2011-02-10
ニューヨークのクリスマス
今回は自分にとってのメモみたいな日記です。
最近観たDVDで、楽しかったもの
”バタフライエフェクト”
なんか、私の中の、ツボにはまってしまい、三部作黙々と観てしまった。
ありだよな、あれ、ありだよ!
“モテキ”
深夜テレビの作品ですが、いやぁ、笑った笑った。
現代の話しだねぇ〜音もいいし、メイキングも笑った。
友人に借りた数冊の梨木果歩さんの本
“裏庭”
は、ここ最近、お客さんと話していた事柄と
妙にシンクロして読み進めていくのが怖いくらい。
終わり方がよくってホッとした。
この人の文章は、やさしさがあふれてるな。
それと
“春になったら苺を摘みに”
この中の文章、なんか、なんか、くるんだよな。
で、忘れたくないので、書き写すことにしました。
ーあなたはニューヨークを知らなければならないわ。
ウエスト婦人は昔からそれを言っていた。そのたびになんだかひどく遠い世界のこ
とを言われているようでいつも私は気のない返事をしていた。正直にいうとニューヨ
ークなどこれっぽっちも感心がなかった。私が惹きつけられるのは荒れ地に沼地、野
山や小川、人の住んだ跡、生活の道具、人が生きるための工夫(信仰を含めて)そう
いうものだということが、そしてどうやら最後までそういうことに限定されそうだと
いうことが、人生の中間地点にさしかかりしみじみわかってきたところだった。
それが今年の英国滞在中、いつもと違う熱心さで彼女は私のニューヨーク行きを迫
ってきた。彼女は今年のクリスマスをニューヨークで過ごす、わたしはちょうどその
ときトロントにいる、ニューヨークとトロントは目と鼻の先である、一緒に過ごさな
いてはないかろう、というのだ。それでも私はニューヨークに行く気はしなかった。
都会というところがそもそも性に会わないのだった。自分では車に乗るくせに車の排
気ガスは嫌いだった。人がたくさんいるところは窒息しそうになる。不特定多数の人
がより集まった空気もいやだ。それくらいだったら、まだ英国の田舎で羊の群れの糞
にまみれている方がいいのだ、本当は。今はまだ多少若くて、適応力も少しはあるか
ら無理もできるが、もっと年をとってきて耐性がなくなったら、本当に世捨て人の生
活をするかもしれない、と真顔で彼女に相談したこともあった。
一笑に付されたけど。
あなたはいつか一緒に行った、アイルランドの海に面した崖っぷちに建っていたあの
小屋を考えているんでしょう。ああ、あそこもいい、でも私が考えていたのはほら、
ナショナルトラストの所有になっていた一番安い貸しコテージで、トイレも水洗でな
くて一間しかなくて、車を最後に乗り捨ててから山の中の道をさらに三十分ほど歩い
たところにあった、あんなかんじの……住むとなったらトイレは水洗にしてもらうけ
ど……。冗談じゃありません、水道もろくについてなかったじゃないの、年をとって
からどうやってあんなところで生活できるのいうの。生活できるまで生活する、でき
なくなったら静かに去ります(go away)。彼女は頭を振ってこの話しはたち消えにな
った。私は『楢山節考』の話しに続けたかったのだが、老いた彼女に誤解されること
を怖れ、うまく通じさせる自信がなかったのでやめた。
ってな文章…
その後、彼女はいろんな人と楽しくニューヨークでクリスマスを過ごし、
“クリスマス”の醍醐味が、なんであるかにも気づく。
この文章さあ、
なんとも私の思うところと重なるところが多くって…
読みながら、へぇ〜、こんなふうに思っている人いるんだって…
それだけ
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