、過去まれにみる風邪っぴきである。熱はでるし咳は止まんないし、ゲルシーからは”それ、インフルエンザじゃないですか?もしくは歳。”と言われた。どっちにしてもカックリだ。こんな日はなるべくお客さん来ませんようにと心に祈る。だってぇ〜きついもんはきつい。で、お客さんのこない間はブランケットにくるまってソファーでゴロゴロする。BGMは大好きなREGGAE、ジャンルはロックステディにかぎる。あ〜しあわせ。熱のある頭と体になんて心地いいんだろう。過去にREGGAEが流れていたシーンが頭をよぎる。松屋8Fのラパス、TAXI、PINK FLAG、シーズンオフのサンセットもすんごく似合ってたよな。お客さん誰もいなくって植木や窓に心地いい風が流れる。まるでグラビアの中にいるような、すべてのものがスローモーションで動いているように感じた。あのころのサンセットにいれたことをすんごく誇りに思う。今となってはオーナーも居心地悪いみたいであんまり店にいないしね。(居心地いいのは早良区らしい(笑))ま、そんなことはどうでもよくって、最近流行のどかどかガンガンのREGGAEは苦手なんです、私。路地裏でジーさんが歌ってるみたいなのが好き。なので今回の映画Ruffn'Tuffはおなみだ頂戴物でした。やっぱグレゴリーはかっこいいです。あの人たちが奏でるスカが好きです。写真はこの映画の出演者高津くんが送ってくれたもの。生で、路地裏(といってもかの有名なオレンジストリート)で歌うグレゴリーの姿がみれたなんて羨ましいかぎりです。あぁ、音楽で風邪が治らんかねぇ〜

2007-04-09

逆転ホームラン


うちの店にときどき来るあるお客さん。
彼女は何年か前にご主人を失った。癌だった。そのことを宣告されたときには、その現実を受け止めるまでが苦しかったらしい。病院に入院させたことにも後悔していた。未亡人になってからは、まわりから助けられたり揶揄されたりの日々だった。すごく寂しかっただろう。

数年して彼女に彼氏ができた。あまり回りににどうどうと紹介できることのできないような彼氏だった。前科一犯。薬物中毒である。私の知るかぎり、その後二回警察に捕まった。その度に彼女は泣いて私のところにやってきて、どうしようと言ってきた。三度めのときにはいいかげんにしたら?と言ってみた。私は友人の 精神保健福祉士(精神科のカウンセラーのような人)にいろんなことを尋ねた。薬物依存にかぎらず、ほとんどの病気がその病気にかかった時間と同じくらい治るのにはかかるということ。本人が改心しなければ回りがどんなにがんばっても、直る見込みがないこと。万が一の逆転ホームランはほんのわずかな人にしか見られないこと。彼女は彼を助けているような自分に酔っていった。彼がイライラすれば自分もイライラし、喧嘩をふっかけられればこたえ、顔や体に痣ができている日もあった。この頃、彼女の精神も少しゆがんでいるのが私にはわかった。なぜに彼女はそんな彼に固執するのか私には不思議でならなかった。ただ、亡くなった前のご主人を助けることができなかったトラウマがあるのは感じる。何回か彼女と口をきかない時期もあった。どう接していいのかわからないし、遂には二人の喧嘩の仲裁に入らされ、夜中に、カーッとなった彼の方が私の家にやって来ることもありすこし私は怖くなってきた。なんせどんな行動をするかわかりませんからね。ただ、彼女にはあなたがどんなに献身的にしても彼が変わらないことにはどうしようもないよ、とは言っておいた。

言い放っては見たものの、ものすごく心配だった。そう、私は自分のことのように人のことを心配する癖がある。どうして彼女はあんな人生を棒に振りそうな人を敢えて選ぶのだろうか?とか。何のメリットがあるんだろうか?とか。やっぱり体?とか、いろいろ考えた。  

しばらく音信不通の日が続いた、ある雪の降る日に彼女がやってきた。 涙をぽろぽろこぼしながら。ごめんねマコさん。あなたの言ううとおりだった。と彼女は言ってきた。私はホッとした。とりあえず彼女は現実に気がついた。自分が彼のペースに飲み込まれていたことを深く反省していた。精神病院に行って、同じような症状の患者を持つ家族との話し合いでそのことにやっと気がついたらしい。以前私や回りの人が話していたことはその当時の彼女には聞こえていなかったらしい。時間が経ち、やっと彼女の中に聴く耳ができていったらしい。

それからまた少し時間が経ち、ふと思い立ち彼女に連絡を取ってみた。彼は今のところ荒れることもなく、今までは続けることすら難しかった仕事に通ってるらしい。彼女はと言えば、相変わらず献身的に彼のことを支えている。しかしそのスタイルが変わった。すごくすごく長い道のりだったけど、彼女は今、 精神保健福祉士の国家試験を受けようと張り切っている。彼と似たような人やその家族を助けたいのだと言う。この仕事を見つけ出すきっかけを作ってくれた彼に感謝していると言う。自分もつらい経験をしてきたから、そのことを今苦しんでいる人に多少なりともアドバイスできたらうれしいと。現実をしっかり受け止め、もっと知識のある人の話を聞いたりそう言う人の書いたものを読んだりして、知識を高めていくこと。そして、素直に聴く耳を持つことが、いろんな困難を乗り越えていく鍵だね。と彼女と言い合った。

もしかしたら逆転ホームランが高々と打ち上げられる日が来るかもしれないな。と思った。

2007-04-02

三つ子の魂百まで


滋賀県には母の実家があった近江八幡と、弟たちが生まれる頃に預けられていたその市内のはとこのお家、島町がある。琵琶湖のほとり。ここのとこ回りでいろんなことが起こり、何回か聞いた、“お墓参りしとかんといかんよねぇ〜”という会話。気が付けば自分も長いこと行ってない気がしてきた。そうなると行きたくていきたくてたまらなくなるのが私の性分。すばらしいタイミングで、青春十八切符で出かける友人に声をかけてもらった。この歳にして夜行での移動。はたして耐えることができるのか?乗ってみたら何の事はない、老若男女、様々な人種が乗っているではないか!晴れて向かったわが古里、滋賀県近江八幡市島町。この場所、実は今、私が住んでいるところにあまりにもロケーションが似ている。田んぼの中のまっすぐな道の先の北側の山を背にして建物が建っているところ。この裏山を抜けると海(地元の人は琵琶湖をこうよぶ)に続く山道。どうしてこんなにも似たところを自分は選んだのだろうと不思議でたまらなくなった。三つ子の魂百までといううヤツだろうか。愛すべき古里であった。もちろん滞在中は毎日お墓参りに行って来ました。お墓参りっていいもんです。写真は近江八幡の八幡堀です。

2007-02-10

消えたマコ


やっぱりサヨコと遊ぶのはとびきり楽しい。同じ釜の飯を食ったせいもあるだろうが、どれだけ離れていてもどれだけ長く会っていなくても、話は泉のようにわき出し止まらない。そしていつだって飲み過ぎて大笑い。この前も呑んでこの話思い出した。東京にもだいぶなれて、サヨコには妹のアヤちゃんが私には弟のミノウとマコトがそれぞれ上京してきた頃。週末となればみんなで、大好きな西麻布にくり出していた。いたるところにクラブがあるその街。行きつけは328だった。ある日ぐてんぐてんに酔っぱらった私は記念撮影しま〜すと、張り切って丸椅子に腰掛けみんなにカメラを向けた。ポーズをとるみんな。その瞬間”あっ、マコが消えた!”みんなの視界からわたしは消えてしまったのです。何の事はない、椅子ごと後ろにヒックリコケていたのでした。ハハハ… 宴もたけなわ、みんなで一台のフローリアンに乗ってわが街巣鴨に戻りました。駐車場に付くととりあえず別れも惜しくそれぞれ煙草すったり缶コーヒー飲んだり。では、わたしもと車止めに座って一服しようと腰をかけました。その瞬間、またもや”あっマコが消えた!” たすけて〜車止めに見えたそれは大きな溝でした。座るつもりで勢いよくお尻からその溝に突っ込んだわたしでした。あぁ、一晩で二度もみんなの前から消えたわたしでした。

2007-02-05

TC



先日TCが、雑誌kyusyu eyesでお気に入りの店で紹介するからと言ってやって来た。TCは今、普通はなんてよばれているんだろう?彼は私がサンセットに入った時の先輩。バナナジュースの作り方を教えてくれた。といってもやつは高校生だったけど…サンセットの横のmoon lightの壁に絵を描いていた。私はサンセットの壁画を描いてるミノリちゃんのお手伝いをしているうちにサンセットでバイトをすることになっていた。私が入ったすぐにTCはサンセットをやめたような気がする。絵書いたり歌ったりしているTCだった。TCは今はKAOIになったブルーレベルの上でよく絵を描いていた。私もそこで作業したりしていた。博多駅前や天神にある焼き肉屋さん”カルビー大魔王”の店内の壁画も一緒に書きにいった。遊び半分で描いたから、店中がぼうぼう燃えてるみたいになってしまった。かわいいキャラクターだったカルビー大魔王のキャラを一夜にして閻魔大王みたいなものに変えてしまった。TCが描いた店の文字がその後ずっと使われるようになった。テキトーだったけど楽しかったなあの頃も。ところでやつはいくつになったんだろう? 写真は当時よく小さなパーティをしていたサンセットのDJブースと従食中のTC。オォ懐かしい面々。

2007-02-04

運命の人?


はたしてこいつと私の関係はなんだろうかとときどき思う。マサヒロがレインで働いてるころ、そう私が必死になってサンセットライブをがんばってた頃。レインには私専用の唐辛子をつけ込んだウォッカをガ用意してあったっけ。あの当時、仕事が終わっては松の湯かタコプルコかアカプルコかレインにいた。どの店も同じオーナーだった頃。だからこの店の従業員たちは私もこの会社のニンゲンだと思っていた子もいたくらい。よく朝まで呑んでたな。〆のご飯がなぜか久留米といううこともよくあった。これはたぶん誰かの誕生日でRIZにいった時のもの。そのあと吉牛大食い競争が行われる。各店舗に別れて一番食べたチームが勝ち。負けたチームは全員の牛丼代を払うといううもの。はきながらくってたよなぁ。アカプルコのオープンの時は飲み物が呑み放題っていわれたから一緒にいった女の子と二人でビールワンケース(24本)呑んだよなぁ。あのハチャメチャな頃を過ぎて、あの当時つるんでいた連中のなかでなぜか相変わらずマサヒロとだけ妙に仲良し。たけしコージが来福するといえば空港まで迎えにいってくれるし。トキ君のDJには朝まで付き合ってホテルまで送ったりするし。ラジオ聴きにきてといえば聴きにきてくれるし。5000円私から借りて家出はするわ。運命の人なんだろうかと最近ときどき思う。今年、はじめてあった友人はこいつだった!いや、かわいいんですよ。やつが。  10年前の写真よ文句ある?

2007-01-18

同級生


=同級生に久しぶりに会った。どうも同級生というものは店に客として来てくれてもいつもの対応が出来ない。普段私はかなり自分の感情を抑えて冷静に勤めているつもり。ところがこの同級生相手となると違ってくる。お互いそれぞれ言いたいことを言い合って人の話なんか聞いていない。全然大人の会話じゃない。会った瞬間に、年月が吹っ飛んでしまう。みんなで昔語りをしたり、音楽の話をしたり、ガンガンけんかしていたり。同じ年に生まれたものだけが許される関係。また奴らに会いたいな。

2007-01-12

春を迎える日本酒



=ある年のお正月、アニバーサリーで来てくださった浜口茂外也さんから頂いた日本酒の封を開けた。そのお酒は桐の箱に入っていてどう見ても大層なもの。呑んだお相手はパンダさんとヤスコちゃん。三人でおせち料理をつまみながらクピクピ。あっという間に三人で一升開けてしまった。その後二人はあっけらかんと帰っていき(家に戻ってワインまで呑んだらしい)へろへろになった私はすごすごと床に付いた。ふと目が覚めるとまわりが春のようである。“う〜ん、やはり新春。雰囲気も春やねぇ〜”と思ったのはつかの間。あ〜〜〜〜〜お風呂沸かしっぱなし〜〜〜〜!家中が春の陽気である。お風呂場にいたってはもう地獄温泉。ゆで卵できそう。春の陽気を感じた新春の日本酒失敗談でした。ほんと日本酒って気をつけて呑まなくっっちゃ!いや、今日、日本酒頂いたもんだからねぇ、ふと思い出したのよ。

2007-01-05

ヘクション→バリッ


先日実家の引っ越しを手伝っていたときにでてきたこの写真。ちょうど20年前、ディズニーランドに行って来た時のもの。写っているのはこのお正月にやって来てくれて、当時の同居人(勝手に私が居候していたと行った方が早いかな)のサヨコとキブンさん。そしてどうよこの私、今より体重は遥かに十キロ以上重い。顔が、輪郭が。この写真見て当時芸能人で誰に似てるって言われていたか思い出した。だれとおもう?ラサール石井。はっきり言って似ていると思う。よく食べてたなぁこの頃。すんごい貧乏だったので、ものすごく食べることに執着していて、食べれんでガリガリになったらどうしようと思っていたら見る見るうちに太っていた。くしゃみでズボンのファスナーを壊した経験ありです。ヘクション→バリッ!ってやつ。

2006-12-15

記憶喪失


もうかれこれ四、五年前になるだろうか。年末になるとおじさんサーファーのサカキさんとハリーさんがトモちゃんと私を誘ってくれて忘年会をしていた。一次会はトモちゃんの旦那であるチアッチーが勤めていたグリシンへ。そこでだいたい出来上がり、中州の方へのみに出かける。毎年サカキさんはゲイバーへ私たちを連れて行ってくれる。ある年もそうで、カウンターに座って楽しんでいた。12時を回ったくらいからプツっと私の記憶は無くなり、何時間か経って、ふと正気に戻った。”ネエネエ、トモちゃんいいかげん私も歌が歌いたいんやけど〜”と言うと。”もう!マコぴん、さっきからおんなじ曲三回も歌いましたよ!”“エッ?”覚えていない私…では次の会話をっと。“ネエネエ、トモちゃんここのママえらいシャーシーっちゃっちゃけどどうにかならんとかいな?”“もうなに言ってんですか?さっきまでこの店で一番うるさかったのマコぴんですよ!”覚えていない… こんなんばっかり。

2006-12-11

悪魔のような私たち


先日日頃のうっぷんを晴らすため、はるか沖縄にいるユキに電話をした。最近嫌だったことをぐちぐち聴いてもらい、昔話に花が咲いた。十代で私がまだ上京する前にユキとよく小旅行へ出かけた。関西へ行ったときには京都駅に高校の同級生の悪そうだった慶太(当時同志社生)を呼び出し荷物持ちと二人のツーショットの写真を撮るためにシャッターを押してもらっただけでバイバイした。熊本へ行った時は帰りのバス代を貸せと一人暮らしで熊大生の樋口くんからお金を巻き上げバイバイした。ひどいひどすぎる!悪魔のような私たちだった。でも誰も嫌ったりしない。なぜか私たち二人だけが高校の野郎だけの同窓会“ボイガル会”といううのによばれる。こんなんだからつけあがるのよね〜私とユキは…二人でバイトにいってたケヤキ通りの酒屋さんも一緒にクビになった。店に置かれている焼きた当てのパンを知らん顔してこっそりムシャムシャ食べたりしてたもんなぁ。店にきた友達にはガンガン万引きさせよったし。写真はね成人式のものです。まん中はいくよちゃん。ういういしか〜

2006-12-10

気がついた。


きのう、”たけしこうじ”のライブに行って気がついた。この頃バーとかに行ってないってことを。ガッツりと話し込んでべろんべろんになるまで呑んでベラベラ話すってやつをしていないことを。もちろん昨日もバーnoisでは最初にカンパリソーダを一杯飲んで、その後はソフトドリンク。こうなるといいライブもよさが半減する。あー、場所も帰りのことも心配しないで都会ではしごしながら呑みたい!車で帰宅するのに酔っぱらったマサコが助手席にのっている。帰宅時間一時過ぎ、すぐさま二人でビールを飲み始めた。そしてすごく久しぶりに酒の入った勢いでべらべらごくごく。気がつけば三時を回っていた。まぁ、私は呑みはじめが遅かったのでぐいぐいといっておきました。そして、すごく翌日すっきり。やあ〜、やっぱ呑まないかん。呑んでおしゃべりいっぱいせないかん。私はそういう動物だ。

2006-12-06

さばける女


20歳で東京へ行って、バイトして何となく生活してて、母親からやっぱり学校出てたほうが得じゃないっていわれ、美術系の学校を卒業して学校の先生のご主人がやってるデザイン事務所に就職した。場所は代々木。そこで私は真澄ちゃんと出会った。一見、ボーッとしてクラスで仲間はずれにされそうなタイプ。しかし彼女はとびきりセンスがよく、すごく仕事がさばけた。それまで仕事ができる女性と言えばハイヒールカツカツいわせてピタットした服を着ているものだというう私の固定観念を見事に打ち砕いてくれた。話してみると、映画や音楽の趣味もとても合い一緒にいるのが楽しかった。彼女が土曜日は会社に来なくていいよって言うのでその通りにして社長から叱られボーナスがないこともあった。彼女が通っていたから私もフランス語を習いに行った。そのうち彼女はフリーで仕事を始めるようになり、もちろん私も彼女の仕事が手伝えるように会社を辞めた。そうこうしているうちに月日は流れ、私はイタリアへ。帰ってきてみると真澄ちゃんはパリに住んでいた。いまもフランスに住んでいる。フランス人と結婚して子供もいる。また会いたいな。今は日本語ぺらぺらのご主人と翻訳の仕事をしているみたい。写真は彼女がパリにいるときに尋ねて行って南フランスを旅した時のもの。ボディコンよー

2006-12-02

スカロケとバグダッド



先週の日曜日にSKA★ROCKETSとBAGDAD CAFE THE trench townのライブにいってきた。このふたバンドは私にとって特別思いい入れのあるバンドたち。スカロケはサンセットライブをやっていた頃にオリーブレーベルのタカハシさんから福岡になんかおもろいバンドない?って尋ねられて、いますいます、ステージで火吹いたり空手やったり変なスカバンドがありますって紹介した。その頃とは相当メンバーの入れ替わりがあったけどいまも福岡を代表するバンドとしてがんばってる。前回、Voのケンゴくんがステージの上で打ち上げには三人女を抱くぜーッていううから終わってすぐに、ではひとりめお願いします。って言ったら腰引いて逃げて行った。笑える。バグダッドは三人の歌姫たちが歌唱力を上げていた。ステージで”サンセットライブに出たい!お願いしますハヤシさ〜ん!”とマイちゃんがおらんでいた。この後ちょっとどよめきのような笑いのようなのが起こっておもろかった。彼らのスタイルは、私の目から見るととてもサンセットライブっぽいと思われるのですが、数日後に当のハヤシ氏より連絡があり”どう思う?”ってきかれた。わたしは、出演してもらっていいんじゃないって思うのでうすが、彼にはどれも同じ曲に聞こえるらしいのです。でもレゲエのカテゴリーってだいたいがズンチャズンチャだし、似てるって言われてもね〜最近のサンセットライブはロックフェスだよねって以前から仲良くしているミュージションたちは口を揃えて行ってる。まぁ時代の流れってやつですかね。どういうふるいをかけてミュージシャンを選んでいるのかようわからんし。みなみなさんがんばってください。

2006-11-23

Treasure Night


さっき、タニガワくんから電話があった。こんどの日曜日にバグダットカフェザトレンチタウンのライブがあるのでそうぞお越し下さいって。彼らとの出会いはかれこれ4年前のTreasure Nightをやったとき。4年前の年末にイベントをしたいっ!って言う私の誘いに難なく、XAYMACAのミドリさんがのってくれてことは始まった。何もかもゼロからの出発。いや〜女2人でよくやったもんだと思います。時としてあの凄まじいパワーはいったいどこから出てきたんだろうって思う。お金のない私達のイベント。駆けずり回って集めた協賛。バグダットのみんなの宿泊先は我が家。みんな並んで総勢十一名並んで寝てもらったよな〜。お風呂はみんなで入りにいったし。カジャも来てくれた。高津くんも来てくれた。ヨウヘイも演奏してくれた。ヨシヅミくんもまわしにきてくれた。なんか、今思うとすごいイベントだったな〜そしてめちゃめちゃ楽しかった。そしていい経験だった。たくさんの人の愛につつまれてた気がする。またなんかやらかそっと!ふふっ。

2006-11-10

TAICHIとアキちゃん


今日アキちゃんが来た。アキちゃんは太一の妹。彼女が高校生のときにはじめて出会った。まだまだすごく幼いやつと思っていたらなんのことはない私より三つ年下なだけ。太一とは私が高校1年生のときに出会った。彼はサーファーガールのトレーナーの上下を来てよく私の家まで遊ぼ〜ッて誘いにきてくれてた。この人との出会いがその後の私のナイトライフに大きく影響を及ぼす。いろんな人に出会わせてくれた。優しいんだよなぁ、太一は。夜遊びに出かけるのに俺金ないけんって近所の友達に借りにいって出かけたり。悪いこといっぱいした。そんな私たちを高校生をしながら見ていたアキちゃん。マコちゃんむかしと違っていい人。みたいな表現をされた。あたりまえやん!あたしゃもう四十バイ。いい人ぶっとかな。もう、むかしの友人に会うとわたしのナチュラルぶった生活のほんの隙間に垣間見えるむかしの香りを探り出そうとする〜。いい人ばっかりはやってられないもんでこんなところでぼやいてんのよあたしは… アキちゃんと昔話に花が咲いて楽しいひとときだった。写真は太一、カンジ君、シンイチ君、サリー、ザビちゃん…みんなでいった奈多の海。’85or'86くらいかな。若いなぁ。